『微熱』
 さだまさし

 
1982年(昭和57年)
 アルバム『夢の轍』収録曲

最後につきあってくれ
と言われたのは、
23歳の頃でした。
  (さくら)

ビーネツー♪

同級生だったT君は私にとっての初彼で(中学2年生の頃)、
ちょっと不良っぽくて目がキラキラしたなかなかの美男子。
でも、私はそう好きでもなかったんでしょうね、
つきあってわずか2週間ほどでT君に別れを告げました。
それからはなぜか、特別に仲の良い友達でした。

高校も一緒だったので
相変わらず仲良しだったけど、
お互い恋人は他にいました。
とくにT君はプレイボーイで
いろんな女の子とからんでおり、
自分の恋を戦利品のように自慢げに語る様子に
私はいつもあきれていました。
そしてときどき私にも「つきあってくれ」と言いました。
「イヤよ」と私は言いました。

そんなやんちゃでいい加減なT君が、
高校時代、突然「これ聴けよ」とムリムリ貸してくれたのが、
さだまさしのアルバム「夢の轍」です。
レコードは正直、あんまり聴かなかった。
今思うと素晴らしい曲ばかりなのに、
私の感受性は育っておらず、
T君=「さだまさし」という不思議な組み合わせと
「微熱」という曲の最後の、
ビーネツー♪ というフレーズだけが心に残りました。

そして高校を卒業してからも、私たちは良い友達で、
T君は時々「つきあって」と言い、
私は「イヤよ」と言いました。
いろんな女子とつきあっているくせに、
いったいどういうつもりなんだ、と。
そう思いながらもなぜだか憎めない
ちょっと特別な存在でした。

最後につきあってくれと言われたのは、23歳の頃。
一人暮らしを始めた私のもとに電話をかけてきたT君は、
「結婚を前提につきあってくれ。
 今度断ったら、おまえを
 アドレス帳(懐かしい)から消す!」
と言いました。
私は少しだけ間をおいて
「じゃ、消して。」と言いました。

そうして私は25歳で
T君とは正反対なタイプの男性と結婚し、
T君も別の女性と結婚。
連絡を取り合うことはなくなりました。
でも、ヤツのことだから、
相変わらずちょっとした浮気を繰り返しながら、
元気でやってるのだろうと思っていました。
なのに。

共通の友人から連絡があったのは30代半ばの頃。
T君が病気のため亡くなったというのです。

お葬式には行ったけれど、泣けなかった。
彼の死に顔はとても安らかで、
昔とあまりにも変わっていなかったから。

今でも時々、T君のことを思い出します。
迷ったときは「T君どう思う?」
なんて心の内で話しかけたりもします。
T君はあの頃より随分大人になっており、
私を叱咤激励します。

あのビーネツー♪ の曲、最近また聴き始めました。
さだまさしさんの美しい歌声が胸に染み、
♪生まれる前から出会っていたかのように♪ なんて、
彼はそんなふうに私のことを想っていてくれたのかな、
と勝手に解釈。
いいよね、もう確かめようがないから。
そんなふうにして私は天国のT君から、
今も勇気をもらっています。

(さくら)

やんちゃだけどアツいT君、
いっぽうどこまでもクールな(さくら)さん。
「そう好きでもなかったんでしょうね」
といいつつ、
「特別に仲の良い友達」としての、
10年ほどの時間。青春。
そして23才からしばらくは疎遠になって、
30代半ばにやってきた、
想像もできなかった、終わり。

迷ったときに話しかける。
わかります。
話しかけちゃいますよね。
そんなふうには(さくら)さんは書いていないけれど、
いま、そうして話しかけるってことは、
(さくら)さんにとって、生前もT君は、
距離があっても会ってなくても、
そうして相談をもちかけることができる
(ほんとに相談するかどうかは別として)、
特別な存在だったったんだなって思いました。

