
- ──
- 能登半島地震の後、現地で月に100回とかの
コミュニティ再建支援を行われている
チームがあると聞き、
今日はお話を聞けたらとやってきました。
- やすな(ほぼ日)
- たくさんの方が関わられているんですけど、
いま集まってくださっているのは、
石川県庁の嘉門さんたち、
全国災害ボランティア支援団体ネットワーク
(JVOAD)の神元さん、
イベントの実働部隊である日本エージェンシーの
松本さんと中﨑さん。 - この活動を映像や本にする動きもあって、
今日は本の制作の大詰め作業の日ですね。
わたしは本の制作のところのお手伝いをしていて、
半分メンバー、半分ほぼ日という感じです(笑)。
- ──
- ありがとうございます。
- どういった活動をされているのか、
まずはなんとなくの概要を
教えていただけたら嬉しいのですが。
- 嘉門
- はい、ここは私から話すといいですかね。
石川県庁の嘉門です。 - これは石川県生活再建支援課の
「地域コミュニティ再建グループ」で
担当している事業なんですけれども。 - みなさんもご存知の通り、令和6年1月1日、
能登半島地震が発生しました。
石川県に大きな被害をもたらし、
最初の半年間ぐらいは、その規模にみんなが
ショックを受けながら生活していました。 - 災害対応としては、最初の1か月とかは
やっぱり「命を守る」が第一で。
その視点で、何が必要か、どう直すか、
被災者の方にどう向き合うかなどを、
緊急度の高いものから動いていました。 - 少ししたら次は「生活の再建」。
それぞれの方の暮らしを回復させる
フェーズに進みました。
お金の支援の話が出てきたり、
仮設住宅も完成して、被災者の方が入りはじめたり。 - 半年ぐらい経つと、被災者おひとりおひとりの
状況把握も徐々にできてはきたんです。 - だけれどそこで、地域のコミュニティが
すっかり失われていることがわかってきて。
- ──
- 地域のコミュニティが、変わってしまった。
- 嘉門
- 田舎なので、もとは当たり前に
みんなで暮らしてきた日常があったんです。 - だけど地震が起きたことで、
コミュニティも大きく影響を受けて。
家が壊れて、遠くに避難を余儀なくされた人もいれば、
仮設住宅に移った人もいる。
隣の家の人が仮設住宅に移った人もいますし。
あるいは仮設住宅に入ったけれど、
隣に住む人と交流がないケースもある。
知ってる顔も歯抜けになって、
地域での会話相手もいなくなったりしている。 - そういうことをどうにかしなきゃというのが、
最初のきっかけですね。
- ──
- 基本的には、高齢者の方が多い地域ですよね。
- 嘉門
- そうですね。もともと高齢化率が高い地域だったんです。
そこに震災が起き、一時避難で
金沢市とかに出たりした方もいました。
- ──
- 震災のあと、1軒ずつの訪問などもされているんですね。
- 嘉門
- そこは社会福祉協議会の見守り支援だったり、
地域支え合いセンターだったり、
1軒1軒ピンポーン、ピンポーンと訪ねて
「今日は元気ですか?」「お薬飲んだ?」
「何に困ってる?」とか聞いてまわる方が
いてくださるんです。 - だけどみなさんを家から出すことは、あまりできてない。
「家から出てほかの人としゃべる」って
けっこう億劫だし、なかなか機会もないんですね。
仮設住宅に暮らす方だと
「隣の家の人の顔を見たことない」
といった話もよく聞いてまして。 - 「じゃあ、みなさんが家から出るきっかけを
なにか作れないか」ということで。 - それは引きこもり防止でもあるし、
いちど家から出ると
「隣の人、意外にいい人だった」とかもあるから、
そういうチャンスをつくろうと。
- ──
- そこ、実はけっこう大事な部分ですね。
- 嘉門
- 最初は相談会を開催することからはじめました。
- みなさん相談したいこともきっとあるし、
集まることで悩みが共有されて解決したり、
気持ちが楽になったりもするはずなので。
そういうところからコミュニティ再建の
道筋をつけられないかなと。 - ですが考えていくうちに、相談会だけで
みなさんに外出していただくことに限界を感じて、
イベントをはじめた感じですね。
- ──
- イベント。
- 嘉門
- いろんな鑑賞会とか、体操教室とか、
ワークショップとか。
我々は「県メニュー」と呼んでるんですが、
「こんなことできますよ」のリストを作って、
市町担当者の方から「これやりたいです」と声があれば、
講師の方に行っていただく手筈を整えたり、
必要なものをお渡ししたり。
そういったカタチでの、イベントをやるお手伝いです。 - 災害対応としては初の事業なので、
だいぶ一から手探りでつくりあげた感じなんですけど。
- ──
- そもそも何から動きはじめられたんですか?
