元ゲーム雑誌の編集者で、
テレコマンとしても活動している永田ソフトが
ここでは永田泰大さんとして
『MOTHER1+2』をプレイする日常をつづります。
ゲームの攻略にはまるで役に立たないと思うけど
のんびりじっくり書いていくそうなので
なんとなく気にしててください。

7月28日

今夜はブギーバックな感じ

たとえば野球ファンが何人かいたとして、
その人たちが同じように深く野球を愛しているとしても、
それぞれの価値観や感覚は異なるから
話が合う場合と合わない場合がある。
巨人ファンどうしでも話が噛み合わないときだってあるし、
贔屓の球団は違うけど
めちゃくちゃ意気投合するときもある。

同じことがゲームファンのあいだにも
いえると思うのだけれど、
とりあえず、いつどんなゲームの話をしても
互いに「ああ、そうそう」というふうになるのが
僕にとってスチャダラパーのボーズさんである。

贔屓のゲームが似通っているということもあるし、
同年齢だということもあると思うが、
それにしてもボーズさんとゲームについて話して
話が噛み合わなかった試しがない。
たとえ意見や好みが合致しないことがあっても
話の軸がぶれるということがないのだ。

それで、ボーズさんと話すのはとても楽しい。
単純にゲームファンどうしとして
だらだらと話しているときりがない。

ボーズさんもいま
『MOTHER1+2』をプレイしているという。
すでに『MOTHER』を終えて
『MOTHER2』へ入ったところは僕と同じだが、
当然ながら、ゲームの進行は僕よりもぜんぜん早い。

だらだらと話しながら
僕とボーズさんはさまざまなことを確認し合う。
思えば、同じくらい熱心なゲームファンと
『MOTHER1+2』について
話すのは初めてのことだ。

当時といまの感覚の違いや、新たな発見について。
『MOTHER2』の贅沢さや、
ゲームに込められたセンスについて。
そもそもゲームボーイアドバンスSPって
すごいよね、とか、思えばスーファミ末期の
ドット絵ってすごかったよね、とか、
こうなると進化ってなんなんだ、とか、
音楽もゲームも同じ動きがあるんじゃないか、とか、
時代を超えて残るものってなんなんだろう、とか。

ゆるゆる話していたら
僕はなんだか勝手に勇気づけられたような気がした。
互いの意見が同調するかどうかはさておき、
ゲームについて同じテーマで言葉を交わすと、
自分が思っていたことがよりはっきりとしてくる。
やっぱりロールプレイングゲームは
基本的にひとりで遊ぶものだから、
それについて何かを思ったとしても、
それはひとりの頭のなかで培養されることが多い。
僕はこういう場所を持っているから
とても恵まれているほうだと思うけど、
それにしたってひとりで思っていることは
輪郭があやふやだし、ほんとかどうか知る術がないし、
なにより気を抜くとすぐに忘れてしまうことが多い。

そういうとき、同じような資質を持つ人と
共感し合ったり反論し合ったりすると、
自分の考えがそれに導かれて
形を持つようでうれしくなる。

だらだらとした話のあと、
僕はゲームファンとしてのボーズさんではなく、
ミュージシャンとしてのボーズさんにこう訊いた。

『MOTHER2』のなかに
「ブギーバック」っていう言葉が出てきて、
そのふたつがリンクしていることが
なんだか不思議な感じがしたんだけど?

「あ、ぼくもそう思った」とボーズさんは言った。

あのふたつって、同じ時代だったんだね、と
ボーズさんはしみじみと話した。
初めて『MOTHER2』をプレイした9年前、
当事者からそんな言葉を聞くことになるとは
夢にも思わなかった。

2003-07-29-TUE