帰ってきた松本人志まじ頭。

第18回 言葉は、究極のフリーウェアだから。



糸井 松本さん、デビューして何年ですか?
松本 もう、19年ですね。
糸井 そうかあ。

辞書の言葉を増やしたみたいなことを、
その間にものすごくやってるし・・・。
「嫌かもしれないけど笑いかもしれない」
ということを、山ほどやってるじゃないですか。
板尾の使い方とか。
松本 (笑)
糸井 ああいうのは、会議の時に決断するんですか?
松本 あんまり、しないですね。
ぼくはけっこう会議は手ぶら派なので、
前もって、何か持ってくぞ、
というのはあまりないんですね。
ふわーっとした感じで会議に行きます。

ただ、コントじゃないし、
ドキュメントでもないという
ミディアムの部分のジャンルを
作りたかったというところはあって。

あれ、わからないじゃないですか。
どこまでほんとでどこまでウソかが。

あんまり賢くない視聴者は、
板尾の嫁の役、ブラジル人なんですけど、
あれをほんまの嫁さんだと思ってる人いるし、
板尾ってほんまにあんなやつなんや、
と思ってる人もいるぐらいの、
非常に危険な技なんですよ。
糸井 それって、板尾創路に被害の及ぶ危険さを
吟味したうえでオッケーを出すわけで、
今までは、吟味もしなかったと思います。

「何でやったことなかったの?」
みたいなことを、たぶん、松本さんは
絶えず、受け側として考えているんだろうな。
でも、あとから来た人は、その方法を
ぜんぶ勝手に使っちゃうんだろうな。
末永 特許がないですね。
松本 流行語ってあるじゃないですか。
特許もむつかしいんだけど、
もともとある言葉で、
こういう時に使うわけじゃなくて、
違う場面で使うようにした言葉って、
特許がないんですよね。
糸井 ご褒美は、
「みんなが使った」
というだけですよね。
松本 (笑)そうなんですよね。
糸井 「それ、おれじゃん!」って思うだろうなあ。
松本 「きっつー」って言うでしょ?
昔、そういう時に使わなかったんです。
窮屈とか辛いとかとは
違う意味で使いますよね。
糸井 「さぶい」もそうでしょ?
松本 そうですし、
「へこむ」も最近よく使うでしょ?
糸井 それ、俺たちの仕事と似てるなあ。
こっちのほうが合ってると思ったから
使ったんだよね?・・・なのに、みんなが、
あたかも、前からあったかのように使う。
松本 そうですよね。
末永 特許でお金を取ったら、
みんなは使わないかもしれない。
松本 なるほど。
糸井 フリーウェアか。
末永 言葉って、究極のフリーウェアだから。
糸井 松っちゃん、こう考えるのはどう?

純粋にビジネスとして考えたら、
「きっつー」というのをみんなが使って
流行してくれた時には、
「自分の遺伝子があちこちに広まった」
と考えてみることにしてみると・・・。
そうすると、次の笑いを載せるお皿が
増えたって、考えることは、できない?
それは企業としては、大成功なんだから。

詳しくは知らないけど、携帯電話は
そうとう高く売らないといけないらしいけど、
でも、かなりの金額を、NTTは経費として、
自分で出して飲んでるんですよね。
松本 ああ、そうかあ・・・。
糸井 自分でお金を出すまでしても
「人に行き渡ること」を重視したおかげで
バーンとばらまかれていったんです。
経費として電話本体のお金を
自社の経費にしてしたおかげで、
毎月の電話料金の支払いが増えて、
ビジネスとしては成り立っているでしょう?

任天堂の社長なんてよく、
「ほんとうに売ってるのはソフトなんやから、
ほんまはファミコンは、配ったらええんや」
と言っていたし、マイクロソフトの
インターネットエクスプローラーもタダです。

お笑いも、それとおんなじと考えると、
「きっつー」というソフトを
配りまくったと思えば、
企業戦略として、かなり正しいよね。
・・・タダだったからこそ、できたという。
松本 そう考えられたら、かなりいいですね。
糸井 でもさあ、実際に、
そういうことに近いものが、
とてもあるんじゃないかなあと思います。
だって、木村拓哉が髪型を変えるごとに
若い子の髪が変わるっていうのは、
「私は木村拓哉を認めます」
という一票じゃないですか。

で、いっぽうでコマーシャルが
「1億円でおねがいします」と来るのは、
やっぱりそういう1票1票が支えになって
最終的に木村拓哉に票が入ったわけじゃない?

そうしたら、タダで真似された髪型だって、
「携帯電話を配った」のと同じなんですよね。

でも、それだけだと、まだ、
みんなの支持を、スポンサーというかたちで
ひとりの人間からもらって課金完了、
ということにしかなっていませんよね。

でもぼくは、そういう
今までのかたちとは違うおもしろい展開が、
もしかしたら、これからはあるんじゃないか、
と考えているんです。

「お金として回収するかたちが、
 今の状態では、まだ見えない」
という例が、これからは増えるんじゃないかなあ?
回収できないけれども、可能性はある、
というものがとても貴重だと思うんです。

さっきの携帯電話は、
回収方法が短いスパンで分かっていたから、
思い切って投資できたけれども、
でも、例えば松本人志のある言葉や
あるギャグがばらまかれたことに対しても、
もっと長いスパンで、だけれども、
違う方法があるんじゃないかな、と思う。

「回収する方法はこうですよ。
 ひとりからお金を取ればいいんですよ」
と言えば、まあ、簡単に言えはするのですが、
「そうじゃないんだよ!
 そうじゃないところにあるんだよ、
 何だかは、まだわからないけど・・・」
というところにある何かがさあ、
すごくおもしろいとぼくは思うんです。

例えば、『遺書』『松本』『愛』と
本を出した時に売れたのが
回収だったのかもしれないし・・・。
どういうことが起こりうるのかが
誰も、どうなんだかわからないですから。
「思ってもみないところで収穫できた」
という例が、これからは、
もっと増えていくとぼくは考えています。

ポテンシャルだけがある状態で、
「ま、しゃあないなあ」
と言っている人って、例えれば、
ものすごい蔵を持って走ってるのと
おなじような状態ですよね。
すごいんです。


(つづく)

2001-01-22-MON

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