2018年1月に「ほぼ日の学校」は誕生しました。
そして、2021年の春に
「ほぼ日の學校」と改称し、
アプリになって生まれ変わります。

學校長の河野通和が、
日々の出来事や、
さまざまな人や本との出会いなど、
過ぎゆくいまを綴っていきます。

ほぼ毎週木曜日の午前8時に
メールマガジンでもお届けします。

2021年2月11日にこのページはリニューアルされました。
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>河野通和のプロフィール

河野通和 プロフィール画像

河野通和(こうのみちかず)

ほぼ日の學校長
河野通和(こうの・みちかず)

1953年、岡山市生まれ。編集者。
東京大学文学部ロシア語ロシア文学科卒業。
1978年〜2008年、中央公論社および中央公論新社にて
雑誌『婦人公論』『中央公論』編集長など歴任。
2009年、日本ビジネスプレス特別編集顧問に就任。
2010年〜2017年、
新潮社にて『考える人』編集長を務める。
2017年4月に株式会社ほぼ日入社。

[ 河野が登場するコンテンツ ]
読みもの
新しい「ほぼ日」のアートとサイエンスとライフ。
19歳の本棚。

動画
ほぼ日19周年記念企画特別講義「19歳になったら。」
ほぼ日の読書会

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NO.156

甲子園のなかった夏

「人に会う、人の話を聴く」というテーマを掲げて、ほぼ日の學校がいま「開校」の準備を進めています。

そんなタイミングで出会った1冊が、早見和真(はやみかずまさ)さんの『あの夏の正解』(新潮社)という作品です。小説ではなく、作家が初めて挑んだノンフィクション。

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リアルに人と会い、決して答えを誘導しないように注意を払い、当人ならではの考えに考え抜いた言葉だけを、じっくり聞き出そうとしたインタビューです。

2020年5月、「夏の甲子園」全国高校野球選手権大会がコロナ禍で中止になると発表されます。春の選抜大会に続いて、球児たちの夢舞台が奪われます。その中止決定から3年生引退までの約3ヵ月、「目に見える形で大切にしてきたもの」を突然失った選手や監督が、この出来事をいかに受け止め、何を思い、どのように夏を過ごしたのか。その現場に密着し、本音に迫ったルポルタージュです。

取材対象は、愛媛県の済美(さいび)、石川県の星稜という、高校野球ファンにはおなじみの強豪2校の野球部です。甲子園への最短距離だと信じるからこそ、この学校に入った部員たち。苦しい練習にも、厳しいレギュラー争いにも、めげずに頑張ってこられたのは、ひとえに甲子園という大きな目標があったからです。

幼い頃から彼らは、甲子園という鮮烈な“魔法”をかけられていました。その魔法が、突然、効力を失った時、球児(特に3年生)たちは、どう高校野球と向き合うのか?

<彼らは何を失い、何を得るのか。最後に笑っているのか、泣いているのか。そもそも何をもって最後とするのか。野球に決着をつけ、次の一歩を踏み出すことができるのか。>

強豪校で、等しく甲子園に憧れていたとはいえ、選手それぞれで立場や思いは違います。夏の活躍を期待されていた選手、プロ野球志望の有力選手、ただ野球が好きだから続けてきたけれど、夏で区切りをつけようと思う選手、チームを取りまとめるキャプテン、ベンチ入りの選手をサポートするメンバー外の部員など、それぞれが見ている景色は異なります。

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<全員が等しく最後の甲子園に憧れていながら、全員に等しい正解が存在しない。>

<選手一人ずつ、その立場や思いによって「この夏の正解」が違うのだ。ならば、自分自身で見つけてほしい。メディアが垂れ流すわかりやすい悲劇の駒としてではなく、たとえ尊敬に値するにしても大人たちの言葉でもなくて、今回だけは、自分の頭で正解をひねり出し、甲子園を失った最後の夏と折り合いをつけてもらいたい。>

そう呼びかけ、そのように願い、著者は2校に通い詰めます。

著者自身も、かつては高校球児でした。神奈川県の名門・桐蔭学園の野球部員として、必死で甲子園をめざしていました。2学年上には高橋由伸選手(巨人前監督)がいました。在学中、2年春、3年春とチームは2度甲子園の土を踏みますが、早見さんはいずれもベンチ外。

