「あのくさこればい」の対談版。
(雑誌『編集会議』の連載対談まるごと版)

第11回  人は、会わなきゃだめだなあ。


鳥越 やっぱり、あまりにも
奉りあげられて偉くなってしまった、とか、
頂点にずっと祭り上げられてきた人間というのは、
なかなか難しいですね。
糸井 大きい問題ですよね。
権力が権力を取り返すというのはいつでもある。
この間の野田秀樹の芝居もそういうテーマでした。
前の権力をひっくり返した奴らが、
また必ず権力志向のパターンに陥る。そこで、
「そうじゃない生き方って何だろう?」
というようなことを野田くんが表現しているんですが、
彼は実践的に集団を作って何かをしているので、
そこらへんでものを言いたいんだろうな、と思う。
鳥越 ぼくは基本的に、新聞社にいた時にも、
局長というのには、なりたくなかったんです。
・・・まあ、なれる保証もなかったけど、
でも、局長は、見ていてつまらなそうだった。
彼ら、楽しんでいないんですよ。
・・・とってもつらそうにしている。
予算がどうだとか、人事がどうだとか、
それはそれで必要なことなんだけど、
楽しんでないというのが、もう明らかにあって、
「そういうのをするために生きていないから、
 常に動いているニュースの現場にいたいなあ」
とぼくはその時に思いました。
で、これ以上はできないなあと思って、
雑誌の編集長という時点で会社を辞めることにした。

たまたまテレビから誘いあった時には、
キャスターがどんなことをやるものなのかが、
まったくわからなかったんですけどね。
「現場に出て、取材ができますよ」
「ああ、取材できるならやります」
というだけで、やることに決めました。
その選択は、ぼくには正解だったと思います。

ぼくにとって、何をしたいのかを
ずっと問いつめていくと、おそらく
最終的に突き当たるのは好奇心だけなんです。
いろいろなものをぜんぶ脱ぎ捨てた時に、
「何か知りたい、何だろう?これは」
という気持ちが残るんです。
これは死ぬまで抜けないんだろうと思う。
糸井 好奇心に身をゆだねるためには、その時々に
自分の中にいっぱいにあるコップの水を捨てて、
次のジュースをもらうみたいなことを、
鳥越さんは、平気でできますよね?
鳥越 それをしないと、次のことができないから。
ここにたまっている前の財産を捨てるのを
「もったいないなあ」と思ったらできないですね。
糸井 だから、去年の末に
鳥越さんにはじめて会った時、おもしろかった。
納得しさえすれば変わる準備は持っているけど、
でも、納得できるまでは吟味したいという気持ちが
すごく見えるから、ぼくへのインタビューでも、
聞く時には寄り添いつつも、
「ぜんぶ本当のことを言わないと、勘弁しないよ」
みたいなところが、きちんとありましたから。

それ以前に、鳥越さんのことを
よく知っていたわけではないんだけど、
でも、この人がやみくもに対決をしに来ている、
というわけではないのが、よくわかったんです。
相手との話し方が、ぼくも
鳥越さんと近いかもしれないけど、
もう、裸に近くなるしかないじゃないですか。
話していてぼくが自分の殻を一枚脱ぐと、
鳥越さんもそこで一枚ずつ脱いで話を継ぐ。
だから、対談をしていると、
話す前にまとっていた殻の服が、
目の前に山のようになっていくんです。
最後には、風呂場で話しているみたいな雰囲気で。
あのインタビューは短い時間だったけれど、
あれですごく鳥越さんが身近になったんです。
「ああ、人は会わなきゃだめだなあ」
と、その時にぼくは、改めて思いました。
鳥越 ぼくも本当にそう思う。
糸井さんのところへの取材には、
期待して行ったわけではないのに、
行ってみたら、その後はもう、
今日こうして話すようなことになっているわけで、
こういう出会いは、やはりおもしろいですよね。
ぼくには、まったく予期せぬ出来事だもん。
インターネットでホームページに原稿を書くなんて、
糸井さんと話す瞬間まで、考えたこともなかった。
雑誌にエッセイを書くことはしているんだけど。
糸井 それは、原稿料出ますし(笑)。
鳥越 だけど、そういう原稿は、
「つらいなあ、ああ、締め切りか」
とか思いながら書いてるわけですよね。
「ぼぼ日」の場合にも、例えばお酒を飲んだ時に
つらいなあというのは確かにあるけど(笑)、
本当のことを言うと、楽しんで書いてるんです。
楽しみがないと続けられないと思いますし。


(つづく)

2000-09-18-MON

TORIGOOE
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