ラッパー、小説家、俳優、作詞家‥‥
「えっ、ここでも!?」とびっくりするほど、
あらゆる分野で活躍するいとうせいこうさん。
そんないとうさんは、約10年前から、各国の
「国境なき医師団」の活動地を訪ねてもいます。
目的は、ジャーナリストではなく「作家」として、
紛争や災害の現場を世に伝えること。
作家は、大きすぎる世界の矛盾に
どう関われるのでしょうか。
神さまでも万能でもない人間が、
ほかの命を救おうと動けるのはなぜでしょうか。
私たちに、戦争を止める活路はあるのでしょうか。
いとうさんが迷いながら考えていることを、
聞かせてもらいました。

>いとうせいこうさんプロフィール

いとうせいこう(いとう・せいこう)

1961年、東京都生まれ。
編集者を経て、作家・クリエーターとして
活字・映像・音楽・舞台など多方面で活躍。
ボタニカル・ライフ』で
第15回講談社エッセイ賞を受賞。
想像ラジオ』が三島賞・芥川賞候補となり、
第35回野間文芸新人賞を受賞。
他の著書に『ノーライフキング
どんぶらこ』『我々の恋愛
今夜、笑いの数を数えましょう
福島モノローグ』『東北モノローグ』、
「国境なき医師団」に同行して
世界各地の活動現場をルポした
「国境なき医師団」を見に行く
「国境なき医師団」をもっと見に行くーー
ガザ、西岸地区、アンマン、南スーダン、日本

などがある。

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第1回 言えないくらいカッコいい

──
いとうさん、よろしくお願いします。
私(ほぼ日・玉木)は、
いとうさんの「国境なき医師団」のレポートを
ずっと拝見していたので、
あらためてお話をうかがえるのがうれしいです。
いとう
それは、ありがとうございます。
よろしくお願いします。

──
いとうさんは、2016年から
「国境なき医師団」の取材をなさっています。
あらためて、最初に関心を持ったきっかけを
うかがってもいいでしょうか。
いとう
じつは、ほとんど偶然だったんです。
いきなり脱線するようですが、
2016年くらいのころは、
男の人が「日傘」をさしていると、
奇異の目で見られていましたよね。
──
日傘ですか。
‥‥たしかに、あのころはそうでした。
いとう
僕は「日傘に男も女もない!」と思って、
男性用の日傘をつくりたいと呼びかけたんです。
自分で三秒くらいでドクロの絵を描いて、
こういうパンクな柄のが欲しいって言いながら。
そうしたら、大阪の傘屋さんが賛同してくれて、
「男性も持ちやすい日傘」を売り出すことができました。
傘屋さんが「いとうさんにもアイデア分の収益を」と
連絡をくださったのですが、
僕は自分が日傘がほしいだけだったので、
お金を受け取るつもりはなかったんです。
でも「そういうわけにはいきません」と、
分け前をくださって。
そのお金をどうしようかなぁと考えていたところ、
「日差しがハード」というイメージと、
紛争や災害のハードなイメージが重なって、
なんとなく「国境なき医師団」が頭に浮かんだんです。
こんな経緯で、「国境なき医師団」に
寄付をするようになりました。
──
偶然「国境なき医師団」との縁ができたのですね。
いとう
そのころ、ちょうど「国境なき医師団」に
寄付をしている人たちに、
団の広報の方がお礼を兼ねて取材をしていたんです。
そのなかで、僕が取材してもらう機会がありました。
──
どんな取材を受けたのでしょうか。
いとう
それが、僕の話をするというより、
僕が「国境なき医師団」の話に
引き込まれてしまったんです。
取材に来てくれた広報の谷口さんという方が、最初に
「弊団はこういうことをしております」
と、活動の説明をしてくれました。
「国境なき医師団」の活動内容を
くわしく知らなかった僕にとっては、
「ええっ!?」と驚くようなことが、もう、
彼女の説明にたくさん含まれていて。
──
たとえば、どんなことでしょう。
いとう
「『国境なき医師団』のメンバーは、
全員お医者さんというわけではない」とか、
「怪我や病気の治療だけでなく、
性暴力に対する啓蒙もしている」とか‥‥。
聞いたことがない話ばかりだったのです。
でも、知らないのはどうやら
僕だけではなかったみたいで。
谷口さんが
「団の活動内容を知らない人は多い。
どのようにして、
団の外の人々に伝えたらいいのか悩んでいる」と
話してくださったんです。
そこで、すぐ、
「それ、僕にやらせてもらえませんか」
とお願いしました。
「もしよければ、現場に同行して、
『国境なき医師団』がなにをおこなっているかを
記事にさせてもらえませんか。
たいした力にはなれないかもしれませんが、
発表の場はいろいろあると思います。
僕でよければ役に立ちたいです」って。

