糸井重里のコラム
2025-12-25
いろいろな友だち。

・これはもう小学生のときからだと思うけど、ぼくは、いろんな種類の友だちがいる人間で、「だいたいこういうグループ」みたいなのがなかった。地方都市の昭和年代の公立小学校だから、その地域の子どもが、まるまる同じ学校に通っていた。上流階級の子というのは、いなかったような気がする。前橋に上流なんてなかったよ、知らないけど。いまで言えば、中流の上とか中とか下とか。あとは、もうちょっと事情のある子も集まってた。なんたって、戦後3年というのがぼくの生まれ年だから。

教育ママの子どもだとか、坊っちゃんだとか、やがてグレる子だとか、ずっと黙ってる子だとか、なんだかとにかく、みんなでやってたんだよ。そういう小学校時代の交友関係のまま、中学生になり、高校生になり、少しだけ大学生になった。いわゆる文系の友だち、体育会系の友だち、ませてるやつ、知識のすっごいやつ、ワルいやつ、それぞれにじぶんよりすごいところがあるので、だいたい「いいなぁ」と思って付き合っていた。 いいもわるいも、高いも低いも、まじめもふまじめも、まだまだ若いもののことだから、高が知れてた。

思えば、ぼくの友だち関係というのは、大人になってからも、ずっと小学生時代みたいだ。たまに、どうしてそんなにいろいろなんですか、とか質問されたりもするけれど、じぶんでもわからない。まぁ、付き合っちゃいけない領域の人はいないし、どういうところにいても嫌いな人とは会わないから、ぼく自身にとっては、なんにも問題はない。それぞれ興味も話題もバラバラなのかもしれないが、同じような話ばかりしているより珍しいほうがたのしい。「へーえ、そうなんですか」と、何度も言ってるのが、いちばんおもしろいじゃないですか。

Netflixの「ラヴ上等」を見終わって、なんだか友だちについて、いろいろ思い出していた。たしかに、ふだんは会わないキャストばっかりだったなぁ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。ぼくは、「人生はあみだくじ説」だからね。角で曲がるんだ。

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