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 『ベイビィ・
  ポータブル・ロック』
 ピチカート・ファイヴ

 
1996年(平成8年)

彼女の好きな歌手や
好きなお店や好きな服、
彼女の好きなすべてが新鮮で
(まーくん)

ワイルドにどこかへドライブ
Baby すぐ行かない?


社会人一年目だったわたしは
1つ年上の23歳の女性とつき合い始めました。

会うのはいつも仕事が終わってから
夜の10時に待ち合わせ。
いつもの公園の前で待ちわびていると、
すっと目の前に停車する
彼女の愛車のオレンジのマーチ。
運転席から微笑む表情を見て安堵するわたし。
緊張して沈黙をなくすために
とりとめなく助手席で話している間、
社内に流れる曲は
軽やかなピチカート・ファイブでした。

おしゃれな彼女の
好きな歌手や好きなお店や好きな服、
彼女の好きなすべてが新鮮で、
いつしか彼女の好きなことを
わたしも好きになっていきました。

そうして軽やかでおしゃれな彼女と
3年後に結婚し
そして3年後に別れました。

好きなことが合うかどうかということと
共に人生を歩んでいくということは
また別のことなんだと思います。

物理的な距離としては彼女と離れても
彼女の好きなほとんどを
好きなわたしは残されて
わたしの中に
彼女が住んでいるような感覚に苦しみました。
自然に選ぶすべてに彼女がいることを
いくら嫌がっても逃げることはできない。

その苦しみも
「あきらめてすべてを
 そのまま受け入れようよ、自分!」
と思いはじめたころから
少しずつわたしはわたしというものを思い出して
傷が徐々に癒えていきました。

そして時間は流れ
いまわたしは23歳の人とつきあっています。
わたしの好きな曲や好きな服を
その人はあまり好きではありません。
でも趣味や趣向ではないところで
わたしと感性がとても似ている人なので
とても安心しています。

(まーくん)

好きだった彼女の
好きだった服や音楽やお店を
ぜんぶひっくるめて好きだった
20代の自分。
いまは、趣味や趣向が重ならないのに
好きでいることが安心できる。

年を重ねると、恋愛観も
このように変化していくのですね。

恋歌くちずさみ世代としては、
どちらもとてもよくわかります。
趣味が共通することというだけで
しびれるほどうれしい若い頃の恋と、
根っこのところでつながってることを
信じることがうれしい、
年を重ねてからの恋と。

もちろん、趣味や趣向が重なることは、
嘘でもなんでもないし、
年をとってからも、それはそれで
とてもうれしいことですけど。

昔、友だちと話したのは、
「いっしょに過ごす人と、
 音楽や服の趣味は違ってもいいけど、
 食べものと笑いについては
 重なってたほうがいいなあ」
っていうこと。
投稿を読んでいて、ふと思い出しました。

好きなことの入口は
「好きな人が好きだったから」
というもの、けっこうあります。
好きな人だけじゃないな。
友達とか、兄弟とか、従姉妹とか。
ま、「好きなもの」というのはあんがい
そういうものなのかな。

入口はどうあれ「好きなものが同じ」ということで
CDが出たらいっしょに聴いたり
コンサートにいっしょに行ったりするうちに
「◯◯を聴くとぜったいに君を思い出すようになった、
 これは君の作戦か!」
と急にキレられた、という人を知っています。
キレるのはひどいけど、まぁ、気持ちはわかるなぁ。

うまくやっていける理由ってなんだろう。
それは心の軸足が
いつもそこにあることかな、なんて思います。
でも、食べものの趣味は、やっぱり似てたらいいなぁ!

恋に落ちたときって
好きな人が好きなものを
じぶんも好きになりたくって、
無鉄砲な努力をしたりもしますよね。
努力の甲斐というか、
「知らなかっただけ」で
すっかり気に入って、
話が合うようになるとうれしいし
まったく理解できないとかなしい。
でも、
「そういうところじゃないところで、
 合うんだ」ってわかるほうが、
ずっとうれしかったりするのも、
またほんとうです。

「ほぼ日」のYさんは
歴代つきあってきた彼が、
みんなオタク的な求道者ばかり。
Yさんも引き込まれて好きになって、
「結果、わたしのほうが詳しくなっちゃって!」
っていうほどだったそう。超えるのか。
オーディオも家具も、元彼の影響なんだって。
(いいもの紹介してもらった! と、
 へっちゃらで暮らしてます。)
でもなにもかもってわけじゃなくって、
「カメラだけは、わからなかったー」
だそうです。
なのでいまだにYさんは写真がヘタですが、
いまはネトゲ(ネットゲーム?)で
遠距離で年下の彼と、
しっかりつながっているそうです。

趣味や趣向が重ならないことがあっても、
深いところで互いに強く信頼していれば大丈夫。
このことは、ほんとうにそう思います。
大丈夫なんです。根っこのところは大丈夫。
それはそれで十分わかっていながら、それでも‥‥

「この曲、いいよね」
「えー、そう?」

「あの店のラーメンおいしかった」
「わたしはいまいち」

「このお笑い芸人、いいなぁ(笑)」
「生理的にダメかも」

っていうのは、これ、けっこうこたえます。
‥‥こたえませんか?
いや、パートナーの意見に
無理して合わせることはもちろんないんですよ。
人それぞれですからね。
合わせる必要はないんですけど、
こういうときの自分の傷つきかたが
どんどん激しくなってきている気がするのです。
(相手も同じことを感じてるかもしれませんが)

なので自衛策として最近は、
「賛成されるかどうかあやしいことは、わざわざ訊かない」
という言動が安定してきました。
もしくは、同意を求めず、
「私は◯◯が好きだ」と言い切る。
これはこれで安心・平和なものです。

‥‥なにを書いているのでしょうか。
つい自分の話を、失礼しました。
でも、「互いの好みが重なるか重ならないか」
という件に関しては、
これからもずっと、細かく考え続けていくのだと思います。
明るく考えることが、きっと大切なんですよね。

今回はこのあたりで。
次は土曜日にお会いしましょー。

2014-09-10-WED

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