家で過ごすことが増えたいま、
充電のために時間をつかいたいと
思っていらっしゃる方が
増えているのではないかと思います。
そんなときのオススメはもちろん、
ほぼ日の学校 オンライン・クラスですが、
それ以外にも読書や映画鑑賞の
幅を広げてみたいとお考えの方は
少なくないと思います。
本の虫である学校長が読んでいる本は
「ほぼ日の学校長だより」
いつもご覧いただいている通りですが、
学校長の他にも、学校チームには
本好き・映画好きが集まっています。

オンライン・クラスの補助線になるような本、
まだ講座にはなっていないけれど、
一度は読みたい、読み返したい古典名作、
お子様といっしょに楽しみたい映画や絵本、
気分転換に読みたいエンターテインメントなど
さまざまな作品をご紹介していきたいと思っています。
「なんかおもしろいものないかなー」と思ったときの
参考にしていただけたら幸いです。
学校チームのメンバーが
それぞれオススメの作品を
不定期に更新していきます。
どうぞよろしくおつきあいください。

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no.31

『独立国家のつくりかた』

チェンジじゃなくてエクスパンド

 

 

『独立国家のつくりかた』
坂口恭平(講談社現代新書)

 

人は、だれかと出会ったとき、
その人のことを「肩書」や「属性」で
理解したような気になったりします。
「学校の先生」、「会社員」、「お医者さん」、
「スポーツインストラクター」、「詩人」などなど。
はたしてほんとうにそうでしょうか。
それでなにかわかっているのでしょうか。
『独立国家のつくりかた』の著者である
坂口恭平さんの紹介には、
つぎのような肩書がついています。

「建築家・作家・絵描き・踊り手・歌い手。
二〇一一年五月、新政府を樹立し、
初代内閣総理大臣に就任。」

「まえがき」で彼はこう言います。

「はじめまして。坂口恭平です。
職業はいまだによくわかっていません。」
そして
「でも、やっている仕事自体ははっきりしている。」
と。

このタイトルにあるように、
彼は「独立国家」をつくりました。
その理由は、自身が抱えていた子どものころからの質問に
だれも答えてくれなかったから。
冒頭、その質問を読者であるわたしたちも投げかけられます。

「こんな質問をあなたの子どもがしたらなんと答えるだろう。」

1 なぜ人間だけがお金がないと
生きのびることができないのか。
そして、それは本当なのか。

2 毎月の家賃を払っているがなぜ大地にではなく、
大家さんに払うのか。

3 車のバッテリーでほとんどの電化製品が動くのに、
なぜ原発をつくるまで大量な電気が必要なのか。

4 土地基本法には
投機目的で土地を取引するなと書いてあるのに、
なぜ不動産屋は摘発されないのか。

5 僕たちがお金と呼んでいるものは
日本銀行が発行している債権なのに、
なぜ人間は日本銀行券をもらうと
涙を流してまで喜んでしまうのか。

6 庭にビワやミカンの木があるのに、
なぜ人間はお金がないと死ぬと勝手に思いこんでいるのか。

7 日本国が生存権を守っているとしたら
路上生活者がゼロのはずだが、
なぜこんなにも野宿者が多く、
さらには小さな小屋を建てる権利さえ剥奪されているのか。

8 二〇〇八年時点で日本の空き家率は13.1%、
野村総合研究所の予測では二〇四〇年には
それが43%に達するというのに、
なぜ今も家が次々と建てられているのか。

だれもがふと胸にいだいたことがあるような疑問です。
でも、目の前にある生活を送るなかで、
「まぁそういうものだし」と
考えることを放棄してしまったのではないだろうか。
そして、わたしたちはそれを「大人の態度」だと
思っているのではないだろうか。

この本は、そんな問いかけにあふれています。

坂口さんがこの「職業不明」の生き方を選んだのは、
大学4年生のとき、就職活動もせずに
隅田川沿いをぶらぶらと何かを求めるように
歩いていたときの出会いがきっかけでした。
それは、ホームレスと呼ばれる
路上生活者たちとの出会いです。
そこには、坂口さんの
その後の思考の萌芽があったと言います。
路上で生きる彼らは、
わたしたちが「常識」だと思いこんでいる世界とは
まったく別の層(レイヤー)に生きていた、と。

