外出自粛暮らしが2ヵ月を過ぎ、
非日常と日常の境目が
あいまいになりつつあるようにも思える毎日。
でも、そんなときだからこそ、
あの人ならきっと「新しい思考・生活様式」を
身につけているにちがいない。そう思える方々がいます。
こんなときだからこそ、
さまざまな方法で知力体力を養っているであろう
ほぼ日の学校の講師の方々に聞いてみました。
新たに手にいれた生活様式は何ですか、と。
もちろん、何があろうと「変わらない」と
おっしゃる方もいるでしょう。
その場合は、状況がどうあれ揺るがないことに
深い意味があると思うのです。
いくつかの質問の中から、お好きなものを
選んで回答いただきました。

前へ目次ページへ次へ

第19回 「会いたい人」「会いたくない人」の大切さ 永田和宏さん(歌人・細胞生物学者)

長い間、歌と科学のふたつの世界で
生きてこられた永田和宏さん。
ほぼ日の学校の万葉集講座・第4回の授業では、
「万葉集の専門家ではない」とおっしゃりながらも、
山上憶良と大伴旅人の交流を中心に、
令和の原典となった「梅花の宴」について
元号発表よりも前に語ってくださっていました。
二度目の登壇となった第8回の授業では、
歌仙の「さばき手」として受講生のみなさんを
この風雅な遊びにいざなってくださいました。
選者を務められる朝日歌壇には、
「コロナの時代の歌」が数多く寄せられ、
生物学者としてもウイルスとの共存についての
寄稿を求められ、多忙な毎日のなか、
「新しき生活様式」について書いてくださいました。
生物学者はこの時代に何を見るのか、
含蓄あるエッセイをお楽しみください。

●中断した旧東海道歩き

旧東海道を歩いている。
歩いていたと言うべきか。
新型コロナウイルスのせいで、
途中でストップしたままでなのである。

東京都総合医学研究所理事長の田中啓二さんとは
長い付き合いである。同じサイエンスの分野で、
気の置けない同世代の仲間が七人おり、
いつしか「七人の侍」などとも言われてきたのだが、
仲間の一人の、大隅良典さんが
ノーベル賞をもらったものだから、
なんだか「七人の侍」もよく知られるようになった。

ある時、田中さんと飲んでいたら、
自分は理事長になって時間ができたので、
日本橋から東海道を歩こうと思っていると言う。
こういう時、乗りのいいのが私で、
「それじゃあ、あなたは日本橋から歩きなよ。
俺は三条大橋から歩くからさ」と
乗ってしまったのである。どこか途中で出会い、
そのまま擦れ違ってそれぞれ京都、東京の
ゴールまで行こうと、
なんだかヘンに盛り上がってしまった。
もちろん一人で歩くのだが、
まあ、ご苦労なことではある。

ご存知のように、東海道は53次である。
53宿のうち、一回に歩くのは、
だいたい2宿か3宿分、
20キロから30キロのあいだくらいだろうか。
新幹線に乗って、近くまで行き、
さらに在来線に乗り換えて、
前に歩いたところまで行って、
そこからスタートするのである。


野村一里塚

だんだん遠くなると、
その日のスタート地点まで到達するのに、
優に3時間はかかる。まったくご苦労なことだ。
会議などで朝6時に家を出るなどは
断固拒否するわけだが、なぜかこのときばかりは
6時に家を出るのも苦にならないからげんきんなものだ。
昔、遠足の日だけは早起きが苦にならなかったのと
同じ原理だろう。

歩いていると、いろいろ発見があって楽しいものである。
「一里塚」なんて言葉は、
現在は比喩としての意味しか持たないが、
実際に旧東海道を歩いていると、ほぼすべての一里塚が、
いまでも残り、保存されている。
一里塚に達すると、ああ4キロ歩いたかと、
安心もし、ある種の達成感もある。
あの時代に、よく整備したものだ。


池鯉鮒宿 ちりゅうしゅく 問屋場之跡。
愛知県 知立 ちりゅう 市の「ちりゅう」は、昔はこう書いた。

当時は、東海道はほとんど
塵も落ちていなかったともいう。
幕府の命により、近隣の地域に
掃除が振り当てられていたらしい。
迷惑な話だが、流通を度外視しては、
経済も幕府も持たないということでもあったのだろう。


大平一里塚

●寒々としたソーラーパネル

現在の風景で言うと、
ソーラーパネルの多さに驚くことも多い。
ソーラーは持続可能エネルギーとして、
時代の先端と思われているだろうが、
実際にいろいろな場所で目にするソーラーには
逆の思いを抱くことも多い。

特に、田んぼがソーラー畑になっているのを見ると、
新時代という感想などはどこかに飛んでしまって、
第一次産業の衰退ばかりが
印象づけられることにもなるのである。
ああ、後継者がなくて、結局、
少しでも収入が入るソーラーにしたのかとも
思わざるを得ない。
常にパネルの影になっているせいだろうか、
草も生えない田んぼに
ソーラーの鈍い光が続いているのは、
寒々とした風景でもある。

●時ならぬ宴会

この旧東海道歩きは、実は去年は二人とも
とても快適に距離を稼ぎ、53次のちょうど中間点、
27宿目の、 袋井宿 ふくろいしゅく までは歩いたのである。
京都から言うと、浜名湖を越えて4宿目。
260キロ以上を歩いたことになる。
この時だけは、二人で相談し、
一緒に袋井の宿へ到達して、
その夜は宴会をしようということにしていた。
楽しみである。

