
- 岡山に暮らしています。
広島の隣県なので、地元紙では原爆の話題はしょっちゅうです。
息子たちも、一度や二度ならず、
学校で戦争の話に接しているはずです。 - そして、わたしです。
小2のときの担任の先生、片岡光先生。
若くて、走るのは速くて、
かっこいいバイクに乗っていて、人気でした。
この先生が、広島の原爆について
すごく熱心に教えてくださいました。
大きな白黒の写真をたくさん持ってこられ
クラス全員に繰り返し見せては話をされました。
石段に焼きついた影。
大きく爛れた背中のやけど。
皮膚に焼き付いた洋服の柄。
炭になったお弁当箱の中身。
あっという間にトラウマになり、
夜は窓についた汚れが
「今まさに落ちてこようとする原子爆弾」に見えて
布団の中で体を丸めて泣いたものです。
また、毎日朝8時15分が恐怖でした。
8月6日と9日なんて、もう大変です。
極力一人にならないように、
必死で母の後ろを追って過ごしました。
そんなに怖いのに、どんな経緯だか
その年の読書感想文を
絵本「ひろしまのピカ」で書いてしまいました。
賞はいただいたけれど、書いた後は加速度的に怖くなり
こんにちに至るまで、あの本には指一本触れられません。
ちなみに、学級文庫には、ずらりぎっしり「はだしのゲン」。
目についた本は全て読む性分だったので、
これもまんまと全巻読んでしまいました。
原爆のシーンも怖かったですが、
ゲン一家を非国民と呼ぶ人たちや、
被爆した人を差別する人たちの
表情のない白目がいちばん怖かったです。
もう、戦争を追体験したレベルで
魂に反戦反核が染み付いています。
夫も同じ岡山育ちですが、
わたしの受けた反戦教育の話をしたら絶句していました。
ここまでの戦争授業は受けていないそうです。 - 中学のとき、学年主任だった森先生から聞いた話。
毎朝の朝礼で
「奉安殿が開けられる時、
頭を下げて最敬礼をするのだが、
生徒は中を見たくてつい顔を上げる。
顔を上げると、前に立って見ている先生からは
ひょこっと頭が上がるからすぐバレる。
わたしはちゃんと考えて
膝を少し余分にかがめてから顔を上げたから、
バレずに奉安殿の中の御真影が見られた」
と戦時中悪ガキの実態を教えてくれたものです。
この先生からは、南京大虐殺の話を聞きました。
細かいことは記憶の彼方ですが
妊婦さんの腹を切って、赤ちゃんを‥‥という話、
また、日本兵は中国の兵のことをチャンコロと呼んだのだ
という話が妙に記憶に残っています。
チャンと鉄砲で撃ったら
(当時の日本軍の銃の銃声はそう聞こえたそうです)、
コロと死ぬからだというのです。
そんな尊厳も何も無視した酷い話はないでしょうと
ひどく心がざわつき憤りを覚えたものです。 - 戦争は被害も大きく深いけど
加害の事実も重く重く残るのだと
幼い心に刻まれました。
先生方、いまどうしておられるかしら。
森先生、お名前はフルネームで森茂といわれ、
あだ名は「ジャングル」と呼ぶようにとご本人の指定でした。
面と向かってジャングル呼びをするような
剛の者はいなかったけれども。
もしお会いすることが叶うなら、
たくさんのお礼をお伝えしたいです。 - (タナボタばんざい)
2025-11-12-WED