──
いわば、「国境なき医師団」の
レポーターを買って出たのですね。
いとう
谷口さんは、
最初は「いや、そんなそんな」と遠慮されましたが、
「ほんとうにやってくれるんですか。
1週間から10日間くらい
同行してもらうことになりますが」と、
だんだん乗り気になってくださって。
自分のスケジュールをマネージャーに確認したら、
ちょうど年内に10日間、予定を空けてくれたんです。
どこに行くかも決まっていなかったのですが、
とにかく、その10日間を押さえました。
でも、あとで知ったことなのですが、
僕が同行させてもらうということは、
「もともとのメンバーがひとり行けない」
ということだったんです。
つまり、きつい言い方をすれば、
ひとり団員が欠けるぶんの迷惑がかかる。
──
ああ、物資に限界があるぶん、
行ける人数は限られているから。
いとう
MSF(フランス語で「国境なき医師団」を表す
Médecins Sans Frontièresの略称)が、
「ひとり団員が減ってもなんとかしよう」
という判断をした、紛争などが激化していない場所に
同行させてもらったわけですね。
それが、最初に訪れた国、ハイチでした。
ハイチには、地震後の貧困や伝染病の問題、
子どもたちや妊産婦への
ケアが足りていない問題など、
数多くの課題がありました。
ですが、そういった問題は、
ほとんど現地に行ってから知ったことです。
というのも、
僕自身がハイチの問題をとてもよく知ったうえで
出かけていって
「ご存知のとおり、こういう問題がありました」
とレポートしても、
読者に伝わりにくいかもなあと思ったのです。
初めて谷口さんから活動内容を聞いたときのような
「僕がびっくりした感じ」を届けたほうが
いいよなって。
──
いとうさんの受けた衝撃や感激が、
隣で聞いているかのように伝わってくるレポートは、
そのように生まれていたのですね。
私はとくに、
「『国境なき医師団』の発足には、
お医者さんだけでなく、
出来事の証言をする役割の人々も関わっていた」
ということにびっくりしました。
いとう
「アドボカシー(政策提言)」をする人々ですね。
彼らは、各国で直面した問題を受けて、
政府や援助機関などに働きかけるんです。
MSFが1971年に発足したとき、
半分が医療関係者、半分がジャーナリスト
という構成だったので、
いまも彼らの役割が重要な位置を占めています。
だけど、
「国境なき医師団」という名前にしたものだから、
医療以外の活動が
あんまり伝わってないんです(笑)。
中立を貫きながら、
各国でなにが起きてるかを世界に知らせるという、
すごく難しい仕事をしているんですけどね。
──
おっしゃるとおり、
MSFの「独立・中立・公平」という理念を
貫くのは難しいことだと思うのですが、
どうして実現できているのでしょうか。
いとう
MSFの活動資金の90%以上が
寄付で成り立っているから、できるんです。
──
ああ、たとえばある国が「お金を出そう」と
持ちかけてきたら‥‥
いとう
断っています。
大きな団体からの資金援助は、
断っているんです。
中小企業など、小さな団体からの寄付は断りませんが。
──
大きな権力を持つ団体から援助を受けると、
「国境なき医師団」の活動内容に干渉されてしまう
恐れがあるからでしょうか。
いとう
そうです。
もちろん、寄付をしてくださる方々に対する
MSFからの感謝の気持ちは、
並大抵のものじゃないです。
彼らは「寄付してくださる人のおかげで、
きょう、厳しい状況の人々になにかができる。
目の前のこの子にポリオワクチンを打てる」
と話してくれます。
彼らがそういった心情で
人道支援に取り組んでいることは、
言うまでもなく素晴らしいです。
ですが、あんまりね、
こういうカッコいいことって‥‥

──
本人たちからだと、言いづらいかもしれませんね。
いとう
そうなんですよ(笑)。
カッコよすぎて、ね。
だから、MSFの人々が考えていることを
伝えるためには、もともとMSFの内部にいなかった
「誰か」が必要だったのかもしれません。
僕はたまたま、幸運にも、
その「誰か」になれたのだと思います。

(明日につづきます)

2025-01-28-TUE

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    いとうせいこうさんが
    「国境なき医師団」に同行して執筆した
    レポートでは、現地での体感がそのままに書かれています。
    読んで、大きな力に振り回される状況のなかでも
    失われない、人間や文化の力を感じました。
    そんな力が自分にもあることを、思い出すことができました。
    戦争に「NO」を示すため、小さいことからでも
    行動していこうと、強く思いました。

    いとうさんのレポートにご興味を持たれた方は、
    ぜひ、以下のリンクからご覧ください。

    なお、群像WEBの連載をまとめた
    『「国境なき医師団」をそれでも見に行く
    ――戦争とバングラデシュ編』は、
    講談社より2025年4月末に刊行予定です。