ところが、その話を聞きつけた
七人の侍の面々まで、
なぜか集まって一緒に飲むということになってしまった。
その奥さんや、それ以外の特別参加の友人も含めて、
なんと総勢十人ほどが袋井の宿に集結。ホテルに泊まり、
時ならぬ宴会となってしまったのである。

こんなばかげたことをやっている二人も
ご苦労なことだが、それに九州や大阪、東京などから
集まって来る連中も、それに劣らずヘンな連中である。
やれやれである。


袋井の宿に集結して宴会。
永田さんの隣(左から二人目)が田中啓二さん。

まあ、こんなどうでもいいことに
本気になってしまうのが、科学者の本領でもあり、
その夜は遅くまで、わいわいと
楽しい時間をすごしたことは言うまでもない。
袋井のあと、一回だけ歩き、 金谷宿 かなやしゅく まで行ったところで、
今回のコロナで中断の止むなきに到った。
言うまでもなく、これなどは「不要不急」の
最たるものだろう。中断は当然である。
そろそろ再開も可能かと思いつつ、
二人ともまだ果たしていない。
歩けない、というフラストレーションがたまっている。

●「七人の侍」のオンライン飲み会

今回のコロナ禍で、特に顕著になったのは、
人と人との関係の取り方ではないかと、
私は思っている。
これまで、なんとなく付き合ってきた人たち、
たとえば職場での付き合い、友人たち。
そんななかで、会うことを禁じられて、
ほんとうに会いたいと思える人の顔が、
あぶり出しのように自然に うか び出してくる。
そんな感じを持つことはないだろうか。

しがらみのなかで 仕方なく付き合ってきた人たちとは、
付き合わなくてもいい
絶好の言い訳ができたわけだが、
一方で、さほど親密なわけではないのに、
こういう時期だからこそ
なんとなく会ってみたいと思う人も、
思い浮かぶわけである。

私たちが、普段いかに、なし崩し的に、
あるいは習慣的に人と会っていたかに
改めて注意が及ぶ。
そして誰がほんとうに会いたい人なのかにも
おのずから思いがおよぶというものである。

そんななかで、例の「七人の侍」たちが、
誰言うこともなく、
オンライン飲み会をしようかということになった。
ついでに言っておくと、
みんな70歳を越えた爺さんばかりである。

しかし、本当を言うと、オンライン飲み会などは、
ほんらい年寄りにこそ向いているものなのである。
よろよろ出かけなくとも、会いたい友人とは、
家にいながらにして会うことができ、
しかも飲んだりまでできるのだから。

と、言うわけで、件の侍たちは、
いまや二週間に一度くらいは、
東京、京都、九州などから飲みに「集まって来る」。
だいたい科学者といえども、われわれ全員、
きわめてアナログ人間ばかり。
もっぱらZoomを使っているが、自慢じゃないが、
まだ満足に全員がそろったことがないのも
愛嬌というべきだろうか。


zoom飲み会

こうして、ほんとうに話したい連中ばかりと
自在に会えることは、いいことではある。
しかし、とも思う。
しかし、これはけっこう危険なことなのかもしれない。
会いたい人間とだけ会って、
煙たい奴、価値観の違う奴、嫌いな奴、
自分に対立してくる奴、
そんな面倒な奴らとは付き合いたくないと
思ってしまうことも事実であろう。

いきおい、会うのは、
自分と意見を同じくする連中とばかり、
同じ趣味を持ち、同じ政党を支持し、
同じ価値観を共有する連中ばかり
ということになりかねない。

●ホモジーニアスになると
失われるもの

そんな現象について、
いい悪いを俄に言うのは慎んでおくべきだろうが、
私の信念として、付き合っている連中が、
ホモジーニアスになっていくとき、
それはとりも直さず、
その人間の活力の低下しているときだと思っている。

それを社会という単位で見るとき、
会いたい人間だけには会うが、
会いたくない人間には会わないという風潮が
社会全体に浸透していくのは
危険なことでもあるはずである。

ここで社会の「分断」などと
大ナタをふるう必要はないだろうが、
このコロナによる自粛と、
人と会うことへの注意が、知らず知らず、
自分の安心できる仲間だけを囲い込むという形で
顕在化していくとしたら、それは
とても危険なことであるに違いないとも思うのである。

自分がほんとうに会いたい人は誰なのかと、
いま一度本気で考えさせてくれたことは、
このコロナ禍のポジティブな側面であると思う。
一方で、趣味や趣向や性癖を同じくする
人間ばかりが集まって、
それ以外の人間とは付き合いたくないという
風潮が蔓延するとすれば、
それはあきらかに、コロナの功罪の罪の部分に
相当するだろうとも思うのである。

プロフィール

歌人。細胞生物学者。「朝日歌壇」選者。宮中歌会始詠進歌選者。京都大学名誉教授、京都産業大学総合生命科学部教授。短歌結社「塔」を2015年まで主宰。『歌に私は泣くだらう 妻・河野裕子 闘病の十年』『タンパク質の一生』『生命の内と外』『近代秀歌』『現代秀歌』『人生の節目で読んでほしい短歌』など数多くの著書と、『メビウスの地平』『荒神』『後の日々』『永田和宏作品集』など多数の歌集がある。2020 年4月よりJT生命誌研究館館長。

(つづく)

2020-06-09-TUE

前へ目次ページへ次へ