第2回:読むほうは止まらなかった。

糸井
日本には芥川賞と直木賞という
分け方がありますよね。
又吉
ああ、はい。
糸井
ただの賞の名前なんだけど、
その分け方があるせいか、
小説にはその2タイプがあるように
みんなが勝手に思ってますよね。
たとえば刑事が犯人を追ってどうのこうの
という内容だったら、
「あ、直木賞ね」みたいな。
哲学的要素があったら、
「あ、それはどっちとも言えないな」みたいな。
一方、海外のアメリカ文学とかだったら、
「おもしろいの? いいの?」だけですよね。
日本だと、又吉さんが書くものは直木賞じゃなくて
「芥川賞かな」って人は思ってしまうんです。
書かれているときは、そういうことも
特に意識されなかったんでしょうか。
又吉
一応、『文學界』という媒体があるんですが、
ぼくも純文学の定義がわからないし、
その定義に従順であるよりは、
まず第一におもしろいものを書こうと。
ぼくは普段、劇場に立っているんで、
お客さんの顔が常に見えてるんです。
小説を書くとなっても、
そのお客さんたちを排除したものを
書くことは絶対ないなと。
糸井
ああ、なるほど。
又吉
それを踏まえたうえで、
自分が読んできた、いろんな好きな小説の
影響も絶対受けてるし。
だから、「純文学とはこうや」みたいな気持ちは
あんまりないんです。
糸井
そういうのも全部よかったですねえ。
読んでて気持ちよかったもん。
ぼくも素人のままで
言うしかないんだけど、
小説にも流行みたいなものがあるんです。
自分なりに自由に書いているつもりでも
その時代の流行に合わせているわけで、
破滅型の人が出てきてウケてると、
「俺のほうがもっと破滅型だ」って
やつが出てくるし‥‥。
又吉
(笑)
糸井
やっぱり何が人の心に届くかを考えると、
時代の影響を受けざるを得ないわけです。
又吉さんがテレビでしゃべってるのを聞いてると、
「ああ、このへんのことを
 おもしろがってるんだな」
というのがわかるし、やっぱり
ある時代を背負っているわけです。
だから又吉さんの小説も、
「どれどれ」っていうような思いで
読みはじめたんです。
ぼくが自分で『文學界』を買ったのって
これがはじめてじゃないかな。
又吉
本当ですか。
糸井
うん。友達が書いたからというので
送ってもらったことはあったけど、
多分、買ったのははじめてだと思う。
ほかの芸人さんが書いた小説も知ってるんだけど、
それは映画化しやすいものだったり、
自叙伝みたいなものだったり、
だいたい見当がつくものなんです。
又吉さんの場合、
「俺がどうしてきた」という話を
書くとは思えないんで、
どうするんだろうと思って、
ハラハラしながら読みはじめました。
で、「師匠」と友達になりそうになった
シーンあたりから、安心して読めて。
又吉
あ、そうですか(笑)。
糸井
小説の中で芸人さんが話している
カギ括弧の中のセリフについては、
又吉さんがずっとやってきたことなんで
安心感があるんです。
そこはプロですからね。
台詞に関しての安心感が引っ張ってくれているのに、
台詞だけに逃げないから、ものすごくおもしろい。
お笑い論でもあるし、
青春小説でもあるし、
読み終わるまで1回も止めなかったです。
又吉
それは‥‥すごくうれしいです。
糸井
トイレに行くときは
トイレに持って行きましたし。
又吉
へぇー。
糸井
書くときはきっと、
止めて止めて書いてたんでしょう?
