ほぼ日のご近所で開催されたイベント
「なんだかんだ」の第3回は、
3月3日の「ひなまつり」におこなわれました。
この日にあわせて、在京テレビ局による
学生を応援するトークイベントが
「ほぼ日の學校」のスタジオで開催されました。
テーマは「あのころのわたしへ」。
会場に集まったのは、
各テレビ局で活躍するアナウンサーや記者、
総勢7名のみなさんです。
就職活動にはげむ学生さんたちを前に、
あのころの自分を思い出しながら、
それぞれの経験を語り合いました。
はたらく先輩たちからのエールを、
全8回でお届けします。

>伊東敏恵さんプロフィール

伊東敏恵(いとうとしえ)

1996年NHK入局。
『ニュースウオッチ9』『クローズアップ現代+』
『日曜美術館』キャスターを務める。
現在は管理職としてマネジメント業務をしながら
大河ドラマ『光る君へ』語り、
「映像の世紀バタフライエフェクト」ナレーションを担当。
岡山局、広島局、甲府局での
勤務経験(単身赴任含む)あり。高1の娘を育てている。

>鈴江奈々さんプロフィール

鈴江奈々(すずえなな)

2003年日本テレビ入社。
2006年から報道番組を担当し、2度の産休育休を経て、
現在は、平日の夕方のニュース番組「news every.」
メインキャスターを務める。
『ミンナが生きやすく』が番組コンセプト。
特に“子どもたちが生きやすく”という視点で自ら取材し、
放送・デジタルで発信している。

>森川夕貴さんプロフィール

森川夕貴(もりかわゆうき)

2016年にテレビ朝日に入社。
「サンデーステーション」や「報道ステーション」を経て、
夕方のニュース番組「スーパーJチャンネル」のメインキャスターを務める。
2021年に結婚、夫の海外赴任に帯同するため4月から休職
自身のインスタでアメリカ生活発信中。

>久保田智子さんプロフィール

久保田智子(くぼたともこ)

2000年にTBSテレビに入社。アナウンサーとして
「どうぶつ奇想天外!」「筑紫哲也のニュース23」
「報道特集」などを担当。
2013年からは報道局兼務となり、
ニューヨーク特派員や政治部記者などを担当。
2017年にTBSテレビを退社後、
2019年アメリカ・コロンビア大学にて
修士号を取得。現在は姫路市教育長。

>佐々木明子さんプロフィール

佐々木明子(ささきあきこ)

1992年テレビ東京入社。
学生時代はラクロス日本代表。
20代まではスポーツニュースやバラエティ担当。
30代からはニュース番組に
メインキャスターとして携わる。
現在はアナウンス部フェロー。
新番組「ブレイクスルー」(土曜10:30)を担当。

>佐々木恭子さんプロフィール

佐々木恭子(ささききょうこ)

1996年(株)フジテレビジョン入社。
アナウンサーとして情報番組・報道番組に
携わり、現在は「ワイドナショー」担当。
2021年より管理職。「働いてハッピー!」な
職場環境づくりを目指す。
趣味は宅トレとゴスペル。2児の思春期育児中。

>森田美礼さんプロフィール

森田美礼(もりたみれい)

1993年東京都生まれ。 新卒でTOKYO MXに入社し、
報道局の記者からキャスターに。 昨年度まで報道番組
「TOKYO MX newsFLAG」のメインキャスターや
政治記者を担当してきたほか、
女性の生き方を考える番組を企画し制作から出演を担当。
今年第一子を出産予定で4月から産休に入っている。

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第5回 罪悪感の正体は。

司会
今回のアンケートのなかで
一番多かったお悩みは、
結婚や出産に関することでした。
一同
あぁー。
司会
「結婚や出産のあと、
元の職場に戻れるのかが気になります」
「子育てと仕事の両立を
どのように行うのか想像できません」などなど。
ふたりのお子さんがいらっしゃる恭子さんは、
いまのお悩みを聞いてどう思いましたか。
佐々木(恭)
まずね、なんとかなります。
森田
心強い!
一同
(笑)
佐々木(恭)
なんとかなるから大丈夫(笑)。
とはいえ「がんばりすぎないで」とも
言っておきたいですね。
いま、フジテレビのアナウンス室では、
女性アナウンサーの3分の1以上が
育休後に復帰してきています。
もちろんみんなのがんばりもあるけれど、
多くの場合は無理なく復職できると思います。
時代は変わりました。
森田
変わりましたね。
佐々木(恭)
ただ、私自身、出産から復職までの道は
笑顔だけだったか‥‥というと、
残念ながらそうとは言えなくて、
そうとう歯を食いしばった思い出もあります。
とくに大変だったのは、
2012年に第二子を産んだあとですね。
夫が「海外に行こうと思う」と言い出したんです。
ただ結婚するときに
「お互いやりたいことは応援しよう」と
約束していたので、
「行っておいで」と送り出しました。
そういうわけで、
日本でふたりの子を抱えて5年間のワンオペ。
いまになって振り返ると、
自分でも「どうやってたんだろう?」と思います。
森田
すごいですね。
佐々木(恭)
まあ、なんとかやっていたとは言え、
くじけそうになったこともいっぱいありました。
当時は仕事場でも、子どもと過ごすときも、
ずっと「罪悪感」と戦っていました。
そのころは土日も仕事をしていたので、
子どもの行事に行ったときも
途中で「ごめんね」と子どもに伝えて、
その場を抜けないといけませんでした。
一方、職場で取材をしていても、
「そろそろ保育園のお迎えの時間だ」と思うと、
「早く取材終わらないかな‥‥」
みたいな気持ちになってしまったり。
そんな気持ちで現場にいることにも
「ごめんなさい」とずっと思っていました。
だから当時は、どこでなにをしていても、
ずっと「ごめんなさい、ごめんなさい」と
言っていたような気がします。

