『シアワセ』
 aiko

 
2007年(平成19年)

  恋人がいることの
  幸せを歌った歌は、
  別れたら聴かなくなると思ってた。
  (のん)

生きてく為に泣くこともある
それがあたしを強くするならば
これも一番の幸せなんです

初めて本気で、全身全霊をかけて恋をした私。

想う人がいる幸せ、想ってくれる人がいる幸せ。
この歌は、恋をしている私には、
恋することの幸せを感じさせてくれる歌でした。
My 恋歌ポイントのような歌詞はあっても、
こんなふうに思うことなんて、ないと思っていました。
だってずっと一緒にいるんだもの、と。
まだ今は学生だけれど、このまま大学を卒業して、
社会人になって、きっと私はこの人と
結婚するんだと思っていました。
どんなことだって、ふたりでなら
乗り越えられると信じていました。

でも。
終わってしまいました。

付き合っている時から大好きだった歌。
彼といる時にもよくふたりで聴きました。
別れてから聞くと余計胸が痛みました。
けれど、付き合っている時に聴いたのとは、
別な部分が胸に響いてくるようになったのでした。

恋人がいることの幸せを歌った歌は、
別れたら聴かなくなると思っていました。
だけどこの歌は違いました。
だって、だって、「あなたがいる幸せ」も
「あなたがいない幸せ」も歌っているから。

もちろん、あなたがいるのが
一番の幸せには違いありません。
でも、もう私の隣にあなたはいないけれど、
ふたりで過ごした時間はなくならない。
終わってしまったけれど、それでも、
これからのあなたの人生を作る
ひとつのピースになれば‥‥。

別れて一年、今もまだ気持ちが沈むことがあります。
そんなとき、この歌を聴きます。
つらいこともあるけれど、今のこの苦しささえ、
未来の何かにつながっている。そう思えます。
これも、幸せ。

(のん)

最近、コピーライターの土屋耕一さんの
本を編集しました。
土屋さんは、どうしてあんなふうに
会ったことのない大勢の人たちの心にさわることばを
書けるのだろう?
と思っていたのですが‥‥

「ほぼ日」のリーダーである糸井が教えてくれました。
それは、そのことばを生んだ考えの根っこに、
豊潤な世界がひろがっているからなんだ、と。
毛細血管のようにこまかくのびるヒダヒダが
ほかの人のヒダヒダにからまるから
放つ「ことば」が深く届くのです。

いい恋は、そのヒダヒダを最も育てる。
ワシはそう思う。

ワシ?

さて、失恋についての投稿です。
たいへんおかしな言い方ですが、
「失恋はいいよなぁ」と思います。
達観して言うわけではないんです。
もちろん、傷口が癒えぬうちは
いいもわるいもヒリヒリしてたいへんだよ!
ってなことになると思うんですが、
皮膚にうっすら残る白い傷跡を眺めながら
という距離感と時間差で素直に述べるなら
「失恋はいいよなぁ」ということなのです。

たぶん、ほとんどの先輩たちは
同じように言うのではないでしょうか。
「失恋はいいよなぁ」と。
それは、投稿中にも、
スガノの文中にもあるように
未来へとつながっていくからです。
自分の情熱を知り、不条理を学び、
突き抜ける喜びを感じ、未熟を痛感し、
恥ずかしく思い、喪失感を味わい、
決して戻らないものがあることを刻む。
だからこそ、機会のかけがえのなさと、
こうありたいという自分の姿が
少しずつだけれどもたしかにわかってくる。

だから、
「失恋はいいよなぁ」
ワシはそう思う。

いいですよぉ、失恋は。
もう、どんどんしてください、と言いたい。
「フーテンの寅さん」くらい、して!
ひとつひとつが本気であるほど財産になると思います。
こころに分厚いアルバムができるような。
大ダメージの直後は信じられないでしょうけれど、
そのアルバムを、笑いながら開ける日がくるんですよ?
ぼくも近年ようやく全ページを
ぱーんと明るく開けるようになりました。
ああー、どのページもおもしろい。
大きいのも小さいのもいろいろ失恋しといてよかった。

とうとつに水前寺清子さんの
「ありがとう」という歌を思い出しました。

 さわやかに 恋をして
 さわやかに 傷ついて
 さわやかに 泣こう

だから、(のん)さん、あのね、
「つらいこともあるけれど、今のこの苦しささえ、
 未来の何かにつながっている。そう思えます。」
っていうのは、これ、
ワシも大正解だと思いますよ!

わ、いつの間にか話が水前寺清子の
「ありがとう」になってる。
あれはいい歌ですよ。ドラマもよかった。
チータ(水前寺清子の愛称)は
「真実一路のマーチ」もいいですよ。
ワシも好きじゃよ。
だからその話じゃないってば。
ん〜〜〜っっにゃっ!(チータのマネ)

そう、失恋がいい、
とはなかなか言えないけど、
全身全霊をかけた恋が終わったという、
その経験は、
(のん)さんが生きていくなかで
ぜったいに力になる、そう思います。
忘れるとか思い出すとか、
そういうことではなくって、
たぶん、その経験って、
内臓のひとつみたいに、
体の一部になってしまうんだと思う。
その存在は、ふだんは意識してなくても、
ちゃんと機能している、不可欠なもの。
そんなふうに思います。

さて、思いがけず梅雨に入ってしまった5月、
毎日更新をしてきた恋歌の2ウイークも終了。
‥‥と思いきや、次回は明日の土曜日!
みなさまよい週末を。
文庫本とCDも、よろしくねー!

 

2013-05-31-FRI

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