
- わたしの祖父母は戦時中の世代ですが、
残念ながらみなもう亡くなってしまい、
話を聞くことはできません。 - わたしの母方の祖父の戦地は沖縄でした。
わたしが小学生のころ、
学校の先生にじいちゃんの戦地が沖縄と言ったら、
「あの沖縄から生きて帰ってきたのがすごい」
という驚きのリアクションをされたのを
すごく覚えています。
だから当時、詳しく知らなかったわたしは、
生きて帰ってきたじいちゃんはすごいんだなぁと
思った記憶があります。
祖父から聞いた話は、
3回くらい死にかけたことがあったということと、
捕虜になったときに
「黒ちゃん(黒人さんのこと)が優しかった」と
言っていたことくらいです。
おもしろい祖父だったので、
「わからん」というときに
「アイロン・ノー(I don’t know)」
と身振り付きで言っていて、
わたしたちはおもしろくて笑っていましたが、
いま思えば、捕虜のときに
そんなふうに言っていたのかもなぁと思います。 - 大人になってから、沖縄戦の凄惨さや、
日本の軍人による民間人への酷い仕打ちがあったと
知りましたが、
亡くなった祖父には実際どうだったのか聞けないし、
生きていてもストレートには聞けない気がします。 - 祖父の妹の夫は、祖父と同級生で健在です。
福岡と熊本の県境の地に暮らしています。
100歳を超えられ、こんなに生きてるなんてびっくりだと、
運が多分にある気がすると言って、
戦時の話をしてくれました。
みんなが南に行かされたけれど、
なぜかお前は北に行けと言われ
配属が小倉(北九州市)で戦争でも死なずに済んだ、
と言っていました。
小倉は、長崎に原爆が落ちた日に曇っていたから、
ターゲットにならなかった地でもあります。 - 祖母からは一度も
戦時中の話は聞いたことがありませんでした。
父方の祖母は、戦時中か戦後すぐに
第一子を栄養失調で亡くしています。
子を持ついま、これがいかに辛いことかわかります。 - わたしは、福岡出身で
小学生のころは毎年戦争のことなどを
「夏休みの友」というワークで触れる機会がありましたが、
自分の子どもが戦争のことを習う機会は、
ほとんど無さそうです。
関東で育った夫ともよく話しますが、
とくに原爆については
西日本の人ほど、教育の場で触れられることはなかったと
言っています。
福岡の高校の友人は、毎年夏に恐怖心を植え付けられ
(南京虐殺の白黒写真など)
トラウマになるよりマシではないかと言っていましたが、
繰り返さないためには、
戦争はしてはいけないということを
教育で触れることも大事ではないかと
個人的には思っています。 - みなさんの記憶を知ることができる場があることは、
とても意味があると感じています。 - (のや)
2025-10-28-TUE

