こんにちは、ほぼ日の稲崎です。
いま開催中のキニなる特別展を
先輩の奥野さんとめぐる企画、第二弾。
今回もふつうのお客さんとして
予備知識を入れずに向かったのですが、
謎の画家・髙島野十郎ですから、
とらえどころがなく、手がかりも少なく、
ふたりでなんだかモヤモヤするばかり‥‥。
そこで、松濤美術館で学芸員をされている
大平奈緒子さんに付き添っていただき、
つづけざまに「もう一周」することにしたんです。
すると、作品への理解が深まり、
野十郎の狂気や執念がどんどん見えてきて、
すっかり惹き込まれてしまいました。
いやぁ、おもしろかったです。
そのときのようすを、全3回でおとどけします!

没後50年 髙島野十郎展(渋谷区立松濤美術館)

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#01

謎の画家、髙島野十郎。

稲崎
急にすみません。
ぼくたちの2周目に付き合っていただき、
ありがとうございます。
大平
いえいえ(笑)。
稲崎
ちょうど1周目を終えたところなので、
ふたりともいま聞きたいことだらけなんです。
大平
それはそれは。
奥野
髙島野十郎さんのことを、
事前に調べすぎないようにして来たんですけど、
絵を拝見したら、
もともとのイメージが変わりました。
大平
あ、変わりましたか?
奥野
森村泰昌さんも紛争している、
甲斐庄楠音(かいのしょうただおと)みたいな
「デロリ系」なのかなと思ってたんです。
そしたら、いろんなテイストの絵を描いていて、
どういう作家なのか、
作品を見たら、逆にわからなくなったというか。
大平
あぁー、そうですよね(笑)。

会場を案内してくださった松濤美術館の大平奈緒子さん 会場を案内してくださった松濤美術館の大平奈緒子さん

奥野
印象派みたいなパリっぽい絵もあれば、
それこそデロリっぽい不気味な絵もある。
色彩豊かな静物画があったかと思うと、
オランダ時代のゴッホに影響を与えた
バルビゾン派みたいに
茶色く、くすんだ風景画もある。
この人はこういう絵を描くんだなという
とらえどころがなくて、
よりいっそう謎が深まった感じがします。
大平
私自身も、髙島野十郎には
「謎の人」の印象がずっとあります。
野十郎は仏教的な考えを作品に反映していた方で、
一筆一筆をおろそかにしない作家だと思っています。
生前には、
「花一つを、砂一粒を人間と同物に見る事、神と見る事」
という言葉を残していたくらいで、
筆に魂を込めて描くような方だったようです。

髙島野十郎《からすうり》(昭和10年) 福岡県立美術館 髙島野十郎《からすうり》(昭和10年) 福岡県立美術館

稲崎
写実を得意にした方だと思うのですが、
静物にしても花にしても、
絵にすごく緊張感がありますよね。
大平
精密を超えて、ちょっと異様な感じもしますよね。
花瓶に入った作品は、
すべての花を均等に細かく描いていたりしますし。
奥野
生花つまり本当の花を描いているんでしょうけど、
みずみずしさというより、
つくりものが迫ってくるみたいな異様さがあって。

髙島野十郎《ダーリヤ》(昭和37年頃)個人蔵 ※前期のみの展示作品 髙島野十郎《ダーリヤ》(昭和37年頃)個人蔵 ※前期のみの展示作品

大平
福岡県立美術館がずっと長い間、
髙島野十郎を研究されているのですが、
その方たちによると、
感受性の豊かな子供たちの中には、
野十郎の作品を観ると怖がっちゃう子もいるそうです。
稲崎
ああ、ちょっとわかります。
ものすごく細部まで描いているからか、
観てるとなぜか息が詰まりそうになるんです。
大平
端っこの小さなシミひとつまで
おろそかにしていないんだと思います。
作品の前にいると、思わず正座しそうになります。

髙島野十郎《桃とすもも》(昭和36年)個人蔵 髙島野十郎《桃とすもも》(昭和36年)個人蔵

奥野
でも、おもしろいなあと思うのは、
そういう作品ばかりじゃないってところですよね。
風景を描いた作品に異様さとか圧は感じませんし。
稲崎
そこがまた不思議なところというか、
つかみどころのなさですよね。
大平
その差がおもしろいですよね。
作品によってかなりちがいがある作家だと思います。
奥野
時期で変わったりとかしてるんですか?
大平
時期で変化していったというより、
ただ描きたいものを描いていたように感じます。
基本的に画壇とも距離をとっていた方なので、
何派とかもなかったそうです。
ときどき自分の個展で作品を発表して、
そこで稼いだお金で暮らしていたそうです。

髙島野十郎《有明の月》(昭和36年以降)福岡県立美術館 髙島野十郎《有明の月》(昭和36年以降)福岡県立美術館

稲崎
絵は売れてたんでしょうか、当時は。
大平
売れていたそうです。
東京帝国大学(現・東京大学)の
農学部水産学科を首席で卒業されていて、
当時の友人たちが買っていたそうです。
ふだんはかなり質素な生活を送っていたので、
きっと画材以外に大きなお金を使うことも、
ほとんどなかったのではないかと。
稲崎
この自画像を観るかぎり、
すごくストイックな感じはしますよね。
奥野
一瞬、岸田劉生が描いた
ZAZEN BOYSかと思いました。
稲崎
向井秀徳さんじゃないです(笑)。