自分の話になりますが、
つい先日、同い年の地元の親友に、
線香をあげに行ってきました。
遺影を見ていたらつい
「あのさあ、また相談していい?」
と話しかけてました。
いっぱいあるんだよ、相談したいこと。
なんだよいないのか、こまったなあ。
そんな気分でした。

ぼくにとってはそのともだちは
やっぱり「いる」。
そのへん(どこだい?)にいるし、
必要という意味でも「いる」。
たぶん(さくら)さんや、
まわりの、彼が大好きだったみんなにとって、
T君もそんな存在になっているんでしょうね。
これからも相談しちゃいましょうよ。
(さくら)さんのためならいつでも
「なんだよ、しょうがねえなあ」
と、T君、あいかわらずのキラキラした目で、
誠実に返してくれる気がするのです。

(さくら)さんの投稿を読んだだけだというのに、
どういうことだろう、
ぼくまでT君のことを「憎めない男子」だと思えています。
いろんな女の子とつきあってるくせにね。
困っちゃいますよね、そんな、好きだと言われてもね。

‥‥せつないな。
「特別に仲の良い友達」のままで、
ただそのままでいられたらよかったのに‥‥。
でも、T君には友情ではすまされない感情があったわけで。
ならば浮気なんかしなければよかったのに‥‥。
むつかしいです、堂々巡り。

変な言い方に聞こえるかもしれませんが、
お葬式に行けたことはよかったですね、と思います。
ぼくも大事な友人のお葬式に行ったことがあります。
お母さんが、ぼくらに言いました。
「ときどき思い出してあげて」
そうしています。いまでもときどきそうしています。
武井さんの言うように、
その人に問いかけてみるということも、しているなぁ。
それは、たからもんだと思ってます。

さだまさしさんの『夢の轍』の
LPは持っていましたので、
この曲、知っていたけど、
歌詞をあらためて読んで驚きました。
ひゃあ。
すっごい、アツアツや〜。
微熱やけど、アツアツや〜。
こんな歌は惚れてまうやろー!!
気づかなかったなぁ、中学生の私は。
(おんなじ年代ですね!)

Tくんは、(さくら)さんのことを
ずーっと、好きだったんですね。
だから、ゆらゆらしてたんでしょう。
でも、キッパリ断ってもらったおかげで、
心のアドレス帳から消して、一歩踏み出し、
ご結婚なさったんだと思います。

でも、変わらず縁の深いよいお友達だった、
そのことはそのまま、
Tくんがいなくなっても、つながっていきますね。
「なんでいなくなっちゃうんだよ」
と絡みたくなりますが、
いやいや、やっぱり「いる」んだもの。

あの人なら、どうしたかなぁ? と思える、
見えない先輩がいたら,
勇気、もらえますね。

たくさんの恋の思い出をここで読みますが、
「死」が訪れる物語は、
やはり、ひとつ、色合いが異なります。

それは、なにも「死」が
演出として劇的であるとか、
物語として重みがあって読み過ごせないとか、
そういうことではなくて、
それが「圧倒的な別れ、不在」だからじゃないかな、
というふうに思います。

なんというか、それは、
どうにも祈りようもない事実だから。
やはり、その色合いが加わると、
恋の物語は明らかに性質を違えます。
根拠なく奇跡を信じるような若々しい心ではなくて、
出来事を受け止める成熟さが求められ、
実際、その大人びた視点がそこに生じている。

いない人に対して、
「いないんだなぁ」とつくづく思うような、
どこかもたもたしたリアルな気持ち。

アルバム『夢の轍』は
自分のお小遣いで買った思い出があります。
『微熱』はたしかその1曲目。
静かで、大きな、いい曲でした。
たしかアルバムのジャケットは
エンボス加工が施されて、ぼこぼこしてたよね?

さて、あなたの恋歌はなんですか?
それはどんな思い出に寄り添っていますか?
いつもたくさんのメールをありがとうございます。

2013-04-03-WED

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