「ぜんぶ書いてるというスタイルを とっていて、 ものすごく編集してある」
というものです。
伊丹さんの文章はたぶん、その後の昭和軽薄体や、嵐山光三郎さんたちにも影響与えていくと思うんですが。

[村松]
そういう意味じゃ俺なんか、そうとう影響受けちゃってるわけ。
『私、プロレスの味方です』なんてさ、
「と、まあ、こういうわけであります」とかやってるの。
伊丹さんだけじゃなくて、唐(十郎)さんにしても野坂(昭如)さんにしても、自分がどっぷり浸かった人の染色体に染まっちゃうところが、俺にはあります。
それに関しては、物書きとしては、後ろめたいと思ってるところもある(笑)。

[糸井]
それは、ほんとうは全員にあるはずです。
作家がみんな編集者出身とは限らないから関係がわかんないだけです。
ぼくは、伊丹さんの文章っておもしろいなぁと思うんだけど野坂さんみたいに、何かつかまれるって感じには、なぜだか、ならなかった。

[村松]
それはそうだよ。
伊丹さんはつかませないんだから。

[糸井]
うん。ただし、これはすげえなと思ってたのはやっぱり、しゃべり言葉の文体です。
伊丹さんの文章がなければ、ぼくはデビューできてなかったと思います。
つまり、ぼくの『成りあがり』の仕事は伊丹さんなしではできなかったんです。
伊丹さんの文章を読んだとき、きっとぼくはリアリティということを思ったんですよ。
矢沢永吉さんの取材をしたとき、どうにでもやりようがあったのに、無自覚で「○○なわけよ」って書いちゃったんです。
自分としては、伊丹さんの名前さえ忘れながらやってたわけです。
その後もずっとぼくは、しゃべり言葉でものを考え、しゃべり言葉を仕事にしてきました。
それはとてもありがたいと思ってます。
いまのテレビがやってることもそうとう伊丹さんの工夫に影響されています。
それはやっぱり、職人として次の仕事が来るように仕事を返していくという、生きる術としての仕事論みたいなものが伊丹さんの中には根強かったからじゃないかな。
それが、実にいろんな努力と工夫を生んだし、弱みはとにかくカバーできるって信じてたと思う。



[村松]
うん、そうだろうね。

[糸井]
だから、無敵なんでしょうね、きっと。
みんなが「そんなもの説明できねぇ」と言っていたことを伊丹さんは全部説明しました。
そのおかげであとの人がどれだけ助かったか、ということがひとつあるのと、そこにおまえは何載せるんだという問いかけが残る、ということがあります。

(つづきます)


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