髙島野十郎《絡子をかけたる自画像》(大正9年) 福岡県立美術館 髙島野十郎《絡子をかけたる自画像》(大正9年) 福岡県立美術館

奥野
作品のキャプションに
「デューラーの影響がある」と書かれてます。
大平
かなり憧れがあったと思います。
奥野
だから岸田劉生を感じたのかなあ。
デューラーを経由した岸田劉生。
向こうにあった絵は
ゴッホを経由した萬鐵五郎みたいだったし。
印象派っぽいみたいな海辺の絵もあったし。
この時期の日本画家って、
多かれ少なかれそうなのかもしれませんが、
パリの影響をかなり受けてますよね。
大平
それは確実にあると思います。
実際に海外に住んでいた時期もあって、
40歳になってからニューヨークやグラスゴー、
ベルギー、オランダ、
そしていちばん長かったパリなど、
トータルで3年間ぐらい海外に滞在しています。
その2枚の風景画もその頃に描いたものです。

左:髙島野十郎《イーストリバーとウィリアムズブリッジ》(昭和5年)福岡県立美術館 / 右:髙島野十郎《ノートルダムとモンターニュ通Ⅱ》(昭和7年頃)福岡県立美術館 左:髙島野十郎《イーストリバーとウィリアムズブリッジ》(昭和5年)福岡県立美術館 / 右:髙島野十郎《ノートルダムとモンターニュ通Ⅱ》(昭和7年頃)福岡県立美術館

奥野
研究熱心で、かつ、器用な人だったのかなあ。
いろんなスタイルで描いてるから。
大平
技術はすごかったんだと思います。
稲崎
なのに、生前はほとんど無名だった‥‥。
大平
じつは、そうなんです。
髙島野十郎の名前が広く知られたのは、
亡くなってから5年後のことでした。
昭和55年に福岡で開かれた展覧会に、
野十郎の《すいれんの池》という作品が出品され、
そこではじめて話題になったそうです。
奥野
それが、こちらの作品?
大平
はい。

髙島野十郎《すいれんの池》(昭和24年)福岡県立美術館 髙島野十郎《すいれんの池》(昭和24年)福岡県立美術館

大平
その展覧会のあと、
福岡県立美術館で学芸員をされている西本匡伸さんが、
野十郎の研究をはじめられます。
長年にわたり、ご遺族であったり、
当時交流のあった方に取材を重ね、
謎に包まれた本人のことが少しずつわかってきたんです。
稲崎
この《すいれんの池》は、
当時はどこにあったものなんですか。
大平
福岡県久留米市の、
ある会社のクラブハウスに飾られていました。
当時の社長だった方は
髙島家の縁者でもあったのですが、
その方からの依頼で描いたそうです。
この池、じつは新宿御苑の池とも言われています。
稲崎
あ、新宿御苑なんですね。
ということは、もしかしたら御苑のどこかに。
大平
はい。
おそらくいまでも似たような風景があると思います。

奥野
全体に煤けた印象ですけど、
最初からこういう雰囲気の絵だったんでしょうか。
大平
絵の具の劣化ではないと思います。
野十郎自身、もともと理系ということもあり、
独学で「強い」絵の具の研究もしていたようです。
稲崎
「強い」というのは?
大平
耐久性のことですね。
風雨にさらされても平気なように、
キャンバスと絵の具の密着具合とか、
そういう研究を個人的にしていたそうです。
アトリエを訪ねた人の話では、
家の外に絵の具を塗った麻布を
何枚も張っていたそうで、
絵の具の「変色変質」を試していたらしいです。
稲崎
それってつまり、
作品を遺すための作業ですよね。
後世に受け継いでもらうためというか。
大平
そうなんだと思います。
野十郎自身も
「自分の絵は1000年は大丈夫」と
豪語していたという話も残っています。

椿貞雄《自画像》(大正4年)千葉県立美術館 椿貞雄《自画像》(大正4年)千葉県立美術館

奥野
これもご本人ですか? なんかちょっと‥‥。
大平
いえ、これは椿貞雄さんの作品です。
奥野
ああ、椿貞雄さん。野十郎さんじゃないのか。
大平
今回の展覧会では、
野十郎が影響を受けたであろう人たちの作品も
いっしょに展示しています。
草土社の岸田劉生や椿貞雄など、
野十郎と同じ時代に活躍した作家たちです。
奥野
どうりで「This is」感がないなあと思った。
というか、
むしろ別の誰かに似ているような‥‥。
稲崎
誰ですか?
奥野
うーーーー‥‥わかった。パンチ佐藤さんだ。
稲崎
やめてください(笑)。
奥野
ただ、髪型がパンチパーマじゃないから、
現役引退後のパンチさんなのかな。
稲崎
大平さんが困ってます。
大平
あ、いえ‥‥すみません(笑)。
この方は「椿貞雄さん」、なんです。
岸田劉生にも近い、
大正から昭和にかけての洋画家ですね。

(つづきます)

2026-08-26-WED

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