| 鳥越 |
やっぱり、あまりにも
奉りあげられて偉くなってしまった、とか、
頂点にずっと祭り上げられてきた人間というのは、
なかなか難しいですね。 |
| 糸井 |
大きい問題ですよね。
権力が権力を取り返すというのはいつでもある。
この間の野田秀樹の芝居もそういうテーマでした。
前の権力をひっくり返した奴らが、
また必ず権力志向のパターンに陥る。そこで、
「そうじゃない生き方って何だろう?」
というようなことを野田くんが表現しているんですが、
彼は実践的に集団を作って何かをしているので、
そこらへんでものを言いたいんだろうな、と思う。 |
| 鳥越 |
ぼくは基本的に、新聞社にいた時にも、
局長というのには、なりたくなかったんです。
・・・まあ、なれる保証もなかったけど、
でも、局長は、見ていてつまらなそうだった。
彼ら、楽しんでいないんですよ。
・・・とってもつらそうにしている。
予算がどうだとか、人事がどうだとか、
それはそれで必要なことなんだけど、
楽しんでないというのが、もう明らかにあって、
「そういうのをするために生きていないから、
常に動いているニュースの現場にいたいなあ」
とぼくはその時に思いました。
で、これ以上はできないなあと思って、
雑誌の編集長という時点で会社を辞めることにした。
たまたまテレビから誘いあった時には、
キャスターがどんなことをやるものなのかが、
まったくわからなかったんですけどね。
「現場に出て、取材ができますよ」
「ああ、取材できるならやります」
というだけで、やることに決めました。
その選択は、ぼくには正解だったと思います。
ぼくにとって、何をしたいのかを
ずっと問いつめていくと、おそらく
最終的に突き当たるのは好奇心だけなんです。
いろいろなものをぜんぶ脱ぎ捨てた時に、
「何か知りたい、何だろう?これは」
という気持ちが残るんです。
これは死ぬまで抜けないんだろうと思う。 |
| 糸井 |
好奇心に身をゆだねるためには、その時々に
自分の中にいっぱいにあるコップの水を捨てて、
次のジュースをもらうみたいなことを、
鳥越さんは、平気でできますよね? |
| 鳥越 |
それをしないと、次のことができないから。
ここにたまっている前の財産を捨てるのを
「もったいないなあ」と思ったらできないですね。 |
| 糸井 |
だから、去年の末に
鳥越さんにはじめて会った時、おもしろかった。
納得しさえすれば変わる準備は持っているけど、
でも、納得できるまでは吟味したいという気持ちが
すごく見えるから、ぼくへのインタビューでも、
聞く時には寄り添いつつも、
「ぜんぶ本当のことを言わないと、勘弁しないよ」
みたいなところが、きちんとありましたから。
それ以前に、鳥越さんのことを
よく知っていたわけではないんだけど、
でも、この人がやみくもに対決をしに来ている、
というわけではないのが、よくわかったんです。
相手との話し方が、ぼくも
鳥越さんと近いかもしれないけど、
もう、裸に近くなるしかないじゃないですか。
話していてぼくが自分の殻を一枚脱ぐと、
鳥越さんもそこで一枚ずつ脱いで話を継ぐ。
だから、対談をしていると、
話す前にまとっていた殻の服が、
目の前に山のようになっていくんです。
最後には、風呂場で話しているみたいな雰囲気で。
あのインタビューは短い時間だったけれど、
あれですごく鳥越さんが身近になったんです。
「ああ、人は会わなきゃだめだなあ」
と、その時にぼくは、改めて思いました。 |
| 鳥越 |
ぼくも本当にそう思う。
糸井さんのところへの取材には、
期待して行ったわけではないのに、
行ってみたら、その後はもう、
今日こうして話すようなことになっているわけで、
こういう出会いは、やはりおもしろいですよね。
ぼくには、まったく予期せぬ出来事だもん。
インターネットでホームページに原稿を書くなんて、
糸井さんと話す瞬間まで、考えたこともなかった。
雑誌にエッセイを書くことはしているんだけど。 |
| 糸井 |
それは、原稿料出ますし(笑)。 |
| 鳥越 |
だけど、そういう原稿は、
「つらいなあ、ああ、締め切りか」
とか思いながら書いてるわけですよね。
「ぼぼ日」の場合にも、例えばお酒を飲んだ時に
つらいなあというのは確かにあるけど(笑)、
本当のことを言うと、楽しんで書いてるんです。
楽しみがないと続けられないと思いますし。
(つづく) |