イベント開催のお知らせ。

2000年モノポリー世界チャンピオン
岡田豊さんインタビュー!!


インタビュアー:
百田郁夫
日本モノポリー協会副会長
第8代モノポリー世界チャンピオン

構成:
野中俊一郎
日本モノポリー協会理事
1994年・1996年モノポリー日本チャンピオン

日本モノポリー協会では、
10月にカナダのトロントで開催された
2000年モノポリー世界選手権大会で、
2000年モノポリー世界チャンピオンの栄冠を獲得された、
岡田豊さんにロングインタビューを試みました。
(3時間以上のインタビューに
 お付き合い頂いてしまいました)

モノポリー世界選手権大会はほぼ4年に一度開催される、
モノポリー世界一を決定する大会です。
競技モノポリーのレベルは
日本が世界で最も進んでいるといわれて久しいのですが、
岡田さんは、1988年の百田郁夫さんに次いで、
2人目の日本人モノポリー世界チャンピオンとなり、
見事日本のレベルの高さを世界に見せつけてくれました。

インタビュアーは1988年モノポリー世界チャンピオンの
百田郁夫さんです。

日本の誇る2大チャンピオンの対談形式で、
モノポリーファンならずとも
興味深い内容になっております。
お見逃しのないように!

第1回 世界チャンピオンになっての感想

第2回 どういうタイプのプレイヤー?

第3回 日本選手権決勝大会の決勝テーブル

第4回 代表決定戦

第5回 世界選手権大会へ向けて

第6回 世界選手権大会のルール

第7回 世界選手権予選1回戦

第8回 世界選手権予選3回戦

第9回 世界選手権決勝戦

第10回

【世界チャンピオンになって】

――いよいよ念願の世界チャンピオンになって、
  その後は表彰式とかだったんでしょうか?

岡田
勝利が確定してから、
結構念入りに資産の計算をしたりしまして、
その後に表彰式になりました。
金メダルをかけてもらって、
「WORLD CHAMPION」
と書かれたたすきをかけてもらい、
報道陣の前に出ることになりました。
そのときのカメラの放列にはやはりびっくりしました。
また、ハズブローのカナダ支社長?からは
優勝賞金の大きい小切手みたいなものを受け取りました。

――賞金はUS$ですか?

岡田
そうです(笑)。カナダ$とは言われなかったですね。

――表彰式での気分はどんなものなんですか?

岡田
特に印象に残っているのが、報道陣の数の多さです。
報道陣の前で、上から
風船やら紙ふぶきやらが落ちてきましたし、
やはり大きなお祭りなんだなというふうに思いました。
その後は写真撮影やインタビューの嵐で、
なぜかサインもたくさん欲しがられまして、
結構応じました。

――決勝戦での心境はどうでしたか?

岡田
ドイツとの一騎打ちになった時点で、
ほとんど勝利を確信しまして冷静になれたんですが、
それまではまわりもわからないくらいに
結構ヒートアップしていました。

――海外と日本とで技術レベルはどうですか?

岡田
世界選手権大会というのは、
ルールもよくわかっていない人も参加していれば、
結構しっかりした相場観とかも
持っているというような人もいる、
という大会みたいなんですが、
そういう相場観がしっかりしているような人でも
負債交渉や家の建て方などの技術は
日本と海外では明確な差がありましたね。
もちろん日本が上ですよ(笑)。

――日本に帰ってからはどうでしたか?

岡田
日本のメディアにも新聞その他で
少し取り上げられたみたいで、
会社の同僚などが結果を知っていて
ちょっとびっくりしました。
でも海外ではものすごい大騒ぎだったのを考えると、
日本ではほとんど取り上げてもらえなかったし、
ちょっと残念ですけどね。
現地では優勝した後に、
何件も電話インタビューも受けたくらいだったんです。

――やはり、「優勝」というのは素晴らしいです。
  優勝と2位では天と地の差がありますよね。

岡田
これからはハズブローにも
日本の競技モノポリーの発展ぶりに
注目してもらえればいいなと思っています。
我々は進んだ大会運営ルールも持っていますし、
そういったものを一つ一つ伝えていければなあ、と。

――今後の意気込みを聞かせてください。
  YMCやBMCでランキング1位になるとか(笑)。

岡田
大会で優勝もしてませんしね(笑)。
それはともかく、
せっかく「世界チャンピオン」をいう名前を頂いたんで、
海外へ向けて「日本の素晴らしい競技モノポリー」を
発信していけるようなことに、
お手伝いできればいいなと思っています。
特に大会運営ルールでは
世界選手権のものはアバウト過ぎるんで、
例えば日本のルールを英訳して
海外に紹介されるようになれば、
世界選手権大会ももっとしっかりした
競技イベントになると思います。
そして、日本のルール紹介などを通じて
日本モノポリー協会が
海外も巻きこむようなことができれば、
日本のマスコミなども
だんだん注目してくれるようになるんではないでしょうか。
日本で世界選手権を開催できるようなことになれば
理想的ですね。

――まったくおっしゃるとおりですね。
  ところで、海外のモノポリー事情は
  どうなっているんですか?

岡田
日本のような「モノポリークラブ」といった形の、
モノポリーをやるような場がないようですね。
ハズブローのスタッフがニューヨークにも
モノポリーサークルとか
モノポリーバー(※40)みたいなものがない、
と言っていましたし。
皆さん、ホームパーティーなどではよくやるけれども、
競技モノポリーとしてやっトいる人はいないみたいです。
その他にはインターネットで(※41)やっている人が
少々いるだけという状態のようです。

※40 モノポリーバー
   現在は大阪のレガートというところで、
   おしゃれなバーの中でモノポリーができます。
   以前は日本モノポリー協会が
   東京でも開催していました。

※41 インターネットで…
   パソコン用のモノポリーゲームが発売されており、
   それを使うとインターネットを通じて、
   他の人とモノポリーを楽しむことができます。

――日本選手権優勝、代表決定戦優勝、世界選手権優勝と
  とても勢いがある岡田さんですが、
  帰国されてからも勢いが持続していますか?

岡田
帰国しましてから1ゲームをこなしたのですが、
そのゲームではオレンジを自力して勝ちました(笑)。

――さすが、すごい勢いがありますね(※42)。
  今後ともチャンピオンらしいプレーを期待しています。
  今回は、長いインタビューでしたが
  どうもありがとうございました。

※42 すごい勢いが…
   岡田さんのその後の報告によると、
   その勝利を含めて帰国後3連勝!されたそうですが、
   そこまでで運を使い果たしてしまったのか、
   その後は19連敗!してしまったそうです。

2000-12-22-FRI

BACK
戻る