司会
それがずっとつづくというのは、
かなり辛い状況ですよね。
佐々木(恭)
そうなんです。
そんな精神状態がいいわけがない。
それでこの罪悪感を生み出している
「思い込み」を捨てようと思いました。
「できない」じゃなくて
「どうやったらできるのか」を考えようって。
具体的には
「全部自分ひとりでやらなきゃ、
という思い込みをやめて、
どんどん人を頼ろう」と考えました。
当時そばに住んでいた両親を頼ったり、
お金はかかりましたが
シッターさんや家事代行も頼みました。
そうやってたくさんの人の力のおかげで、
なんとかやっていけたという感じです。
でも「頼っていい」と思うまでには、
やっぱり時間がかかりましたね。
鈴江
いまの話、すごくわかります。
私はいま、まさに育児と仕事の両立に
取り組んでいるところなんですが、
恭子さんのお話にあった罪悪感は、
私のなかにもずっとありました。
なんで「罪悪感」が生まれるのか考えると、
「女性がするべき」とか
「母親がするべき」のような価値観を
知らず知らずのうちに刷り込まれているのが、
少なからず原因になっているように思うんです。
佐々木(恭)
あぁ、そうかもしれない。
鈴江
いまさらながらですが、
結婚したあとに
「あれ、私なんでなにも考えずに、
夫の姓にしたんだろう」と思ったんです。
姓が変わると面倒なことがいっぱいあります。
仕事は旧姓のままつづけているので、
本名と違うという理由で、
書類が通らなかったりすることもあります。
他にも私が出張していると、
「鈴江さん、小さいお子さんいるのに大丈夫?」
ってまわりが心配してくれるんです。
そういう声かけって
「夫も職場でされているんだろうか?」とか。
そういう当たり前に思ってることを、
少し疑ってみたり、声に出して共有してみる。
そういうことをしてみるだけでも、
周囲の意識を変えていく一歩になって、
育児との両立もしやすくなるように思います。
伊東
まさに「思い込み」は、
可能性を狭めるなって思いますね。
私は娘が小学生のときに転勤が決まって、
子どもをパートナーに託して
単身赴任をすることにしたんです。
首都圏近郊だったので
週末は家に帰っていたんですけど、
そのとき先輩に
「お子さんを置いて単身赴任なんてかわいそう」と
涙目で言われたことがあったんです。

伊東
でもその転勤自体も、
将来的に部下をきちんと育てていくため、
単身赴任でキャリアを積みたいと思って、
みずから選んだ選択だったんです。
だから、先輩から
「かわいそう~、大変だね」と涙目で言われて、
思わず「クッソ‥‥」と。
一同
(笑)
伊東
あ、いえ「このー」って言ったんです(笑)。
佐々木(恭)
そのようなワードを‥‥(笑)。
佐々木(明)
でも、心から出た言葉だから。
伊東
「このー、じゃあやってやる!」って。
「単身赴任は男性がするものだ」という
思い込みを払拭したくて、
「キャリアも育児も両立してやる」と思いました。
結果、娘はすごく自立的な子どもになりましたし、
夫が自然と家事をやってくれたこともあって、
単身赴任していた当時の家族関係は、
いま思えばとても平和だった気がします。
一同
おぉーー。
伊東
ただ、きょうはたまたま、
育児にかかわっている女性が多いですけれども、
大変なのは育児だけではないです。
自分自身の病気のこと、親の介護のこと、
さまざまな大変な局面が人生にはあります。
そのときどきに、自分で選択して、
仕事と両立していかなければなりません。
なので、どんな道であっても、
みなさんそれぞれが納得して歩んでいける
選択をしてくれたらいいなと思います。
佐々木(明)
この流れで話しますと、
私は育児の経験がありません。
夫が大病をしたこともあって、
自然に子どもを授かることが難しいということを、
結婚前にふたりで話し合って、
子どものいない生活を考えていこうと決めました。
ただ、結婚後に不妊治療の技術が
進んだということもあって、
「トライしてみよう」という時期はありました。
その当時はちょっとキツかったです。
お金もかかりましたし、治療していることを、
気軽に口に出せる時代でもありませんでした。
ですが、そのとき歯を食いしばって努力して、
子どもを持たないことを再び受け入れた結果、
私はいまこうしてここにいます。
こういうふうに自分が納得して選んだ道です。
さまざまな生きかたが選べるようになったいま、
一番大事なのは
「自分が納得しているのかどうか」だと思います。
そしていまは自分たちで
制度や意識を変えることができる時代です。
つらいことがあったら、声を上げてください。
きっと仲間がサポートしてくれますし、
解決しようとしてくれるはずです。
決して自分の道を狭めないで、
どうか周囲に対しても
オープンマインドでいてください。

(つづきます)

2024-06-05-WED

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