糸井重里のコラム
2025-12-26
みかん、ごめん、めんどくさい。

・じぶんっていうやつの了見がわからない。

たとえば「みかん」のことだ。みかん食べようかなというとき、「めんどくさい」という。しかし、よく考えてみろよ、おれ。外側の皮をむいて、ひと房ごとに口に入れて、食べればいいだけのことではないか。内側のふくろを食べるなら食べる、食べないなら食べない。白いすじをとるならとればいいし、とらなくてもいい。食べなかった部分は、皮の内側にゴミとして出せばいい。あ。どこが「めんどくさい」のだと説教しはじめたら、だんだんと「めんどくさい」感じになってきてしまった。ほんとうに「めんどくさい」のがいやだったら、外側の皮だけむいて、そのまま食べちゃえばいいんだけど、なかなかそういうワイルドなことはできない。妙にきれいにして食べようとしていることに気づく。やっぱり、「めんどくさい」のか?たったこれだけのことが「めんどくさい」というのか!

そんなことじゃ、他の果物もぜんぶ食べられないぞ。「りんご」だとか、皮をむくのにナイフが要るぞ。「すいか」は、もう、冷やすところから「めんどくさい」。「ぶどう」、ひとつぶずつ、いちいち食べるんだぞ(最近じゃ、皮ごと食べるのも出てるけどな)。「パパイヤ」だの「マンゴー」だのも大変だよ、らんぼうに切ったりしてたら汁がこぼれちゃうしな。「みかん」は、ぜんぜん、いいほうなんだよ。なのに、「めんどくさい」って、本気で言ってるよな?どういう「ものぐさ人間」なんだ、俺よ。ちまちまと長い時間のゲームやったりもしてたくせに。「めんどくさい」のかたまりみたいな本も読んだりさ。

んで、こういうじぶんのような人間が多くなってるから、すべてが「めんどくさくない」ように「改良」されるんだ。いいのだろうか、そういうことで、という気持ちはある。 煮魚をきれいに食べるときのあの姿勢を、忘れたくない。しかし、いまも、目の前の「みかん」を食べないで、「めんどくさい」と思って見ているじぶんがいる。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。「めんどくさいの研究」って新書が出たら、絶対に読みたい。

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