糸井重里のコラム
2025-12-27
脳よ、分をわきまえて。

・養老孟司さんの「唯脳論」とかで、昔から言われていたことだけれど、もともと身体全体からしたら、神経網の交通整理みたいな役割をしていた「脳」が(大事なお仕事ごくろうさんです、とも思うけど)、いつのまにか、どんどん発達し過ぎてて、いい気になってるんじゃないかい?「脳」がどんどん発達していくにあたっては、ことばだとか抽象化だとか、いい道具立てが生まれてさ。そういう武器の助けを借りることもできて、加速度的に「脳」ばかりが発達してきたわけですよね。他の臓器は、ことばみたいな便利な武器を持たないから、心臓は心臓のまま、手足は手足のまま、目鼻は目鼻のまま、昔の人と同じような状態で、ほとんど変わらないわけです。そうなると、もう「脳」の天下ですよ。「脳」、身体まるごと(俺全体)のために働けばいいのに、「脳」そのものを活かすことを優先したがる。そりゃそうだ、そのほうが簡単だもの、効率もいいし。どんどんどんどん「脳」が考えて、「脳」を発達させるためのことばかりやるもんだから、身体の「脳以外」との差がつくばかりです。さらには、コンピューターの登場以後は、「脳」と「人口脳」との連合軍になってますからね。人間の身体を(その「脳」の持ち主を)生きやすくする、よろこばせることを忘れていたりもします。たまにね、身体のほうも、病気になったり、筋肉トレーニングしたりして「脳」の一人勝ちに対して逆襲を試みたりもするわけですが、まぁ、勝てないです。「脳」を止めちゃったら、身体全体が止まっちゃうしね。「おれたちは、脳の奴隷じゃねぇんだ」と、ほんとは感じてるんだと思うんですよ、身体も。

昨日、こんなことを思いました(それも、「脳」が)。もともと「どうでもいいこと」が大宇宙の本体ではないか。同じように「ただいること」が我が本体ではないだろうか。「脳」は、もっと分をわきまえて、もっとわたし全体のために働いてほしいと思うのです。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。ときどき、こういう反響のなさそうなことを書きたくなる。

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