俺も法隆寺を見ていて、作った人はえらいなと思うよ。
ふつうなら大陸の技術が来たら大陸と同じように作るやん。
ところが同じようにはしてない。
大陸の技術が来るまでには日本の中に既に偉い心があって、
それで、吸いとり紙で取るように向こうの技術を吸収して、
大きく開いたわけなんだ。
小川三夫

第三回 法隆寺を作りあげた精神
糸井 小川さんも徒弟制度に入る前は
普通の子だったでしょうから、
前には秘かに涙を流した時とかもあったのですか?
小川 そりゃ、やっぱり
苦しい時は多少はありました。
しかし修業をするのに苦しいとか思うのは、
雰囲気の中に入りこめていないからですよ。
入りこんでしまえば何でもないです。

いろんな能力のある子は
なかなか入りこめません。
仕事にどっぷり首まで浸れと言うても
浸れる子と浸れない子がいます。
無駄な能力を持っている子は浸れません。
いろんなことを考えてしまって、
苦しくなったら、他を見ますよ。

でも、能力のない子は、
苦しくてもひとつの仕事しか見られないんです。
それが楽しいことなんですよ。
糸井 つまり小川さんは
能力のない子を弟子に取るということですか。
小川 そうでしょうな。

自分は高校の時、
クラスで五十五人中、五十五番ですから。
学年でも、三百三十九人中、三百三十番。

あと九人いると思ったけど、
二日に分けての実力テストですから。
きっと九人ぐらい休んだんでしょうな。
俺はそんなもんです、ハハハハ。
それぐらいだと
脇目する必要がなくなるからいいんです。
糸井 学校の勉強には、
溶けこめなかったんですか。
小川 そうでしょうな。
溶けこめば苦もなく勉強できたんでしょうけど、
苦しかった。
教科書が重いから、授業が終わるたびに
破いて捨ててたんだけど……
そうすると試験の時には教科書がない。

成績は悪かったでしょうな。
運動も適当にはやりますけど、
それほどでもないですねぇ。
楽しくなかった。
だから今の仕事がいちばんおもしろいわ。
糸井 運命としか言いようがないですね。
小川 ふりかえると、
法隆寺を見た時も知識がないのが
よかったんです。

今も法隆寺には
修学旅行生が沢山来ているけど、
みんな学校の先生が教えたように
見なきゃいけないと思っている。

ところが
「この柱が、千三百年も、
 塔を支えているんだなぁ」
とただ感じとる子がいてもいいでしょ。
柱の力強さを触りにくる子がいてもいいでしょ。
法隆寺の大きな柱は
石の上にうまく乗せてあるだけです。
石の形をなぞってポンとおいてある。
それで屋根の重さで押さえているんだ。
だから地震なんかが起こると、
ゴトゴトと柱が石の上を歩くんですよ。
糸井 柱が歩く。おもしろいなぁ。
小川 知識に囚われていない子は、
そこがわかるんです。

俺が法隆寺で仕事してた時、
上から眺めてたら金髪のすごい子が来てました。
「元気なヤツが来たな」ってなわけや。
両脇に先生が二人見張ってるようなヤツだけど、
伽藍で柱に抱きついたのはその子だけでした。
「なるほど、エンタシスだ」と素通りするより、
その子の方がよくわかってるはずだな。
糸井 小川さんが五重塔を見た時の感覚は、
言葉で言えるようなものですか。
小川 それは言えるよ。
修学旅行で法隆寺に行った時は
酔っぱらってダメだったんです。
フラフラしてた……

ヒマだから酒なんか飲んでたんです。
ほんで酒でボーッとしてたら、
案内してくれる人が
「千三百年前にできた塔」と言った。
パッと思ったね。
材料はどう運んだんだ?

頭に何もねぇからそう思いました。
自分は栃木県出身ですから、
千三百年という時間はわからなかったな。
なんぼ古くても、
五百年前ぐらいのしか近くにないから。

ただ、千年前に
塔を作った人がどんな考えでやったかなら、
高校生でも何となくわかるんです。
だから俺は、こういうものを作った人の
血と汗を学んだ方がずっといいと思ったんです。

法隆寺の五重塔は、
作ろうと思う信念で作りあげたものだろうから、
その気持ちを学べばいい……
だから、法隆寺の大工さんを
目指してみようと思いました。
糸井 酔っぱらいの高校生に、
一瞬にして、伝わっちゃったんですねぇ……。
小川 もしも俺が頭がよくて
進学がどうのこうのだったら、
考えもしなかったはずだな。
クラスで五十五人中五十五番だから
「何か考えなくちゃならねぇ」
と思ったわけだから。
 
はじめは
「これを作りたい」
という憧れだけだったけど、
仕事をして今になると、やっぱり
千三百年前の人の気持ちがわかりますよね。

法隆寺よりも後の時代でも、
奈良の都は六十年で作りあげたわけです。
ただ当時、都を作れるほどの
熟練した工人は沢山はいなかったはずです。

数人はいたかもしれないけど、
奈良の都には
ものすごい数の寺院が作られた……
そうなると思うのはやはり
「作りあげる精神」があったということです。
東大寺大仏殿は今より大きい規模だったし、
世界でどこも
あれだけ大きいものを作っていなかったのに、
日本人は実際に作りあげたわけですよ。
重力の計算をしたわけでもない。

それだけの材料が揃うかと言えば
揃わないかもわからない。
それでもやはり作りあげたんです。
技術の限界をもし知っている人がいたとして、
それに囚われていたら
それ以上のものは作れません。
技術に囚われない強い精神があったから
作りあげられたのでしょう。

世の中には
「学ぶ」ということがありまして……
それは確かにいいことでしょうけど、
そこで止まったらダメなんですよね。

学ぶという以上のものがなければ
あれだけの建物はできません。
それまで一回も作られたことのないものを
実際に作りあげたのですから、
その精神力というか
「作ろう」という信念は、
やっぱりすごいものがあります。
 
自分の持つ技術や技能以上のものを出すという
精神だけを追いかけたら、
今の時代の自分らだって、
すごくいろんなことが
感じられるんじゃないですか。
奈良の都は「六十年で作った」ということが
すごいです。
今の人なら「過去の事実」に
囚われすぎているから
ぜんぜんそういうことをできません。
  (明日に続きます)
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2005-07-07-THU