
フランス・パリで暮らしている
猫沢エミさんの
SNSやエッセイで綴られている暮らしは、
トラブル続きのように見えますが、
ユーモアを持って軽やかに生きている印象です。
一方、パリに移住したばかりの
ライター・冨田ユウリさんは、
デモやストライキ、スリ、言葉の壁と戦い、
しまいには鍵が壊れて部屋に入れなくなる事件までおき、
心が折れそうになることがしばしば。
誰かに勇気づけてもらいたい‥‥!というわけで、
パリに住む先輩、猫沢さんのもとを訪ねました。
その“たくましさ”はどこからくるのか、
強く生きるヒントを聞きました。
猫沢さんの言葉はどこで暮らしていても
自分らしく生きるためのヒントになるはずです。
猫沢エミ(ねこざわ・えみ)
2002年に渡仏。
07年までパリに住んだのち帰国。
2007年から10年間、
フランス文化に特化した
フリーペーパー『BONZOUR JAPON』の
編集長を務める。
2022年のコロナ禍に2匹の猫とともに再び渡仏し、
現在パリに在住。
最新の共著に小林孝延さんとの往復書簡
『真夜中のパリから夜明けの東京へ』がある。
そのほか料理レシピエッセイ『ねこしき
哀しくてもおなかは空くし、明日はちゃんとやってくる』、
エッセイ『猫と生きる。』、
自身の家族を描いたノンフィクション『猫沢家の一族』
など著作がある。
冨田ユウリ(とみた・ゆうり)
ライター。1995年生まれ。オペラ歌手の母の影響で、幼少期よりヨーロッパを度々訪れる。京都大学卒業後、テレビ局勤務を経てフリーランスに。2024年よりパリへ在住。ライフスタイルを中心に取材・執筆を行う。
- 猫沢
- (床に座ろうとするインタビュアーを見て)
あ、あの椅子使ってください。
(ベランダに出て、椅子を持ってきてくださる猫沢さん)
これね、道端で拾ってきたんです。
- ──
- ありがとうございます。
かわいい椅子ですね。
- 猫沢
- 春先に家の近所を散歩していて見つけたんです。
画家用の高いスツール。
パートナーが絵を描くので、
「ちょうどいいかも」って拾ってきたんですよ。
- ──
- 素敵ですね。
パリでは道端に家具や本が置かれていて、
誰かが持ち帰っていく光景をよく目にします。
- 猫沢
- そうですね。
みんな当たり前のように「何かないかな」って
探しながら歩いています(笑)。
そして気に入った物を見つけたら、勝手に持っていく。
- ──
- 日本ではあまりない光景ですよね(笑)。
蚤の市がよく開催されているように、
古い物を大切に受け継いでいく文化があるなと感じます。
- 猫沢
- ですよね。
(冨田さんは)日本にいたときみたいに、
パリで買い物します?
- ──
- いえ、なぜか物欲がめっきり減ってしまって‥‥。
- 猫沢
- ああ、わかる! 私も物欲がなくなった。
必要な物はもう持っているし、使えているし。
「これでいい」って感じ。
周りのフランス人も、ベースがケチというか、
節約して当たり前。
タダだったらなおよしというか(笑)。
レストランに行って外食することもあまりないですよね。
- ──
- それがリアルなパリですよね。
いわゆる“パリっぽさ”って、
綺麗な洋服で着飾って、おしゃれなレストランで食事して、
みたいなシーンを想像していたんですけど、
実際にはそういう場面はほとんどない。
- 猫沢
- そうですよね。
雑誌で紹介されるような、キラッとしたパリとか、
ドラマみたいな世界って、ごく一部。
すごくキラキラした部分と、
そうじゃない部分のレンジが広いですよね。
その両側を見たときに、
ああ、「パリって立体的な街だな」と思いますね。
- ──
- パリで生きていることを、
猫沢さんはどう感じていますか?
