俳優の言葉。 008 森山未來篇

ほぼ日刊イトイ新聞

俳優の言葉は編集しにくい。扱いづらい。
きれいに整えられてしまうのを、
拒むようなところがある。語尾でさえも。
こちらの思惑どおりにならないし、
力ずくで曲げれば、
顔が、たちどころに、消え失せる。
ごつごつしていて、赤く熱を帯びている。
それが矛盾をおそれず、誤解もおそれず、
失速もせずに、心にとどいてくる。
声や、目や、身振りや、沈黙を使って、
小説家とは違う方法で、
物語を紡いできたプロフェッショナル。
そんな俳優たちの「言葉」を、
少しずつ、お届けしていこうと思います。
不定期連載、担当は「ほぼ日」奥野です。

> 森山未來さんのプロフィール

森山未來(もりやま・みらい)

1984年8月20日生まれ、兵庫県出身。
5歳からさまざまなジャンルのダンスを学び、
15歳で本格的に舞台デビュー。
ドラマ「WATER BOYS」(03/CX)の出演で注目され、
映画『世界の中心で、愛をさけぶ』(04)では
さまざまな映画賞を受賞。
以降、演劇、映像、パフォーミングアーツなどの
カテゴライズに縛られない表現者として活躍している。
2019年には、大河ドラマ
「いだてん~東京オリムピック噺~」(19/NHK)に出演。
主な映画出演作に、『モテキ』(11)
『苦役列車』(12)、
『北のカナリアたち』(12)、『人類資金』(13)、
『怒り』(16)、『サムライマラソン』(19)、
日本・カザフスタン合作映画『オルジャスの白い馬』(20)
などがある。
miraimoriyama.com

第2回 器と依り代、身体。

──
その「顔が消える」‥‥という感覚は、
もっと言うと、どのような‥‥。
森山
空虚になる。

ただ、踊る身としては
まずは「身体」を立てたいし、
見せたいから、
顔は要らないという考え方も
当然あるんです。
──
ええ。
森山
実際、日本では、
降りてきてるものに対しての身体だから、
顔は強調しない。

反対に西洋では、
実存主義的にものを考える伝統もあって、
ここが、すごく重要になるんです。
──
ここ‥‥つまり「顔」が。
森山
そう、あっちで踊っていると、
仮に同じ振り付けでも、
顔が「どう、自分自身か」ということを、
すごく問われるし、
みんな大事にしているんです。

つまり‥‥顔の消える表現というものが、
それだけで、
日本人の特殊さになるんだということが、
よくわかったんですよ。
──
イスラエルで踊っていたら。なるほど。
そう指摘されたんですか、あちらの人に。
森山
ううん、ぼくが勝手に感じただけですね。

日本人としての自分がおもしろがられる、
その理由が、
ダンスの上手い下手じゃないにあるなら
何なんだろうって考えたら、
やっぱり、
顔や身体の考え方や在り方を含めた
「居住まい」なんだろうと感じたんです。
──
居住まい。踊る人としての。
森山
そこが独特なんだな、と気づいたんです。

そして、これはぼく個人の話じゃなくて、
日本という国の特徴なんだろうな、とも。
──
なるほど‥‥。
森山
で、それとはまた別のタイミングですが、
ダミアン・ジャレという
ベルギーの振付家に声をかけてもらって、
彼の作品に参加したことがあって。
──
あ、瀬戸内国際芸術祭のやつですか。
森山
そう、「VESSEL」という舞台。

作品のコンセプトを立てるにあたって、
ダミアンは、
土偶‥‥つまり「土でできた器」の、
あの造形のおもしろさに、
ものすごく興味を示していたんですね。
──
土偶。昔々の日本人が
1万年くらいつくり続けていた物体。
森山
作品はアーティストの名和晃平さんと
コラボレーションしたもので、
人間の肉体性と彫刻性、
フィジカルとスカルプチャーとの間を
ダンサーの身体を使って横断する、
みたいなコンセプトだったんですね。

そのときも「器になれ」って言われた。
──
なるほど。
森山
イスラエルで感じたことを再確認して、
その感覚こそ日本的な表現の特徴で、
自分にとっても
大事なことなんだと、わかったんです。
──
器や依り代になる‥‥ということが。
森山
ただ、でも‥‥それだけじゃ足りない。
──
足りない?
森山
はい、ぼくは足りないと思う。
今は、どっちもほしいって感じてます。
ワガママなのかもしれないけど。

