『週に1度の恋人』
 DREAMS COME TRUE

 
1989年(平成元年)
 アルバム『DREAMS COME TRUE』収録曲

霧のかかった
曖昧な恋をしたから、
色彩の尊さが
わかるのかもしれない。
  (ぺん))

私からは電話はしない
Callが鳴っても すぐにはでない
ホントは待ってたなんて言わない
愛してなんて 最後まで言わない

携帯電話のない頃の、ないがゆえの切ない恋歌を、
ここでたくさん読ませていただくうちに、
携帯電話があるがゆえに切なかった恋愛を
ひとつ思い出しました。

22歳の頃。
私は3つ歳上の男性と、
大学の同じゼミで出会いました。
彼は、高校卒業後、違う大学へ進学して
遊んでばかりいたそうですが、
一念発起して私と同じ大学へ編入。
ひと通り遊んで落ち着いた男特有の雰囲気がありました。
帰り道が一緒で、話すようになって、
他愛もないメールをするようになって。
編入試験が大変難しいことは知っていたので、
やるときはやれる男、というところに、
最初は「いいなぁ」と思った程度でした。
でも、彼はするすると、私の壁の中に入ってきました。
絶妙な距離感とでもいうのでしょうか。
近すぎず遠すぎず、
ちょっと思わせぶりなことを言ってみたり、
優しくしてみたり、なのにうざったくない、
あの時の私たちにはそこしかない、
という距離感でした。

そして彼は、自分の魅力に自信のない私に、
徐々に女性としての自信を与えてくれました。
そんな男性に、どうして抗うことができるでしょう。
彼に、違う街に彼女がいようと、
そんなの関係なかった。
ふたりの空気の色が変わっていくのを
止めることもできず、止める気もありませんでした。
彼女がいることは、正直邪魔だ。
でも、今側にいるのは私で、
今ふたりが同じ気持ちでいる。
そのこと以上に大切なことはない。
永遠なんて、先の約束なんていらない。
そう、思っていました。思っていたつもりでした。

彼女の存在を知っていた私は、
休日に連絡することは一切ありませんでした。
携帯電話があるせいで、どこでも連絡がつく。
その時誰といるのか、なんて考えたくなかった。
電話に出ない、メールの返事がない、
もしかしたら電話に出るかもしれないけれど、
出てもぎこちないかもしれない。
そうなった時、自分の想像が
自分の首を締めるのは目に見えていました。
彼と私の関係に、誰も割り込ませたくなかった。
いえ、それは綺麗事だったかもしれません。
私が彼にとって邪魔な存在になることを恐れてた。
いっそ、携帯電話がなければ、と思いました。
いつでもどこでも連絡がつくがゆえに、
連絡できない時こんなにも苦しい、と。
そんな私を知ってか知らずか、
休日に彼から連絡がくることもありませんでした。
毎週彼女と会っていたわけではなさそうでしたが、
休日連絡がなければ
いつ会っていつ会っていないかもわからない。
遊び慣れた男の上手な身のかわし方でした。

深みにはまって行く私が、
帰省した実家で発見したCD。
ドリカムのファーストアルバム、Dreams Come True。
「週に1度の恋人」は、まさに
その時私がしていることでした。
独り暮らしの家へ持ち帰り、何度も聞き直しました。
私から電話はしない。会いたいなんて言わない。
好きだなんて言ったこともない。
プライドにかけて、そんなみっともないことはしない、
と思っていました。
この瞬間が良ければいいはずなのに、
どんどん欲張りになる自分に気づいてた。
彼の部屋より自分の部屋で
会うことが多くなっていったのも、この頃からでした。
彼の部屋で、彼女の痕跡を見つけるのも、
見て見ないふりするのも嫌だった。

そうして、私から会いたいと言うことも、
好きだと言うこともなく、
彼からの連絡は少しずつ途絶えて行きました。
ふたりの間の空気が変わってきていることは、
私にもわかっていました。
彼も、私に好きだと言ったことはありません。
あまりにも曖昧で、今思い出してもぼんやりとした、
霧のかかったような関係でした。
ケンカをしたことさえなかった。
始まりとは違って、終わって行く関係は、
切なく辛く、苦しいものでした。

彼が私をどの程度どう思っていたのかはわかりません。
ただ、切なさと苦しさと引き換えに、
私を可愛がって、女性としての自信をくれたのは事実。
それでいいのかな、と。
あの頃、好きだと伝えていたら
何か変わったのだろうかと、
思ったこともありましたが。
今、好きだとためらいなく伝えることができて、
ケンカもできるダンナがいます。
霧の中迷ったことがあるから、
極彩色の風景の尊さに気づける。
そう思うのです。

