怖いものの順番(3月19日)

<怖いものの順番。>

ぼくは怖がりです。おそらく、他の人と同じくらいではあると思いますが、強い人間ではないのは、じぶんがいちばんよく知ってますし、怖いことや怖いものに近づくのも苦手です。

もうひとつ、ぼくは好奇心の強い人間です。怖いはなしや、怖い映画、怖い遊び、ことによったら怖い人についてさえ、「怖いけど、知ってみたい」と思うところがあります。格闘技が好きだったりするのも、そういうところと関係あるのかもしれません。だから、じぶんが安全な場所にいるとわかれば、目玉や耳だけは、怖いもののほうを向いたりします。

そういうぼくですから、いまのような状況は、ものすごく怖いです。ここまでが長い悪夢であったらどんなにいいか、目が覚めたら、おなじみの日常がそこにあったら、どれだけうれしいか‥‥。

そういうぼくですが、「怖い」気持ちと「好奇心」は、どんなにがんばってもなくせない、と思って、そのときそのときの「怖い」の正体を、じぶんに問いかけてみるのです。

「なにが怖いのだろう」と、考えてみます。

考えると、いまの「怖い」気持ちというのは、いくつもの要素のからみあったものだとわかります。

あちこちから借金を重ねて、借金から逃げるために、また借金をくりかえす、というような「多重債務」という状態がありますが、そういう人と同じようなものかもしれません。複雑でややこしくなってしまって、どうすればいいのか道筋が見えないので、自暴自棄になってしまうような人もいます。

そういう状態と似てると思うんです。もう、「なにが怖いのだろう」ではなく、「なにもかも怖い」という漠然としていてしかも大きな絶望感につながってしまうのです。これは、キツイです。ぼくのなかにも、そういう部分もあります。なんといっても、もともと怖がりなんですからね。

こういう場合、他人の立場からだとアドバイスできます。
「まず、なにが怖いか、ひとつずつ言ってごらん」
ということから始めるでしょう。ひとつずつなら、言えます。はっきりとした、怖い思い出が残っていますから。

●地震が怖い。

どこで地震にあったかによって、怖さの程度はちがうかもしれませんが、地震が怖かったという記憶があります。そして、それが、「またくるのではないか?」という怖さがあります。

地面が揺れて、建物が壊れたりすることを、想定して暮らしていなかったのですから、びっくりもしますし、どうなるのかという恐怖もあります。

あのときと同じ地震が来たら、どうだろう?いちばん被害の大きかった地域の人たちは、基本的には、同じ場所にはもういないはずです。より安全なところにいるので、建物の倒壊などによって起る事故からは逃れられます。最も大きかった津波の被害に遭った方も、最大の津波が押し寄せてくる場所だけは、もう離れていると思うので、津波の被害は回避できそうです。

地震のときと、同じ家にいまも暮らしているとしたら、同じくらいの地震があった場合には、同じくらいの被害を受ける可能性はあるかもしれない。ぼくの家の場合だったら、大量の本が崩れ落ちたとか、棚の中の陶器類が半分くらい割れたとかです。でも、同程度の地震がもう一度あっても、もうそのための対策はしてありますから、ものの倒れてくるような場所にいなければ、大丈夫です。

むろん、生物として感じる怖さはありますけどね。

地震対策の基本で、しっかりと身を守る。火災の可能性をなくすため、火の元にじゅうぶん注意を払う。地元のそれぞれの避難場所に逃げる。ということで、いちおうは対処できるとわかります。

お風呂に入ってるとき、どうしましょうというようなことは、各自、近くに服を置いておくとか、工夫したらいいだけのことでしょう。

いま言ったのは、地震が、この前の大きな地震と同じ大きさだった場合です。地震観測史上最大、とも言われる地震が、もういちどきたらという仮定です。でも、ここまでの覚悟はできると思うんです。だとしたら、いままでの気象庁の発表していた、「余震は、本震よりも小さくなる」という経験則もあるし、地震そのものについての怖さは、なんとか迎え撃てると思えるのです。

こんなふうに「怖さ」でなく「安心」のほうに向けてものごとを語ると、必ず「それを読んで油断した人が事故にあったら、どう責任をとるのだ。もっと警戒しろ」と言われます。いちおう、そのことも、付け加えておきます。誰も、油断していいなんて言ってないわけで。過剰に緊張していることは、人間、できないものです。ここまでの危険の可能性がある、と知って、あとは、覚悟だけしておいて、徐々に日常を取り返すしかないと思うのです。

また襲ってくる、油断するな、と過度に言いたがる人は、復旧に向けて、道路を直している人たちだとかにも、同じことを言うのでしょうか。

というわけで、ぼくは地震については、ひとつ怖さの正体が見えた気がするので、ずいぶん明るくなれました。多重債務者でいえば、ひとつ返済の目処が立った。というようなことでしょうか。

●原子力発電所の事故が怖い。

被災の中心にあった人たちは、この問題について考えていることさえも、できていないかもしれません。大怪我や重篤な病気で治療を受けている方々は、いま現在の命の問題が先になるでしょうから。そういう最も緊迫した恐怖については、ぼくは想像でしかものを言えないので、失礼があったらもうしわけありません。

これまでの大きな震災では、東北を中心にした、地震と津波の事故について懸命に考えることが、わかりやすい道筋でした。今回は、そこに原発の事故という要素が加わり、この震災の「助ける側」だったほうの人たちにまで、大きな影を落とすことになりました。

福島の原発事故からの避難エリアでは、「そこにいること」にこだわっていてはいけません。怖いとか怖くない以前に、避難することが前提ですから。そこのエリアで想定される被害の程度について、ぼくは専門的な知識のある人の発言を聴くのみです。大きく考える人も、小さく見積もる人もいますが、いまのところ、ぼくは何人かの方々のご意見を参考にしています。
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