つまり器や依り代になるための修練は
これからも積むんでしょうけど、
反面、身体が欲するような
日常の具体性も切り捨てたくないなと。
──
俳優として「器、依り代」になった
森山さんが、
ダンサーとして、
身体を取り返しに行っているようで、
おもしろいです。
森山
話としては抽象的ですけどね(笑)、
けっこう、今の。
──
ひとつ、今、ずっと
「顏」とおっしゃっていましたが、
「表情」と言わなかった理由って、
何かあるんでしょうか。
森山
えっと、そうですね‥‥。
──
つまり、表情って言った場合には、
森山さんが
「消える」とおっしゃる
「顔」とは、
どこか別物のような気がするので。
森山
んー‥‥なんで顔と言ったんだろ。

まったく無意識だったんですけど、
それを「表情」と呼んだ場合は、
少なくとも、
記号のようなものに感じますよね。
──
笑ったり、怒ったり、悲しんだり。

それらは「顔」に現れますけれど、
実際に
笑ったり、怒ったり、悲しんだり、
してるのは「顔」じゃない‥‥。
森山
うんうん、それは、
やっぱり「自分自身」というものと、
関係してると思う。
──
美術家の森村泰昌さんに
インタビューさせてもらったとき、
人間の顔って、
素顔も含めて、
ぜんぶ仮面だとおっしゃっていて。
森山
おもしろいな。
──
別のときに、俳優の柄本明さんに
「顔って何ですか」
という実に曖昧な質問をしたら、
「大衆に奪われてるものだと思う」
という言い方をされてたんです。
森山
へえ‥‥。
──
完全には理解できませんでしたが、
たしかに、
そんな気がするなあと思いました。

で、そういうこともあったので、
人間‥‥
とくに役者の「顔」って何なのか、
とっても興味があるんです。
森山
柄本さんのおっしゃる
「大衆に奪われている」って感じ、
すごく、わかりますね。
──
あ、わかりますか。
森山
それはたぶん、ぼくや柄本さんが
役者をやっているから、
何となく共有できる感覚なのかも
しれないんですけど、
でも、本当は職業なんか関係なく、
人が人と対峙するときの
最初の入口って、
どうしても「顔」じゃないですか。
──
はい。そうですね。
森山
その瞬間の「顔」をどうつくるか。

それは意識的に選択してる部分と、
すでに
出来上がってしまっている部分と、
その両方が、
混じり合ってるんだと思うんです。
──
なるほど‥‥
意識の顔と無意識の顔の、融合。
森山
だから、どっちもしてもやっぱり、
そこに現れるのは、
それまでの、その人の人生の中で、
社会生活において、
培われてきたものなんでしょうね。
──
その意味で「奪われて」いるのか。

自分自身でも、
完全には制御できないって意味で。
はぁ‥‥。
森山
器には、顔も表情もないですからね。
いや、正解は知らないですけど。

でも「奪われてる」という言い方は
ちょっと
意地悪な気もするんですが(笑)、
ぼくは、
柄本さんのおっしゃっていることは、
感覚的にですけど、
ああ、わかるなあって感じがします。

<つづきます>

2020-12-05-SAT

写真:高木康行

© 2020「アンダードッグ」製作委員会

森山未來さん主演最新作
『アンダードッグ』

前編・後篇あわせて、約4時間半の長編。
今回のインタビューにあたって、
オンライン試写で鑑賞したんですが
まずは前編だけ観ようと思ったんです。
で、深夜1時に観だしたらやめられず、
結局、最後まで一気に。
時計は5時半、朝を迎えていました。
共演する勝地涼さんのかなしみ、
北村匠海さんのまなざし、
ただ座っている柄本明さんの顔‥‥など、
森山さん以外の俳優さんの演技にも、
ぐんぐん惹きつけられました。
ボクシングの話なので、
敵と味方というような構図なんですけど、
どの人物にも心を寄せてしまう。
人には、それぞれに、
それぞれの物語があるんだと思いました。
ラストシーンの勝負の場面では、
どっちにも勝ってほしいし、
どっちが勝っても納得できると思えたし、
究極的には、どっちが勝ったのか
知らないままでもいいやとも思えました。
いくつかの「親子」の物語でもあって、
その部分が描かれていたのも、よかった。
観おわったあと、
自分の子のことを思うような作品でした。
とにかく、おもしろかったです。
映画の公式サイトは、こちらです。

アンダードッグ
監督:武正晴
原作・脚本:足立紳
出演:森山未來、北村匠海、勝地涼 他

渋谷PARCO8階ホワイトシネクイント他にて
前・後編ともに公開中。

感想をおくる

ぜひ、感想をお送りください。
森山未來さんにも、おとどけします。

俳優の言葉。

この連載のもとになったコンテンツ
21世紀の「仕事!」論。俳優篇