又吉
そうですね。
糸井
読むほうは止まらなかったです。
又吉さんが小説を書いていると知ったときは、
芸能界で足の速いやつが
マラソンに本当に出ちゃったよ、みたいな
気持ちになったんです。
でも、なんとかなる可能性が
あるらしい‥‥あるかも? みたいな(笑)。
読んでみようと思ったのも、
ぼくが読み手としておもしろがれるのか、
「あれ? 全然おもしろくなかった」と言うのか、
そこも興味あって‥‥
だから、ぼくにとっても冒険でしたね。
又吉
それはやっぱり糸井さんならではの
目線なんでしょうね。
糸井
そうです。ぼくのキャラですね。
ぼくは人生を豊かにしてくれるものだったら
どんな嫌なものでも怖いものでも
取り入れるんです。
おもしろいものを見つけたくて
しょうがないから。
又吉さんの書いたものだって、
「俺は大嫌いなんだけど、あれは読むべきだ」
と言う可能性だってあった。
だけど、ぼくの好みに
ピタッと合っちゃったんです。
又吉
あぁ、ありがとうございます。
糸井
その理由の大きな一つは、
書き出しを花火大会の余興のシーンから
はじめたことじゃないかな。
あの冒頭のシチュエーションを
考えついたというのは、
あとの話を全部楽にしてくれましたねえ。
又吉
そうかもしれません。
糸井
最初のシーンがすごく印象的で
ぼく、タイトルを間違って、
「『花火』って小説だけどさ」って
みんなに言ってたの(笑)。
又吉
(笑)
うちの母親も、
「『花火』読んだよ」って。
糸井
言ってた?(笑)
実際はタイトルを『火花』にすることによって
主役2人の関係を象徴しているんだけど、
『花火』だと社会との関係が出ますよね。
売れないお笑いの人たちが、
花火の音にかき消されて
雑踏に溶け込まないようにしてるんだけど無理で、
突っ張ってるんだけどダメで、っていうシーン。
小説デビューも含めて何もかも全部が
あの冒頭のシーンに
入ってるんだろうなぁって。
又吉
実際には花火大会の余興で
お笑いをやったことはないんですけど、
似たようなことで言うと、
スキー場のゲレンデの
みんながすべってる傾斜の途中に舞台がある、
という状況を経験したことがあって。
糸井
それ‥‥みんな通り過ぎちゃう(笑)。
又吉
「誰に向けてやってんねやろ」って(笑)。
いろいろ行きましたが、
スキー場より難しい環境はないです。
糸井
スキーは、花火以上にすごいですね。
又吉
誰も止まらないですから。
糸井
止まらない(笑)。
言葉って流れちゃいけないものですからね。
ピンで留めていくものですからね。
それで、どうしたんですか。
又吉
ネタをやるというよりは、
挨拶の部分を何回も‥‥。
糸井
「はい、どうも!」って感じで?(笑)
又吉
「来させてもらってます!」
みたいな感じでコンビ名だけ言って。
スキー場だけじゃなくても
商店街とか、人が通り過ぎていく環境は
けっこう難しいですね。
糸井
ぼくはそういう状況は苦手なんですけど、
広告の仕事をしているときに
いつも思ってたのは
「お客さんは通行人だ」ということなんです。
広告を読みに来るという用事で
来るんじゃなくて、通り過ぎる人なんだと。
で、広告はその壁面に貼ってある
ポスターみたいなものなんだと。
その横を通り過ぎようとした人が
「なんかいいな」と言ったら最高だし、
ギョッとさせ過ぎるのは下品だし。
又吉
あぁ、はい。
糸井
通り過ぎたんだけど、
「俺、いま何か読んだぞ?」って言って戻って、
「何これ」って言ってもらったら、
いちばんうれしいんです。
つまり、又吉さんが現場で踏んでた経験を
無理に脳内でやるんです。
ぼくの脳の中に町内会があって、
そこにポスターで言葉を貼って‥‥
というふうにイメージして、試す。
で、それに合格してはじめて
「この仕事のキャンペーンはこれです」
と言って企画として出せるみたいな。
又吉
おもしろいですね。
そういうふうに考えると、
スキー場の中腹であっても
お客さんが止まってくれるかもしれないですね。
糸井
うん、たとえば赤ん坊が
号泣してれば止まりますよね。
あと、裸になってみるとか、
その一瞬の本気さみたいなものを出すとか、
最初に止まってもらう「手」は
いっぱいあるとは思うんだけど、
プロはそれをまたできるかというのを
問われるんです。
又吉
あぁ。
糸井
たとえば、アマチュアな気持ちでいる人は、
裸になるの平気ですよね。
でも、プロの場合は裸になるというのを
またやれるかどうかなわけで。
一発芸でデビューした人たちって、
消えていく覚悟でスッ飛んできてるわけで、
プロは、
「あんなのやったら
 来年はないから、俺はしない」って
思ってますよね。
又吉
ああ、そうですね。
糸井
そういう違いはあると思うんだけど、
いや、でも又吉さんのその落ち着き方は、
すごいなあと思います。
(つづきます)
2015-03-31-TUE