(ぺん)

自分の想像が自分の首を
じわりじわりと締めていく‥‥。
携帯電話やらメールやらSNSやら、
便利なものがあるからこそ、の悩み、
いやぁぁぁ、考えてみれば、ありますね!!
スカイプやフェイスタイムで
映像通信もやすやすとできるんですもんね!!
もー、たまらんね。

携帯の着信履歴も見られるし
パソコンのメールを読もうと思えば読めるし
そういった機器にパスワードをかけたらかけたで
「なんでロックかけてるのかな?」と
かんぐっちゃうし。
いつの時代も、いろんなことで悩ましいですね。

いやな想像がふくらむことも、
だまりこむことも必要ない、
まっすぐに「好き」と言える相手がいるのが
いちばんいい。
色彩のある恋は、ホッとします。

彼のふたつの恋、割り切ったと思っていても
やっぱり好きなんですもの、
欲が出て苦しいですね。しょうがない。
恋愛には依存がつきものです。
らくな別れなんてないですね。

ぼくがはじめて携帯電話を買ったのは、
まさしく恋をしたのが理由でした。
同世代では、世間よりちょっと早い導入。
インターネットはまだなくって、
パソコン通信だったから、
黒電話の時代よりは進んでいたけれど、
どこでも携行できるような端末はなかったから、
声が聞きたいと思えば家の電話でした。
そんななか、携帯電話があると
「いつでも連絡がつく」。
それが面白くって楽しくって。
「かかってこないつらさ」より
「連絡できるうれしさ」が勝ってました。
でも、そうですよね、
携帯電話があるからこそのつらさっていうのも、
また、うまれていたんですね。

「ふたりの空気の色」。
そうそう! ふたりにしかわからないんですよ。
わかるからこそその時は胸を張っていられた。
そして、わかるからこそ、その時彼が離れていくのも
手に取るように感じられたんでしょう。
ところでぼくはいまだに
「霧の中の恋もいいもんだ」と思います。
きれいですよ、景色。
そりゃわざわざ霧の中に入ることはないし、
もちろん極彩色もいいんだけど、
うっかり入っちゃったらね、それはそれで、ね。

まったく、いまのヤングたちは、
携帯で連絡もとれるし、
言いづらいことはメールで伝えられるし、
ソーシャルネットワーク的なもので
彼や彼女の好みも同行もわかっちゃうし、
写真とかすんなり撮れちゃうし、
まったくもって恵まれてることよのぅ!
‥‥ということを、我々昭和世代は言いがちですし、
実際、このコーナーでも言ってきたものですが、
今回の投稿には参りました。

けっきょく、
恋にまつわるままならない思いというのは、
技術や化学がどう進化しようと
ままならないものなんですねぇ。
それこそ、100パーセント効く
惚れ薬が発明されたとしても、
恋の悩みはなくならないんじゃないかな。

そして今回の投稿のことばの流れも見事です。
恋に落ちたときのハイな状態から
消耗していくところまでの
やるせないグラデーションが、
短いなかに無駄なく再現しています。
読み直したくなってしまう。

「恋歌くちずさみ委員会」は、
“40代の40代 による40代のためのコンテンツ”
と銘打ってはじめられました。
「ケイタイもfacebookもなかったあの時代の恋愛は
 やっぱりとくべつに良かったよねぇ」
ということを、われわれ委員会は心から思っていました。
そしてそれは、コンテンツを続けるうちに、
単なる思い込みだったことに気づくわけです。

「恋歌世代ではないのですが‥‥」と、
遠慮がちに送られてくる
若いみなさんからの恋の思い出が、それぞれにすてきで。
実際、徐々に増えていきましたよね、
若い方々からの投稿の掲載。
うれしさも、せつなさも、やるせなさも、葛藤も、逡巡も、
ほとんどが同じでした。
世代が違っていても、ほとんどが同じ。
どんなに道具が便利になっても、
恋の悩みの芯のところはなーんにも変わらないんですね。

そしてそして、
今回も「最後の5行」がすばらしい。
読んでいて気持ちがふわあっとなる快感があります。
「今、わるくない」ということは、とても大きなこと。
それがあるからこそ、
この投稿も書けたのではないかな? と思います。
つらい恋でしたものね‥‥。
ダンナさまとのご関係、たのしそう。いいなぁ。
ずっと、なかよしで!

いろいろな年代からのいろいろな恋の思い出、
お待ちしています。
忘れられない一曲を添えてお送りください。
次回は水曜日にお会いしましょう!

2013-03-23-SAT

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