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(写真提供・新潮社)

2008年の小説デビュー作『ひゃくはち』(集英社文庫)の主人公と同様に、名門高校野球部で、ひたすらベンチ入りをめざしている補欠部員の一人でした。

それだけに高校野球には格別な思いや、複雑な屈託(くったく)を抱えています。同時にそれが、今回の取材で有利に働いていることも確かです。選手や監督の心のひだにスッと寄り添っていけるのも、こうした球児体験が相手に共感をもたらすからです。

著者は自戒しています。「高校球児ほど本音を口にしない人間はいない」「僕もまた高校で野球をしていた人間だからよくわかる」と。

彼らは小さい頃から大人に対して、「どう振る舞えばいいか徹底してすり込まれている者たち」です。

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高校野球は、圧倒的な「同調圧力」と「上意下達(じょういかたつ)」の世界です。指導者の言うことは絶対の正義であり、たとえ間違っていると思っても、口答えすることは許されません。記者から質問されれば“高校球児らしい”答えを平然と口にします。

大人の喜ぶ模範的な“高校野球文法”が、いつの間にか体得されているからです。言い換えれば、今回取材者として早見さんが向き合うのは、かつての自分のような高校球児たち。急に現れた得体の知れない小説家という部外者に、どこまで本心を語ってくれるのか……。

<そう想像するだけで暗澹(あんたん)たる気持ちにさせられた。しかも、今回は通常のインタビューとさえ違う。新種の感染症によって夏の大会が中止になるという経験をした大人が一人もいない以上、高校球児だからこう答えるべきという「それらしい意見」など存在するはずがないからだ。>

となれば、彼らならではの“新しい言葉”――心の声が聞けるのではないか。自分の頭で考え抜いた何かを聞かせてくれるのではないか。早見さんはそう期待して、足を運びます。

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<甲子園の“魔法”とは、悪く言い換えれば“洗脳”だ。(略)すべてが甲子園に通じているという強烈なまでの刷り込みが、選手から思考することを平気で奪い去っていた。
しかし、今回だけはその魔法が通用しない。甲子園のない夏なのだ。「どうして自分は野球を続けるのか」ということから始まり、選手たちは自らの頭で考えなければならないことばかりである。苦しみ、悩み、もがいた先に、彼らは自分たちの言葉をきっと得る。>

迷い、葛藤は、監督たちも同様です。指導者にとっても単純な「正解」の見える夏ではありません。取材の初日に、「今後、もし辞めたいと言い出す3年生が現れたら、どんな言葉をかけますか?」と尋ねると、済美の中矢太(なかやふとし)監督は、

「それは、尊重してやらんといけないでしょうね。僕は選択をなるべく選手たちに委ねる、そうすることが責任感を育(はぐく)むと言い続けてきましたから。辞めると決めた者がいるなら、聞き入れてやらんといかんでしょう」

と答えます。星稜・林和成(かずなり)監督は、

「もし仮にそんな選手が出てきたとしても、私は辞めることを許しません。(略)やっぱりそこはブレたらいけないと思うんです。辞めると言ってくる子はいないと思っていますが、もし仮にいたとしても私は絶対に認めません」

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「野球をするために星稜に入ってきて、自分は最後までやり切った、みんなでこれだけしんどい思いをしたということの方がはるかに心に刻まれているんです。(略)それは甲子園以上に大切なことなんじゃないかと思うんです」

40代半ばの両監督。早見さんとは同世代という心やすさもあって、ともに「悩める」素顔をあえて隠そうとはしていません。

「正直、僕はいろんなことに自信がないけん、たくさんの人から話を聞いて、たくさんの人に話を聞いてもらって、自分の立ち位置とか考え方、自分が正しいのか、正しくないのかを判断したいと思っているんです。それが早見さんの取材を受け入れようと思った一番大きな理由です」(中矢監督)

