2011年3月11日、東日本大震災がおきました。
10年が経った今日、私たちは、
あの日を思い出したり、
区切りを感じたりするのかもしれません。

日本に住む私たちはそれぞれ、
ここに至る道のりを一歩ずつ進んできました。
今日がほんとうは特別な日ではない、
ということもわかっています。
しかし、どんなに関わりが少なかったとしても、
あの震災に暮らしを左右されなかった人は
いないんじゃないだろうかとも思います。

ほぼ日が親しくしている方々に、
この10年をテーマに、ご寄稿いただきました。

前へ目次ページへ次へ

サユミさん

3月11日。
毎年、この日に、
今の気持ちを文字に残そうと思って、
なんどもなんども書き直して、
それでもうまく書けないのが
3月11日のことです。

なぜかと言うと、私は「被災者」ではないから。

私は、宮城県の沿岸部出身なのですが、
震災時に自分は東京にいました。
「東北の人間であって被災者ではない」ことが、
ずいぶん長いこと
コンプレックスのようにまとわりついていました。
被災者でもないし、被災遺族でもない、
かといって部外者でもない。
東京にいて「実家大丈夫だった?」と
心配された時の、居心地の悪さはなんなんだろう。

そして2012年、気仙沼に移住して、
転職して、結婚して……と、
めまぐるしい変化がありました。
しかし、移住したからといって
被災者になるわけではなく、今度は完全に「外の人」。
東京にいた時は
震災を自分ごととして感じていたのに、
「被災してないんだ?」
「気仙沼の人じゃないんだ?」
と言われると、
なんだか申し訳ない気持ちになりました。
気仙沼にやってきた東京の人に、
「なーんだ。震災の時は君も東京に居たんだ?」
と言われた時、
あまりにも自分が
外の人でも中の人でもないのを感じて……
あの時、落ち込んだんだっけかなぁ。
でも、開き直るしかないな! とも思いました。
「なーんだ」と言われたら「そうなんです〜」と言い、
「大変だねぇ」と言われても「そうなんです」と言い。
都合よく外の人になったり、
中の人になったりしながら、
図太く生きていくことにしたのです。

悲しいことや辛いことって
「消すことができないデータファイル」だと
私は思ってます。
日が経つと、だんだんと
パソコンの奥の階層に潜っていって、
表からは見えなくなるんだけれど、
探せば見つかる場所にあって、
なぜか完全に削除することができない厄介なやつ。
だから消せない悲しい思い出とは、
うまく付き合っていくしかなくて、
そういう時もやっぱり
「図太く生きてこう」って思わないと、
やっていけない気がします。

2021年。
10年経って思うのは、
気仙沼で友達ができて良かったな、
私も10年分歳とったなぁということと、
街が明るくなって結構変わったなぁということ。
それから、多少図太くないと
生きていけないということ。

3月11日は、私にとって、
「今日からも、またがんばって生きるぞ。」
って思う日です。
11年目もまた、
がんばって生きようと思います。

サユミ


<サユミさんのプロフィール>

元「気仙沼のほぼ日」乗組員。
イラストや文章、漫画を通じて、気仙沼情報を発信している。
これまでの連載:「沼のハナヨメ。」
Twitter:@sayumino1nichi
Instagram: @sayumi_insta
note:https://note.com/sayumi_note

もくじへ

2021-03-11-THU

前へ目次ページへ次へ