第7回 危険
糸井 強い使命感もないままに
『A』をつくったという話もそうなんですけど、
森さんの、そういう、なんていうのかな、
危険への掛けがねの外れ方みたいなものって
やっぱり個性だと思うんですよね。
ああ。僕、鈍いんですよ。危険に対して。
糸井 鈍いんですかね。
なんだろう、いるんですよね、
そういうタイプの人は。
ある種の危険に対して平気な人。
こういうたとえがいいかわからないけど、
ふつうに友だちとして長くつき合っていたら、
あるとき突然に、
「オレ、こっちの耳、聞こえないんだよね」
って言ってくる人みたいな。
ああ、なるほど。
どうなんでしょうね。
危ないことが平気なわけじゃないんですけど。
糸井 ええ。
平気じゃないし、
臆病なほうだと思うのだけど。
場を読めないんですよ、ぼく。
それは、子ども時代からそうで。
糸井 ああ。
みんなが「こっちだよ」って言うときに、
あえて違うほうを選ぶというわけじゃなくて、
気づいたら違うほうへ来ちゃってるんですね。
よく言われるんですよ、
『A』や『A2』もそうですけど、
『放送禁止歌』を撮ったりとかすると、
「森は、あえてタブーを選択してやってる」
みたいなことを。果敢に挑む、みたいな。
でも、ぜんぜんそうじゃなくて、ぼくとしては
「え、これタブーだったの?」
っていうことがほとんどなんです。
糸井 そこがだから、強烈な個性なんでしょう。
そうですねぇ。ある意味では。
関係ないかもしれないけれど、
ぼくは極端な方向音痴なんです。
何かそれが影響しているような気もします。
糸井 あらかじめ手負いのディレクター、
みたいなもんなんじゃないですか。
ADとしては最低でした。
方向音痴のADなんて存在意義ないですよ(笑)。
糸井 (笑)
やっぱり、何かが欠けているのかな。
まあ、個性といえばそうなのでしょうけれど‥‥。
糸井 いや、ぼくにも少しその要素はあるんでね。
その、鈍さというか、注意しなさみたいなものは。
あの、注意深くなることのおおもとって
基本的には「恐怖」だと思うんですね。
人が自分の行動を制することの原因は。
はい。
糸井 恐怖がなかったら、
人ってほんとにもっといろんなことができる。
その通りですね。
糸井 権力ってのはいつでも恐怖を植えつけて、
そこから先に行ったら大変なことになるよ、
っていうふうにして人を制するんです。
芸能界でいうと、どこどこのプロダクションに
逆らったら干されちゃうぞ、だとかね。
で、だいたいそういう恐怖っていうのは、
その、縛られてる側が増殖させているんですね。
うん、そうです。
『放送禁止歌』でとりあげたものなんて
いちばんの典型ですよね。
糸井 典型ですよね。
自由が怖いんですよね。だから。
糸井 そういうことですよね。
「ここから先は危険だよ」
って表示があるということは要するに
「ここからこっちは安全だよ」
と同義ですから、安心できちゃうんですよ。
何にもないと、みんな、
不安でしょうがないんですよね。
で、何かこう自分たちで標識をつくっておいて、
「あっち行っちゃだめだよ」って
頷き合いながら安心するみたいなメンタリティが、
たしかにありますね。
放送禁止歌に限らず、
この擬似の安心への希求や均質性への欲求って、
共同体に帰属しないことには
生きていけない人という種が抱える
属性なんだという気がするんですけど。

糸井 ずっとそういうパターンですよね。
いるっていうウワサのオバケ、みたいなもので。
それを「ちょっと見に行ってみるよ」っていうのを
森さんはふつうにやっているわけでしょう。
度胸や勇気があるわけじゃないんですけどね。
人一倍恐がりだし、気が小さい。
機転が利くほうじゃないことは
自分でよくわかっていますから、
本当は集団行動をしたいんです。
「映像業界の一匹狼」
みたいな表現を前にどこかでされて、
何て情けない狼だろうって自分で思いました。
できれば群から離れたくない。
でも気づいたら、
「あれ、みんな、どこ行っちゃったんだろう?」
っていう感じなんですよね。
糸井 ああ。
『A』を撮っていたときなんかも、まさにそうで。
あの、カメラ持って入って行くじゃないですか。
オウムの施設に。
で、いちおう、みんなが入ってこられる
ラインみたいなものがあって、
ほかのマスコミの人たちもそこまでは
いっしょに行ってくれるんですね。
で、撮ってると、
あっちのほうがなんかおもしろそうだ、と。
それでぼくはそっちに行って撮ってて、
当然、みんなも来てると思って
撮りながらふっと振り返ったら、みんなは、
向こうのほうでじーっとしてるみたいな。
糸井 ああ、なるほど。
べつに、そこまで行ったっていいんですよ。
何か規制があるわけじゃないんです。
なのに、なんで来ないんだろうなって。
糸井 その、「振り返ったらいない」パターンを
何回も経験している森さんには、
「どうも俺って、振り返ったら誰もいないな」
っていうことは、じつはもうわかってますよね?
じつはわかってますね、うん。
でも、不安ですよね。
糸井 あ、それで平気になるわけじゃなくて、
つぎのステップは「不安」になるんですね。
不安です、やっぱり。不安ですけど、
「でもこっち、おもしろいしな」っていうね。
うん、だからそれはいっつも葛藤してます。
糸井 その都度、天秤にかけてる?
うーん、つたない意識ながら、
やっぱりそれは必死に計算してるんでしょうね。
怖いけど、やっぱりちょっとこっちに
もうちょっと行きたいな、みたいなね。
糸井 ああ。
ガキですね、それ考えたらね。
オトナの発想じゃないかもしれない。
糸井 でも、それを「勇気」っていう
言葉で表す人もいるだろうし。
森さんみたいに「勇気」っていう
言葉を使いたくない人もいるし。
できれば使いたいけれど。
‥‥うん、やっぱり「勇気」とは
本質的に違うと思うな。
やっぱり「勇気」っていうのは、
使命感とか目的意識が
根底にあるんじゃないのかな。
「これをやり遂げるためには
 艱難辛苦を俺は乗り越える。
 だからこんなものは怖くない」
っていうのがもし「勇気」だとしたら
ぼくの行動はまったくそれじゃないですからね。
糸井 だから、「勇気」っていうのは、
どっかで自分にモルヒネ打ってますよね。
うんうん。どっかで打ってますね。
糸井 で、「勇気じゃないですよ」って
言う方が打ってないですよね?
そう思います。素ですね。
だから、怖くてしょうがないときもある。
糸井 ああ。

 
(続きます)

2007-02-22-THU


 
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN