書くは、読むのたのしみのため。
・ふだん、あんまり近くにいるものだから、ほとんど語ることもなくなってるような存在。そういうもののひとつが、「ほぼ日手帳」だ。しかし、あらためていまでも発見があったりもする。
「豚汁 ミソ トマト&バジル カレー」と、2024年の1月10日に書いてあるのを見て思った。2年前のこの日に、ぼくはまだ元の建物のままで、名前も決まってない「ほぼの駅AKAGI」の、献立のことを考えていたのだった。それから試作を繰り返して(まだ変化もするだろうが)、「そうだ、豚汁からはじめよう」と思った日のことを、ぼくは忘れたくなくて「ほぼ日手帳」に記していたのだ。こんなことは、ほんとうにたくさんある。
で、発見というのは、もうちょっと別のことだ。手帳とか日記とかはもちろん、メモとかでも、動詞としては、「WRITE(書く)」で考えてしまうが、そっちに気を取られすぎていた、と思ったのだ。だから、「使いこなせなくって」という感想も出てくるし、「たくさん書けない」とか「なにを書けばいいのか」とか、ちょっと敷居の高いもののように構えてしまうのだ。ちがうのだ、手帳のおもしろさは、「WRITE(書く)」の対照の位置に「READ(読む)」があるということなのだ。それは、写真なんかも同じで、まず「撮る」があるのはよくわかるが、撮ったものを「見る」からたのしいんじゃないかい。
「ほぼ日手帳」に「なにを食ってうまかった」なんてこと、さらっと書くときには、たいしたことじゃないと思ってる。しかし、あとで、それを読んだとき、うれしいんだよね。「書く」ことの内容なんて、気にする必要はまったくない。いっそ「読む」ものだと思ったらいいんだ、とね。
今日、ぼくは、こういうことを書くつもりだ。「仕事や読書の1時間を減らして、1時間余計に眠ること」読むときのことを意識して、別の日にも同じことを書くよ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。「子どものかわいさは寝顔につきる」という説もありますし。