HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN 謎の爺 と ふしぎな「どうぶつたち」。80歳の版画家・望月計男さんの作品がすごい。
──
たいへん失礼ながら、
望月さんは、いま、おいくつなんですか。
望月
今年の6月で、80だよ。
──
80歳。
望月
このあいだ女房に調べてもらったらさ、
やっぱり今年、80だったよ。
──
怪しかったんですね、そこ(笑)。
望月
うん。でも、たしかだよ。
思えばいろんなことがあったよ、人生。
──
ありましたか。
望月
多摩美(多摩美術大学)んときの同級で
まだ現役で仕事してんのは、
もう、何人もいないんじゃない?
──
多摩美のご出身なんですね。
望月
80にもなっても仕事してるなんて
えらいと思うよ、本当に。
──
多摩美を出た若かりし望月さんは、
どうして
染色工芸の芹沢銈介さんのもとへ?
望月
俺、親父の関係で
芹沢さんのとこで世話になれるクチが
あったんだよね。

ほら、俺、生まれが静岡なんだけども、
芹沢さんも、静岡でしょ?
──
そこで2年間、修行をされて。
望月
んー‥‥まあ、修行っていうかなあ、
2年やったんだけど
そもそも、あんまりやる気なくてさ、
3年めに辞めて、
そのあと8年くらい遊んじゃうわけ。
──
遊んじゃう。
望月
ぜんぜん「生活」しねえんだよ。
生活って、つまり稼がねえわけ。

だって、絵を描きたくてさ、それで。
──
なるほど。
望月
よくもまあ、俺、生きてたと思うよ。
だって、ぜんぜん稼がねえんだもん。

まあ、あのころは、仕事もしない若いもんが
フーテンとかヒッチハイクやって、
みんながみんな、なんとかしてたんだけどさ。
──
はー‥‥。フーテンとヒッチハイクで
どうにかなるものですか。
望月
なったね。
赤瀬川(原平)とか、荒川修作なんかも、
そこらへんで見かけたよ。

今の人、知ってるかどうか知らないけど
当時、新宿駅の前に
「風月堂」って喫茶店があってさ。
──
すみません、知らないです。
望月
そこへ絵描き仲間が朝から集まって、
みんなで遊んでたんだよ、ガイジンとかと。

いろんな小説家だとか
谷川俊太郎みたいな詩人も来てたけど
俺はまあ、あんまり、行けなかったなあ。
入るのに200円か300円して、
その200円300円の金が、なくってさ。
──
コーヒー代が足りなくて。
望月
そう、そういう時代。
──
じゃあ、ずっと絵を描いてたんですか。
望月
そのころ俺は「抽象」描いてたんだよ。

当時、有名だったナントカって野郎に
「あんたの絵にはロジックがない」なんて
言われながら、やってたよ(笑)。
──
若いころは、そんな感じで。
望月
なにしろ金がなくて、みんながみんな
家賃500円みたいなアパートに住んでたけど
ずいぶん、おもしろい時代だったよ。

いいとこのサラリーマンが
月給1万5、6000円くらいもらってて、
ラーメン屋のラーメンは50円だったな。
──
望月さんの「遊んじゃった8年」というのは、
基本的には絵を描いていて、
それが、たまに売れたってことですか?
望月
いやあ、絵なんか売れないよ。

今日は誰の家で飯、食おうかっつって、
はたらきもせず、ブラブラしてた。
だから、さっきも言ったけど
俺、よくもまあ生きてたと思うわけで。
──
じゃ、そういう8年のあとに
シルク印刷の会社に入った‥‥んですか?
望月
そう。
──
シルク屋さんということですから
いろんなものに
シルクで印刷されてたと思うんですが
たとえばで言うと、どんな?
望月
まあ、デカイので言ったら横浜博とかさ。
そういうのを請け負って刷ったな。

で、金がなくなりゃ量だってんで
シャツを1日7000枚、刷ったりとかね。
──
‥‥シャツを、7000枚?
望月
女物でさ、
胸にワンポイントの絵がついたようなの、
よくあるでしょ?

あれなんかさ、1日7000枚刷らないと
収支が合わねえんですよ。
──
こわごわ聞きますが、
シルク印刷っていっても、機械ですよね?
望月
手だよ。
──
ええと、つまり、
いわゆる昔ながらの「手捺染」ってやつで、
ようするに、その日は7000回、
シルクを手で刷ったってことですか?
望月
女の人を5人雇ってきて、
そのうちの2人にシャツを並べてもらって
あとの3人に走り回ってもらって。

刷るのは俺が、どんどん刷ってった。
ワンポイントだから、できるんだよ。
──
そのような感じで、30年。
望月
うん、まあ、やってましたねえ。

プリントなんて、
今だったら機械で簡単なんだろうけど。
──
シルクの場合は
色の数だけ「版」が要るわけですけど
現代のインクジェットなら
使える色も無限だし、
コンピューターで全自動だし‥‥。
望月
このあと、どうなるのかわかんないけど、
シルク屋も残ってくの大変だろうな。
──
そう思われますか。
望月
だって、いい時代はさ、
どこもかしこもシルクシルクだったけど、
こないだデパートへ行って見たけど、
シルクなんかぜんぜん使ってなかったよ。
──
そうやって長年シルク屋さんをやられて
退職後に版画をはじめ、
まずは「人のイヤな顔」を刷り、
そのあと、こんどの「どうぶつ」を刷り。
望月
だから俺も、ご臨終になる前に
もう少し、がんばってみようかなと思って
こうして、やってんだけどね。
──
ええ。
望月
12年前の「顔」のときは失敗したけど、
今度はさ、こうやって
「どうぶつ」のことで展覧会をやったら
何て言うか、この歳になって
「はじめて、ちゃんと売れた」んだ。
──
はじめて。
望月
うん。
──
顔のときも、1~2枚は売れたけど。
望月
あれはかわいそうだってんで
お情けで買ってくれたんだよ。

でも「どうぶつたち」は
ここ(Hasu no hana)でまずやって、
半分以上売れて、
そのあと銀座でもやるとなって
そりゃあ
ぜんぜん売れねえだろうなと思ったら、
売れたんだ。

銀座のほうでも、何枚も売れたんだよ。
──
それは‥‥うれしかったですね。
望月
うれしかったねえ。
──
どんな人が‥‥。
望月
いや、フラッと入ってきた知らない人が
買ってくれたりしたよ。
──
でも、ほしいですもん、望月さんの作品。
で、いいと思わなかったら、
お義理では、お金なんか出さないですよ。
望月
だから、俺もさ、
もうちょっとがんばってやろうと思ってさ、
ここであと1回くらい個展やって、
銀座でもう1回やって、
それができたら、ほんとに、ご臨終だな。
──
いやいや(笑)。
望月
いや、そうだと思うんだ。ほんとに。


<つづきます>
2015-05-12-TUE