ある路上生活者の小さなブルーシートハウスを訪ね、
「狭くて大変じゃないですか?」と聞いたとき
返ってきた答えに、それまで持っていた所有の概念、
住むということの考えが覆されます。

「いや、この家は寝室にすぎないから」

つまり、この世界すべてが彼にとっては大きな家なのです。
これは「共有」とも違う、
まったく新しい所有の在り方でした。
彼らとの出会いで、
ウロコがポロポロとこぼれおちていくように
坂口さんの目は開かれていきます。
彼らは、社会を変えようとするのではなく
別の視点から眺めることで
自分独自の世界を生きていたのです。
そこから路上生活者たちの生活の
徹底的なフィールドワークを重ね、
坂口さんの「国づくり」の方法論が生まれます。
「変える」のではなく、
既存のものがもつ多層なレイヤーを認識し
「拡げる」のだと。
そして、その開かれた目の前には
これまで見ていたものとは違う世界が広がります。

それまで当たり前のように目の前にあったのは
社会という単一のシステムでした。

「ただし、それは実は自分のシステムではない。匿名の社会が、匿名化したシステムを構築している。それは誰がつくったかと言うと、僕たちの無意識だ。知らぬ間に、自分のシステムを無視して、匿名化したシステムができる。もちろんそれは楽だ。考えないで済むからである。」

そんな無意識の社会の対極にいる「意識生活者」が、
隅田川の住人たちだったのです。
彼らは生きるために考えぬきます。
既存の仕組みに頼らない分、
自分たちの頭と身体をフルに使い、
通常わたしたちが「お金」という仕組みで手に入れるモノを
「拾う」という視点で街を眺めることによって手に入れます。
結果、そこには血の通った世界が生まれます。

「彼が拾ってきたものは単純な商品ではなく『感情』が入り込んだ自然物なので、彼の態度と直結する。(路上生活者の)鈴木さんは、これら集めてきたゴミを使って、自分の家だけでなく、人の家もどんどん建ててあげた。そこに損得という感情はなく、むしろこのゴミが活躍する場を拡げてあげたいという希望がある。これが人間関係というものだ。(‥‥)
その場は贈与と技術で満ちていた。」

坂口さんが「新政府」を立ち上げた出発点は、
誰もが一度は胸にいだいたことのある疑問でした。
ただ彼が違っていたのは、
「そういうものだ」と諦めず、
「なんとかしよう」と少しでも行動したことです。

その行動を坂口さんは「態度経済」と呼びます。

「このように自分が実現したい行動を、自らの態度で示すことで実現させる経済の在り方を、僕は『態度経済』と名付けた。これまでの貨幣経済、資本主義経済ではなく、態度をもとに人々の交易、貨幣の交易を実現する経済。それはまた、路上生活者たちの行動から影響を受けて考え出した経済でもある。モノの交換ではなく、態度の贈与によって発生する経済なのだ。」

この本のタイトルは抽象的なものではなく、
坂口さんは行動することで
嘘偽りなく「独立国家」をつくりあげました。
一見突拍子もないように思える
「独立国家」という考えですが、
読み進めていくうちに、これは誰にでも実現できる
地に足のついた考え方なのだと気が付きます。
そもそも自分というものをひとつの国だとすれば、
そこは自分が治めているのです。
おおきく「変える」のではなく、
ただ、別のレイヤーで眺めることで「拡張」すればいい。
クーデターを起こす必要はなく、
ここで繰り広げられる「独立国家をつくる」とは
つまり「自分になること」なのです。
「自分の目で見て」「自分の頭で考える」こと。

「社会を変えよう」というスローガンは、
いろんなところ、いろんな形で耳にしますが、
この本が既出のものとなにか違い
机上の空論に感じられないのは、
そこに彼の「身体」を感じるからだと思います。
路上生活者たちといっしょに街を歩き、
自分自身もひたすら考え、
身体を動かし、人と出会い、行動にうつす。
そしてそれを繰り返す。
その結果、実際彼のまわりで世界が変わりつつあります。

知らないところでほんとうに世界が変わってきている。
そう思うとドキドキしました。
ここには、これからの新しい生き方へのヒントが満ちています。
「肩書」はいらない。「自分は自分」でいいのです。

さて、わたしも自分を生きなくては。

(つづく)

2020-05-29-FRI

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