林監督からも言われます。

「監督としてぶれてはいけないと思ってこれまでやってきたんですけど、早見さんと出会って、あまりにもしつこく『その言葉は本当に選手たちに届いていると思いますか』と問われるもので、俺の言葉は本当にちゃんと届いてるのかって不安になってきちゃったんですよね。当たり前のことなんですけど、迂闊なことは言えないなって前よりも強く思うようになっています」

最後の夏の代替大会。3年生だけで戦うのか。ベストメンバーで本気で勝ちに行くべきなのか。監督もまた手探りです。

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その間ずっと、著者は監督、選手らとひたすら対話を繰り返します。どんな言葉がやりとりされたか、詳しくは本に譲りますが、取材の大詰めで立ち会った2つの場面は印象的です。

一つは、ベスト4に終わった愛媛県の代替大会の試合直後、済美の3年生たちが大粒の涙をこぼします。甲子園が中止と決まった5月には「代わりの大会があったとしても本気にはなれない」「甲子園に通じていない試合に意味はない」と口々に言っていた選手たちです。23名の3年生が、一人も欠けることなく最後の試合に臨みます。

試合後、記者の囲み取材を終えた山田キャプテンが、ゆっくりと早見さんのもとにやってきます。

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<「泣いちゃいました」
そう照れくさそうにはにかむ山田に、僕は「どういう涙?」と質問した。
取材慣れし、いつも尋ねられたことにすっと答える選手だ。その山田が、一瞬、考え込む仕草を見せた。
「なんかやり切れたなって思ったんですかね。絶対に泣かないと思ってたんですけど、みんなの顔を見たらダメでした」
「またあらためて聞かせてもらうけど、どういう三ヶ月だった?」
「そうですね。苦しいことばかりでしたけど、楽しかったです」
「甲子園はなかったのに?」
「はい。こんなこと言ったらまた怒られるかもしれないですけど、だから楽しかったのかもしれません」>

星陵の内山キャプテンも「子どものような笑み」を浮かべます。春のセンバツに出場する予定だった32校を招いた、甲子園での1試合だけの「交流試合」。最終打席、思い切り振り抜いた一打がレフトフライに終わった直後です。

「三年間が終わって安心したという気持ちもあったかもしれませんが、最後の最後で心から野球を楽しいと思えたので、そのうれしさが出たんじゃないかと思います」

「中学、高校で一番大切なものを見失っていた自分がいて、最後の最後でそのことに気がつけました。コロナがなかったらなかったことだと思います」

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この本は、最初から著者の動機が明確でした。

<僕は素直に彼らに教えを請いたかった。裏を返せば、彼らを利用しようとしたのだと思う。(略)
こんなにも謙虚な気持ちで、かつ申し訳ないと思いながら取材に向かったことはなかったと思う。(略)
そうして三ヶ月間、彼らの大切な時間と場面に立ち会わせてもらい、僕は自分の心が少しずつ解(ほど)けていくのを感じていた。(略)
この「甲子園がなくても野球が楽しかった」、あるいは「甲子園がないから野球を楽しめた」という言葉に、僕は救われる思いがした。小説を書くことは苦しくても、書くことでしか満たされない自分がいる。デビュー当時、ただ書くことに喜びを感じていたはずの自分が、いつしか頭でっかちになっていた。
何を書くのか、なんのために書くのかなど二の次でいい。(略)
この取材を終えた頃には……、いや、本当はもっと前からだ。僕は早く小説を書きたくて疼(うず)いていた。>

言うまでもなく、これは作家・早見和真だけの問題ではありません。それまでの“当たり前”がことごとく覆されていった2020年を過ごした誰もが抱える、切実で、ヒリヒリするような葛藤です。

「将来、この夏を経験したみんなが社会のど真ん中で活躍しているべきだと本気で思っています。三ヶ月間、本当にありがとうございました」

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(写真提供・新潮社)

早見さんは、選手たちに謝辞を述べます。おそらく10年後、20年後、「この夏」をくぐり抜けた選手たちに、監督に、それぞれの「正解」の続編を、改めて「会って、聴いて」くれるものと思います。

2021年4月8日
ほぼ日の學校長


*次回の配信は4月22日の予定です。
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(また次回!)

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