- 猫沢
- パリで暮らしていると、
フランス人、日本人、というような区切りじゃなく、
「私でよいのだ」という肯定感が自然と生まれるんです。
民族とか、性別とか、年齢とか、
バラバラの人たちがパリの街では混ざって生きていて、
みんな自分らしく好き勝手に生きている。
泣きたければ泣く、踊りたければ踊る。
格好も、「すごいなぁ」って思う人もたくさんいるんですよ。 - うちの近所のムッシュ(男性)に
おそらく舞台関係の仕事をされている方がいるんですけど、
手作りのキノコがいっぱいついた帽子をかぶっていて、
キノコ柄のシャツを着ている。
そしてすごく楽しそうに歩いているんです。
- ──
- よっぽどのキノコ好きなんですかね(笑)。
- 猫沢
- そんな格好で、日本で歩いていたら、
写真を撮られたりジロジロ見られたりすると思うんです。
けど、パリだと誰も変な目で見ない。
自分が好きな格好をして歩いているから、
自分らしく生きる権利があることを感じますし、
それが浸透しているのがいいなと思うんです。
- ──
- たしかに、私も日本にいるときより
服装とか見た目とか
全然人の目が気にならなくなって
好きな格好ができているかも。
- 猫沢
- ですよね。
私、日本の福島県で生まれ育ちましたが、
小さい頃は周りから浮きまくっていたんです。
顔は日本人っぽくないし、
言いたいことをはっきり言うので。
日本人というカテゴリーで生きているけど、
本当にそうなのかな、と疑問に思うこともありました。
とりあえず日本で生まれて日本人として育っているけれど、
もしかしたら広い世界の中で
自分に合った土地があるかもと思っていたんです。
- ──
- 猫沢さんにとって合う土地が、
このパリだったのですね。
日本にいたときは、もどかしい気持ちを
どう対処していたんですか?
- 猫沢
- うーん‥‥。
たとえば、学校でクラスメイトから
何か月も無視されていたことがあったんです。
それで「クラスの子たちから無視されていて
いじめられているのが嫌だから、学校に行きたくない」と
母に言ったことがありました。
そしたら母はにっこり笑って
「闘ってこい」って言ったんです。
「いいじゃない。自分の時間ができて。
誰も話しかけないんだったら、
集中して好きな本読むこともできるし」とも言われました。 - 母の言葉は、含蓄があるわけでもなく、
あまり何も考えずに言った言葉だと思うんですけど、
私はそのとき、
被害者の立場に押し込められる必要はないんだな
と思ったんです。
- ──
- 被害者の立場に押し込められる必要はない?
- 猫沢
- 人がわたしをいじめてくるとしても、
私はいじめられたと受け止めなくていいんじゃないかと
思ったんですよね。
いじめられたと思わないことを
選ぶこともできるんじゃないかって。
- ──
- 自分で、どういう立場を取るかを選ぶことが
できるということですか?
- 猫沢
- そう。たとえばパリの暮らしのなかでも、
いわゆる差別的なことに出くわすことは
珍しくないんですね。
差別的な言動に出会ったとき、
「傷ついた、悲しい」という反応を、
いつも取らなくてもいいんじゃないかなと思うんです。 - この前も近くの高級住宅地であるマダムから
すれ違いざまに
「ちょっと待ちなさいよ。
あなた、ぶつかってきたでしょう?」と言われたんです。
わたしとしてはぶつかってはなかったので、
「私は何も感じなかったけど、
あなたがそう言うなら、
それがあなたにとっての事実なんだろうから、
エクスキュゼモワ(ごめんなさいね)」
と謝りました。
それで立ち去ろうとしたら、また引き止めてきて。
「ちょっと待ちなさいよ、
そういうこと言ってるんじゃないわ!」と言われて。
「今謝ったよね? これ以上、何をお望み?」
と言い返しました。
そしたらマダムは軽く舌打ちをして去っていきましたけど。
- ──
- ショックですね‥‥。
- 猫沢
- 悲しいことですが、差別はなくならないと思います。
人間の社会には、誰かを排除したり
下に見ることでしか自分を守れない人がいる。
それを無くしていく努力は大事なんだけど、
自分が嫌なことをされたとき、
悲しむリアクションしかできないのかと言ったら
そんなことはないと思うんですよ。 - 私はその場で笑っちゃうこともあります。
「あなた、寂しい人ですね」って。
広い世界を知らないんだな、
狭い世界の中でなるべく保守的になろうとしていて、
それは恐れからきているんでしょって思いますね。
- ──
- たしかに、攻撃は恐れからくる行動なのかもしれませんね。
嫌なことをされたとき、
悲しむでもなく、我慢するでもなく、
ほかの選択肢があること、
そしてそれは自分自身で選べるということに
気づかされました。
(明日につづきます)
2025-12-18-THU
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『真夜中のパリから夜明けの東京へ』
(集英社)パリで猫と一緒に暮らす猫沢エミさんと、東京で暮らす『妻が余命宣告されたとき、僕は保護犬を飼うことにした』の著者で編集者の小林孝延さんの往復書簡。
もともと親交のあった2人が、大切な存在を失ったときにどうやって現実を受け入れるのか、それぞれが考えてきたことを手紙の手法で綴っています。お互いをいたわる文章に、心がじんわり温かくなります。

