「あのくさこればい」の対談版。
(雑誌『編集会議』の連載対談まるごと版)

第3回  メールの影響が、乱反射している。


糸井 ニュース番組での鳥越さんは、
少ない言葉ですから、批評の分量が少ない。
断言する分量が、すごく少ないですよね?
そのスタンスの取り方は、
もしかしたら、超硬派な人からは
「甘い」とでも言われかねないんだけど、
ぼくは、「何でもかんでも裁こう」とはしない、
その鳥越さんのテレビでのスタンスに、
とても好感を持ちながら観ているんです。
鳥越 それはね、それほど自分が
大したものではないと思ってるからで。
糸井 だから、ぼくには、そういうのがいいんですよ!
鳥越 だって、そうじゃないですか。
そんなに自分って偉くもないし。
この仕事に就いて30年ぐらいやってきたから、
例えばある事件が起きたとしたら、
それに関してはこういう歴史があって・・・
とか、そういうことを多少はわかるので、
だから言えることは言う、というぐらいなんです。
「ほぼ日」の原稿を書く時にしても、
基本的にぼくはそういうスタンスです。
糸井 うん、それがいいんです。
鳥越 でもね、書いてるうちに、
偉そうになってるんじゃないか?
という気がする時もありますけどね。
糸井 なるほど。放っておくと、
そうやって言いきったほうが早く書けるというか、
情報を提供する効率がとてもいいんですよね。
そういう情報効率のよさに
足をすくわれるようなところがぼくにもあって、
俺はそんなに立派な人じゃないのにもかかわらず、
どこかで、立派な風にまとめあげたい、
という欲望が、隠れているんでしょうね。
ものを書いたり表現したりというなかに、
そういう要素がとても含まれているんだろうなあ。
鳥越 そう。
「いかんぞ、お前はそんなに
 大きなこと言えるのか(笑)」
と、ときどきハッと気づくんですけど。

「ウェブ」って、クモの巣とか
ネットワークというような意味ですよね?

そこのところで言うと、新聞とかテレビは、
いちおうネットワークのようだけれども、
実は、一方通行ですよね。網ではなくて一本の糸。
発信者と受信者が、一本の糸でしかあれない。
視聴者はブラウン管を見ていても、
キャスターと目と目があっているから、
一対一の関係なんですよね。
まあ、そこでときどき思い違いをする
若い人がいて、女性のアナウンサーに
手紙を送りつけたりするけど・・・(笑)。
新聞も、同じように、基本的には一対一で、
つまり、横の関係はないわけですよね。

だけど、ウェブの網の目は、
横とか斜めとか、あちこちにつながるでしょう。
ぼく、「ほぼ日」をやってみてわかったけど、
インターネットでは無数に、
いろいろなふうにつながれると感じました。
「ほぼ日」の読者には、例えば大学の先生がいて、
その先生が「この言葉の使い方は違います」とか、
すぐその日にパッと書いてくれるわけで。
「教えていただいてありがとうございます」
と感じたり。まさに網の目で、これはやっぱり、
新聞とテレビの経験ではなかったと思います。
糸井 あれは、びっくりしますよね。
鳥越 本当に。
糸井 ぼく、今でもびっくりします。
鳥越 この間の、チンパンジーのお話なんて、
ぼく、びっくりしたんだけど、おもしろかった。
糸井 人工受精でチンパンジーの子供が生まれた、
誰の子供かわからない、という記事があって、
「人工受精なのにだれの子供かわからない?
 それはどういうことなんだろう?」と、
鳥越さんが書いたんですよね。
鳥越 それを「わからない」と書いたらすぐに
京大の霊長類研究所の大学院の学生が、
ぱっと「実はこうです」と教えてくれたんですよ。
糸井 そのチンパンジーの隣で研究している人で。
鳥越 なかなか受精しなかったから、
もう1匹のチンパンジーの精子もとっていたから
どちらの子かが完全に確定していなくて、と。
どちらでもいい話ではあるんだけど、
何かわかるとうれしいし、おかしいでしょう?
そのメール、ほんとにすぐパッと来たんです。
糸井 もっと素敵なのは、そのメールをくれた人が、
「最近私は、ちょっと
 勉強をルーティーンにしてたけど、
 刺激になって、もっと頑張ろうと思いました」
みたいに書いてくれたところですよね。
影響が、乱反射している。
メール打ってるときに、向こうは、
まずは、教える立場になるわけですね、
その時に「その自分って何なんだ?」
という問いかけが生まれたんだと思う。
そう思えるその読者の人の資質が、
ぼくはすばらしいんだと思うんだけれども。


(つづく)

2000-09-10-SUN

TORIGOOE
戻る