『岸壁の母』
 二葉百合子

 
1972年(昭和47年)

母は、その日の祖母の背中を
覚えていると言っていました。
(まる吉)

とどかぬ願いと
知りながら


今は亡き祖母が好きだった歌です。
テレビを見ながら一緒に口ずさんでいました。
相撲と巨人と演歌が好きで、
うちに長期滞在している間は
テレビの前で正座して熱心に見ていました。

子供だった私は
この歌も好きな演歌のうちの一曲なんだと
思っていました。ほんの数年前までは。
ある時、ふと気づいてしまったのです。
特別な歌だったんだと。
戦死した最愛の祖父を待ち続けた自分と
重ね合わせていたんだと。
祖母は自分の恋愛など
決して語る事はありませんでしたが、
亡くなってから耳にした話があります。
イケメン好きの祖母は
小さな港町の畳屋さんに婿入りした祖父の姿を
仕事を抜け出して見に行ったそうです。
それから何年思い続けたのでしょうか。
先妻が亡くなり2人の子の父親となっていた
祖父の元へ嫁ぎました。
幸せな日々はどれだけ続いたのでしょう?
祖母は3人の子供を産み、その3人目が念願の男の子。
大喜びする夫婦に届いたのは
敗戦濃厚な状況下での召集令状でした。

遠い南の島で生き長らえて終戦を迎えたのに、
引き上げ船が来るまでに劣悪な状況で
多くの日本兵が命を落としました。
祖父もその1人です。

幼かった母は
一晩中大声をあげて泣いていた
祖母の背中を覚えていると言っていました。

ずっとずっと奇跡を願って待っていたんだと思います。
歌詞の内容とは親子・夫婦と立場は違うものの
多くの人達がこの歌に思いを重ねたんだと思いました。
その事に気づいてから、この曲は
私にとっても少し特別の歌になりました。
祖母とはあまり仲が良くなかった私ですが、
今ならいろいろ聞いてみたい事があります。

(まる吉)

『岸壁の母』は昭和29年に
菊池章子さんの歌で発表されたのが最初で、
二葉百合子さんの歌う『岸壁の母』は
昭和47年発表だったそうです。

私も、幼少のときに二葉百合子さんの歌が大ヒットして
しょっちゅうテレビで流れていたのを覚えています。
なぜこの歌がこんなに流行っているのかな、と
不思議にも思っていました。
私は百恵ちゃんが聞きたいのに、また、岸壁の母だ。
親にそう言っていた記憶すらあります。

引き裂かれた人がいっぺんにいたことは
ほんとうに悲しいです。
引き裂くのは、だめだと思う。

ぼくの明治生まれの祖母も後妻でした。
先妻は、祖母の実姉でした。
3人だったかな、
先妻であるお姉さんはこどもをのこし、
その遺志をついだかどうかはわからないけれど、
祖母は祖父とのあいだに
たくさんのこどもを産み、育て、
和菓子屋だった祖父を支えながら
戦前戦中戦後を生きました。

しかし先妻ののこした長男は、レイテ島で戦死。
長女は、戦時中になくなったそうです。
火災のさなかに、
長女が使うはずだった花嫁道具を載せた大八車が
盗まれたことが悲しかったと、
戦争も終わってずいぶんたってから
孫のぼくに話したことがありました。

後妻である祖母の生んだ
最初の男子はくりあげ長男になりました。
分校の教師になるために
大学へ行こうという年に、
病気で祖父が亡くなりました。
まだ小さな弟や妹もいたくりあげ長男は
ほかに選ぶ道なく、
祖父を継いで和菓子屋になりました。
それがぼくの父です。

ついこのあいだの日曜日、
祖母の墓参りに行きました。
(まる吉)さんのメールを読んで、
あの時代、おばあちゃん、
どんな思いでお嫁にきたの、
と、聞いてみたかったなって思いました。
もちろん、もう聞くすべもないのですけれど。

昨年の3月に他界した母から生前、
戦争にまつわる体験談を一度だけ聞いたことがあります。
ただの一度だけ。
(明るい性格の女性だったので、
 基本的に暗い話を好まない傾向があったのです)
彼女がそれを話したのは、
「ぼちぼちぼくも結婚しようと思う」ということを
福島の実家まで伝えにいった夜のことでした。
父が寝たあとの台所で、なんとなくふたりになったとき。
テーブルに肘をついて母は、ぽつぽつと、
辛かった思い出を話しはじめました。笑いながら。
蛍光灯に照らされた顔をよく覚えています。
頭にびっしりカーラーを巻いてました。
お酒もすこし入ってました。
そのとき聞いた話は、やはり壮絶な内容でした。

(まる吉)さんの投稿を読んだおかげで、
奥の方にしまっていた思い出が手前に出てきました。
切なくもありますが、思い出すのって、いいですね。
あたたかくて、ゆたかです。いま。

ここの投稿を読んで「ああ、私も‥‥」と、
ご自分の体験を重ねあわせる方はすくなくないと思います。
それができる「恋歌くちずさみ委員会」って、
なかなかナイスなコンテンツですね(手前みそですが)。
何度も繰り返し申し上げていますが、今回も感謝です。
すてきな思い出をありがとうございました。

祖母にそういう話を
聞いてみたかった気もするけれど、
お盆とお正月にだけ会える祖母と、
そういう話をすることはなかったなぁ。

いや、ちょっと、いいことを言い過ぎました。
祖母から恋の思い出話なんて
聞かなくても、別によかったし、
正直、聞かなかったことに後悔はありません。
小さいけれど佇まいがきれいで
母や伯母の失敗談を聞いては
あきれたように笑う明るいおばあちゃん。
ぼくにとっては、それでいいです

ただ、いただいたメールを読んで、
(すごくいい投稿ですよね)
うちの祖母や、あるいは親にも、
きっとそういった思い出が
あるのだろうなあとしみじみ感じました。
誰の心にも、恋の思い出と、恋の歌が。
それで、このコンテンツが長く続いている。

みなさまからの投稿お待ちしています。
よい投稿が多く、
すべてが載せられませんし、
掲載までお待たせしてしまいますが、
どうぞ、のんびりお待ちください。

2013-10-30-WED

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