第1回更新

 もちろん"商品"をもって歩くような間抜けではない。客と接触し安全が確認されるまでは決して品物をおいた場所まで案内しない。以前はそれがコインロッカーだったり喫茶店で待たせた仲間だったりしたものだが、今は別の場所になっているようだ。それがどこであるかはわからない。品物の隠し場所は、露崎にとっては秘中の秘だ。そこさえおさえられなければ、どれだけ警官にマークされようと逮捕を逃れられる。逆に品物の在り処を嗅ぎつけられたら一巻の終わり、露崎は泣く泣く、売れば金になるブツをあきらめる羽目になる。
 もちろん品物に指紋を残すような馬鹿ではないから、押収されてもそこからたどられる心配はない。
 露崎が売人として特異なのにはもうひとつ理由がある。それはネタ元が一カ所ではない、という点だ。
 末端の売人が暴力団の構成員であることはまずない。万一、構成員がつかまれば、捜査は組全体に及ぶ。そこでクスリを扱う組は、組とは無関係な卸し元を用意し、売人を集める。売人が日本人であることは少ないが、日本人ならばそのほとんどがクスリの常用者だ。十パケ(包)売れば一パケがただになる、というシステムにのって自分のクスリ代を浮かすために売人となる。つかまってももちろんネタ元に関して口は割らない。割れば次から自分にクスリが回ってこないからだ。映画のようにネタ元を喋ったからといって、命を狙われるということはない。たかがヤク中ひとりの生命とひきかえに刑務所に入るようなお人好しは現代のやくざには皆無だ。
 とはいえ卸し元が定まっている以上、通常は売人と卸し元、さらにはその向こう側に潜む暴力団は一本の線でつながっている。
 露崎が異なるのは、いくつもの卸し元とコネをもっている点だった。ベテランでなければ不可能なことだ。それによって露崎は、品不足のときであっても"商品"の安定供給と安心価格を維持できる。
 大がかりな摘発が中国国内で起こると、覚せい剤は品薄になり値段がはね上がる。その波及は、覚せい剤以外の商品、たとえばMDMAや大麻などにも及ぶ。かつて暴力団は、大麻などはガキのおもちゃだとして、専門に扱う組が少なかった。扱ってつかまればそれなりの処罰をくうのに、供給が不安定で大がかりな売買に結びつかないからだ。
 それが栽培技術の進歩で、屋内農園による大量生産と供給が可能になり、覚せい剤の北朝鮮ルートの壊滅ともあいまって商品価値が向上した。
 大規模な屋内農園を作るにはそれなりの初期投資が必要だ。その資金援助をおこなうかわりに販路を独占するというのが、暴力団の手口だ。栽培も卸し元もあくまで組とは無関係な人間でありながら、販売による利益はしっかりかすめとっていく。
 覚せい剤と大麻の密売ルートがまったく別であった時代なら、覚せい剤の品薄が大麻の価格高騰につながることはなかった。が、根がひとつとなるとそうはいかない。覚せい剤販売利益の減少を別の商品で確保するべく、大麻の値は上がる。
 露崎は、そうした市場の動向とは関係なく、一定の値で品物を提供する売人だった。それは顧客のあいだでは"良心的"との評価をうけている。
 新宿署のベテラン刑事の多くが露崎の存在を知っていた。にもかかわらず検挙されないのは、それが難しいからだ。めったにないことではあるが、用心深い露崎が顧客と接触するのを視認できても、品物を手渡すところまで見届けるのは不可能に近いと知っているので、そこまでの労力を割くのをためらう気持がある。
 せいぜいが売買のあとの客を見つけ、職質をかけてクスリの所持を理由に現行犯逮捕するくらいだ。だがそれをしたとしても客は露崎から買ったとは決して吐かない。吐けば二度と売ってもらえなくなる。取調では、外国人の売人から買ったといい、顔はよく覚えていないと主張する。実際、顧客の電話番号が登録された携帯電話をもつイラン人やパキスタン人の売人は、掃いて捨てるほどいる。その連中にとって携帯電話は店の帳簿と同じで、一台数十万から百万円の値で取引される。つまり同じ外国人が何年にもわたって売人をつづけるわけではなく、本国に帰国したり他の国へ移ることで、顧客の電話番号だけが受け継がれていくのだ。
 たとえ売人をつかまえても、電話のデータのバックアップさえあれば、翌日から別の売人が商売を始められる。そこに"プロ"としての技術めいたものはほとんどない。必要最低限の日本語さえ喋ることができればよい。
 それに比べれば、露崎は立派な"プロ"だ。多くの刑事が、奇妙だがその仕事ぶりにはある種の敬意を払っていた。

 鮫島が足を止めたのは、新宿三丁目にある家電量販店の二階だった。パソコンを主に扱っている売場で、人のいききが激しい。その中にずんぐりとした露崎の姿を見つけた。
 露崎は販売員とノートタイプのパソコンをはさみ、話しこんでいる。鮫島自身、自宅用のパソコンのソフトを捜しにきたところだった。
 鮫島は露崎の視界に入らない位置に移動するとあたりを見渡した。
 しきてんらしい人物はいない。しきてんとは見張り役のことで、売人が商売をするときは、あたりに立たせておくのがふつうだ。だが売人より先にしきてんの面が割れると、ここで密売をやっていますと宣伝するに等しく、露崎は使わないこともあるようだ。
 かわりに男の姿がひっかかった。鮫島の左手十メートルほどの位置に立ち、陳列されたソフトを手にしながら、ちらちらと露崎のほうをうかがっている。
 しきてんではない。しきてんなら決して売人を見ることはない。しきてんが警戒するのは警官や地回りだ。
 男は三十代の半ばくらいで、リュックを背負い、マスクをつけている。チェックのシャツにチノパンといういでたちだ。足もとを見るとやけにぴかぴかの皮靴をはいていて、そこだけがそぐわない。
 男が手にしたソフトの箱を棚に戻し、再び露崎を見た。
 鮫島は露崎に目を向けた。露崎が販売員に何ごとかをいい、首をふった。販売員は小さく頷いて、パンフレットらしきものを背後の棚から露崎に手渡した。
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