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読者のみなさんから届いたお便り #79

 
わたしの祖父母は戦時中の世代ですが、
残念ながらみなもう亡くなってしまい、
話を聞くことはできません。
わたしの母方の祖父の戦地は沖縄でした。
わたしが小学生のころ、
学校の先生にじいちゃんの戦地が沖縄と言ったら、
「あの沖縄から生きて帰ってきたのがすごい」
という驚きのリアクションをされたのを
すごく覚えています。
だから当時、詳しく知らなかったわたしは、
生きて帰ってきたじいちゃんはすごいんだなぁと
思った記憶があります。
祖父から聞いた話は、
3回くらい死にかけたことがあったということと、
捕虜になったときに
「黒ちゃん(黒人さんのこと)が優しかった」と
言っていたことくらいです。
おもしろい祖父だったので、
「わからん」というときに
「アイロン・ノー(I don’t know)」
と身振り付きで言っていて、
わたしたちはおもしろくて笑っていましたが、
いま思えば、捕虜のときに
そんなふうに言っていたのかもなぁと思います。
大人になってから、沖縄戦の凄惨さや、
日本の軍人による民間人への酷い仕打ちがあったと
知りましたが、
亡くなった祖父には実際どうだったのか聞けないし、
生きていてもストレートには聞けない気がします。
祖父の妹の夫は、祖父と同級生で健在です。
福岡と熊本の県境の地に暮らしています。
100歳を超えられ、こんなに生きてるなんてびっくりだと、
運が多分にある気がすると言って、
戦時の話をしてくれました。
みんなが南に行かされたけれど、
なぜかお前は北に行けと言われ
配属が小倉(北九州市)で戦争でも死なずに済んだ、
と言っていました。
小倉は、長崎に原爆が落ちた日に曇っていたから、
ターゲットにならなかった地でもあります。
祖母からは一度も
戦時中の話は聞いたことがありませんでした。
父方の祖母は、戦時中か戦後すぐに
第一子を栄養失調で亡くしています。
子を持ついま、これがいかに辛いことかわかります。
わたしは、福岡出身で
小学生のころは毎年戦争のことなどを
「夏休みの友」というワークで触れる機会がありましたが、
自分の子どもが戦争のことを習う機会は、
ほとんど無さそうです。
関東で育った夫ともよく話しますが、
とくに原爆については
西日本の人ほど、教育の場で触れられることはなかったと
言っています。
福岡の高校の友人は、毎年夏に恐怖心を植え付けられ
(南京虐殺の白黒写真など)
トラウマになるよりマシではないかと言っていましたが、
繰り返さないためには、
戦争はしてはいけないということを
教育で触れることも大事ではないかと
個人的には思っています。
みなさんの記憶を知ることができる場があることは、
とても意味があると感じています。
(のや)

2025-10-28-TUE

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  • ヴェトナム戦争/太平洋戦争にまつわる
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    「50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶」
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    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