- 嘉門
- そうですね。
この事業が動き出したのは地震の半年後くらいなんですけど、
まずは認定NPO法人 全国災害ボランティア
支援団体ネットワーク「JVOAD」の
みなさんの力を借りることを決めました。 - 過去のご経験からいろんなノウハウがおありだし、
能登半島地震のときも、翌日の1月2日から
石川県庁に入り、各被災地をまわって
すでに現地の方々とネットワークを作られてましたから。
現地の温度感とか、誰がどこにいるとか、
課題とかをわかっていらっしゃったので。
- ──
- で、入られたのが、JVOADの神元さん。
JVOADはどういった団体なのでしょうか?
- 神元
- 私たちは「災害中間支援組織」といって、
直接支援するのではなく、調整をおこなう立場ですね。 - 災害のあと、いろんな支援団体が現地に入るわけです。
NPOとか、企業とか。 - だけどみんながバラバラで動くと、
同じ場所で似た支援をやろうとしたり、
県や国と現場で認識が違ったりする。 - だからそこでの動きの調整をしたり、
「実はこんなことが起きてますよ」と
必要な情報共有をしたりする役割です。
- 嘉門
- そういうことって、発災直後に
役所が全部やることは難しいんですね。
だからいてくださると、非常に助かるわけです。 - また、国、県、各市、各町の
目線合わせがすごく大事なんです。 - そこでJVOADさんが
「ここはこんな課題がある」
「こういう支援をしたい団体があるけど、
ここがボトルネックになっている」
みたいに全体をわかったうえで、
いったんハブになってくれたりすることで、
支援がうまくいきやすかったりするんです。
- ──
- たしかに。
- 神元
- 災害支援経験の豊富な団体とかって、
「きっと今後こんなことが起きていくよね」
などの見立てができたり、
「制度をどう運用するといいか」などにも
経験がおありだったりするんです。 - だから、そういう団体の方と行政をつないで
「制度をこう活かすとまわりやすいですよ」
と伝えてもらったりなど、
互いが力を発揮しやすい環境づくりのために
いろいろ動いたりしています。
- ──
- そういうJVOADさんに委託して、
コミュニティ再建事業をやりはじめた。
- 嘉門
- はい。とはいえまったく新しい取り組みなので、
未知数の部分も多くて、まずは現地で
ニーズを聞いてまわることからやりました。 - 被災者の見守りをしている社会福祉協議会の方とか、
各地の市役所や町役場に出かけて、
「いま何をしてほしいですか」
「どんなイベントがあったら役立ちそうですか」など、
地域のみなさんが家から出て笑顔になるためには
何をしたらよさそうか、聞いて回ったんです。 - すると、やっぱり出てくるんです。
「こんなメニューがあったらいい」とか
「みんなでこれをしたら楽しそう」とか。
- ──
- 具体的にはどんな声があったんですか。
- 嘉門
- 落語、カラオケ、ヨガ教室とか。
いろんなアイデアが出てくるので、
まずはそこからメニューを作りました。
最初は5種類くらいだったかな。 - そこで実行部隊として、松本さんや中﨑さんの
日本エージェンシーさんにも
入っていただきまして。
- 松本・中﨑
- はい。
- 嘉門
- 「場所と時間を教えていただけたら、
段取りや当日の準備はこちらでやります。
集まる場所はみんなで決めてください」みたいに
いろんな自治体の方にお声がけして、
少しずつはじめていきました。
- ──
- いちばん最初のイベントはなんだったんでしょう?
- 松本
- 最初はカラオケでしたね。
- 仮設住宅が180ぐらいある地域ですけど、
そこの「ボラまち亭」という交流の場に
レンタルカラオケの機材を運んだら、
けっこう人が集まって、喜ばれたんです。 - 「あ、これは手応えあるぞ」と思って、
そこからみなさんの声も聞きながら
メニューを増やしていった感じですね。
- ──
- じゃあ、徐々にいろんなイベントが。
- 松本
- そうですね。
たとえば落語家さん、漫才師さん、
地元のタレントさんに来てもらったり。
ものまねショー、マジックショー、
音楽コンサートとかの鑑賞ものだったり。
体操教室とか料理教室、畑づくりなどの
ワークショップ形式のものもあったり。
キッチンカーの派遣や、夏まつり用のキットを
配るようなこともやりました。
- 嘉門
- そういうのはもう、
日本エージェンシーのみなさんが
本当にあれこれ動いてくださって。
- 中﨑
- ぼくらも日々学ばせてもらいながら、手探り状態で
イベントをひとつひとつ増やしていったんです。
(つづきます)
2026-07-08-WED
-
「石川ひとつなぎ」の活動紹介動画、
ぜひごらんください。
みなさんがつくった冊子の
デジタル版はこちら。
