『糸』
 Bank Band

 
2004年(平成16年)
*アルバム『沿志奏逢』に収録

聴きながら、歌の中の
二人でありたいと思いました。
(彩)

逢うべき糸に出逢えることを
人は仕合せと呼びます


22歳のとき、私は初めて失恋をしようと思いました。

中高生の頃から、周りの女の子のように、
男の子に告白したり、お付き合いをしたりすることが、
私には出来ませんでした。
恋愛に興味が無いように装っていましたが、
自分に自信が無かったからだと思います。
世の中に溢れる恋愛をモチーフにした小説や映画、
そして歌に共感することが出来ず、
それらを小馬鹿にしながらどこかで憧れもあって、
でも自分とは違う世界の出来事のように感じていました。

高校を卒業して、電車で3時間半離れた
他県の大学に進学しました。
学生らしい楽しい毎日を送りましたが、
やはり恋愛に縁はありませんでした。
このひとと付き合えたら楽しいだろうなと思ったひとは
何人か居ましたが、
「私よりもこの人に相応しいひとが他に居るはず」、
「私のようなつまらない人間はすぐに飽きられるだろう」
と考え、進展させることは出来ませんでした。

自分を変えたくて実家を出て一人暮らしをしたのに、
恋愛も含めて思ったようには変われなかった私は、
大学4年になってすぐ、
実家の近くの会社に就職することを決めました。
彼に出会ったのはその夏です。

何回かデートに誘われましたが、
いつものように、進展させようとは思いませんでした。
ところが、夏が終わる頃、彼は
「こうやって誘うのは、誰でも良い訳じゃないから」
と私に言いました。

彼は大学の後輩でした。
私よりもずっと博識で、思慮深く、行動力があり、
細やかな気遣いも出来る、
一言で言うと今まで出会った中で一番良い男でした。
そんな彼の恋人なんて、恐れ多くて考えられませんでした。
私よりもずっと綺麗で知的で、
私よりも彼に相応しい女性は必ず居ると思いました。
きっと彼は興味深い人生を歩むだろうから、
友達としてその人生に細く長く関わることが
出来れば良かったのに。

半年後には、
私は電車で3時間半離れた地元に帰ることが
決まっていました。
それまでに必ず彼に飽きられるだろうと思いました。
ただ、彼に振られたら、
それはとても良い失恋が出来るだろうと思いつきました。
恋愛に縁のなかった私は、
勿論失恋の経験もありませんでした。
私は初めて失恋をしようと思いました。

大学生の最後の半年は、
自分の時間をほとんどすべて彼と過ごしました。
レンタルして来たDVDを一日中二人で並んで観たり、
近所のスーパーに買い出しに行って新婚ごっこをしたり、
朝に弱い彼を無理矢理起こして授業に行かせたり。
初めてのことばかりの半年は、
あっという間に終わりました。

予想に反して、私が地元に帰ってからも、
彼は私の恋人でした。
私は新入社員になり、彼は学生のままでした。
お金も無くてそれほど頻繁に会えないとき、
彼が電話で、中島みゆきの糸が好きだと教えてくれました。
ふと思い出して、学生時代に友達に借りた
Bank Bandのアルバムのデータを引っ張り出すと、
カバーされた糸が収録されていました。
アルバムを借りた当時は全く印象に残らなかった曲を、
通勤の運転中や彼に会いに行く電車の中で、
繰り返し聴くようになりました。
聴きながら、歌の中の二人でありたいと思いました。

電車で3時間半の距離は、
途中で電車で4時間半の距離に変わりました。
彼と恋人だったのは約4年間。
私は今年の夏に、
彼の住む街に引っ越すことになりました。

この後訪れる彼との別れは、
離婚か死別で、
結局私は彼に失恋することが出来ませんでした。
失恋をしていたら、夜明けの電車で一人で泣いて、
そのうち強くて良い女になって、
そんな時代もあったねなんて
いつか笑って話せたのかもしれませんが、
そういう経験は出来ませんでした。
だから私にとっての恋歌は、
糸という歌しかありません。

(彩)

書き出しの1行といい、
クールな筆致といい、
「もしかしたら悲しいことがおきるのかもしれない」
と、ドキドキしながら読んじゃいましたよ。
「結局私は彼に失恋することが出来ませんでした。」
って‥‥んもう、ほんとに。

「ほぼ日」社内に、
犬が好きすぎて一緒に住みたくて、
でも部屋の事情でまだ無理なので、
もんもんと「来るべきその日」を
心待ちにしているひとがいるんですけど、
まだ一緒に暮らすべき犬に
出会っていないというのに、
妄想が暴走して、
お別れしなくてはいけない日にまで
思いを馳せて悲しんでいるようです。
未熟な恋も、
そういうところがあるかもしれないです。
これがユーミンくらいの恋達者
(ってそういう言葉あるのかな?)だと
「私はもうすぐ不幸になりそう
 一緒の時間があまりに楽しく
 早く過ぎるから」
と、女王様的になるんですけどね。

「投稿を一ヶ月温めていたら、
 素敵な先輩に先を越されてしまいました(笑)。
 でも他の曲は思い浮かばないので、
 このまま送ってしまいます。
 先輩のような素敵な家庭を、
 私たちも作っていきますね」
と、(彩)さんからのメールのさいごに
しるされていました。
素敵な先輩というのは、こちらの投稿のことですね。

それにしても「糸」を中島みゆきではなく
Bank Bandで聴いた(彩)さんが、
結びの文で、たっぷり「みゆきの歌」を
引用しているということは、
そこからはまっちゃったとか?

ひきこまれたーーーーーーー。
すごい。
これはもう、作品でしょう。
投稿いただく文章のレベルは、ついにここまできました。
みごとな書き出しから、
クールでハッピーなラストまで、
はらはらどきどきしっぱなしでしたよ。
読み手の心の動きまで想像して構成された、
ほんとにハイクオリティな表現だと思います。
おみごと。

文章のことばかり言ってますが、
もちろん恋のお話も最高です。
「糸」って、いいイメージ。
ふたりをむすぶ糸は、遠くても近くても‥‥。
これからもずっと、仲の良いおふたりなんだと思います。
‥‥そう思うのはなぜだろう?
おふたりがその「糸」を
とてもまじめに大切にしている感じがしたから、かな。

なぜ「彼に相応しい女性は必ず居る」と
思うようになったのかはわからないんですけど、
「友達としてその人生に細く長く関わることが
 出来れば良かったのに」
というのはよくわかります。
それほどまでに、すばらしい人っていますよね。

でも‥‥読み進むうちに‥‥わぁあ。
すごいすごい。
心をひらいたひとつの恋が、
運命の人であった。

「だから私にとっての恋歌は、
 糸という歌しかありません」
というところで
ぶるぶるっと震えましたよ!

ああ、おもしろかった、
というのが読後の素直な感想でした。
読者の方からの投稿なのに
「読んでよかった」と思いました。
上質な読み物でした、ほんとに。

印象的な書きだしの一文は
海外の短編小説のようでもあり、
自分自身の感情から少し距離をおいた
淡々とした文体は、
絵本のようでもありました。

「恋愛に縁のなかった私は、
 勿論失恋の経験もありませんでした。
 私は初めて失恋をしようと思いました。」
引用してくり返してみたくなるほど、
気持ちのよい文の運びでした。

みなさまの投稿、お待ちしています。
恋の思い出に、恋歌を添えて送ってくださいね。
これまでの名作投稿をあつめた
『恋歌、くちずさみながら。』
という本も出ていますので、
よろしければ、どうぞ。

2014-01-04-SAT

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