『島唄』
 THE BOOM

1993年(平成5年)

 振り返ると
 東洋人女性が一人いました。
 (38歳会社員妻子有)

でいごが咲き乱れ
風を呼び 嵐が来た

最近になり、
この唄に込められた歌詞の想いを知りましたが
知らなかったあの頃に戻って書いてみます。

学生の頃、バックパッカーしてました。
地球の歩き方を片手に。
行く先が南国ばかりなので旅の道連れにと
『島唄』を憶えたのです。

インドネシアはジャワ島でのお話です。
島というと小さなイメージですがなかなか大きく、
電車の移動は過酷で、12時間直角シートのボロい客車は、
僕の身体を容赦なく痛めつけました。

ようやくジャカルタに到着し
疲労困憊でゲストハウスを探したのですが、
ツインか相部屋しか空いてなかった。
気を遣うヨーロピアンとの相部屋は、
いまの体力ではとてもつらい。
でも、ツインをとるには予算が‥‥。
などと悩んで振り返ると東洋人女性が一人いました。
「ジャパニーズ?」と声をかけると「日本人よ」と。
女性に相部屋を誘うなんて初めてでした。
「ぼ、僕、怪しい人じゃないですから、
 ルームシェアしませんか」と誘いました。

彼女も疲れていたようで、
「自分のこと怪しくないっていう人、初めてね」
とルームシェアを受けてくれました。
聞くと彼女は8歳年上のトラベラーでした。
「ハタチかぁ。はたぴょんと呼ぼう」
僕は旅の復路で、彼女は往路
「これから、はたぴょんと
 同じような足取りの予定だよ」
などと疲れているのにべらべらとしゃべり明かし、
やがて泥のように寝ました。

翌朝、なんだかお互いが惜しい気持ちになり、
その日は一緒に街をめぐることになりました。
ところが、ここからが大変です。
価値観もなにもかも合わなかった。
僕は、旅費が惜しいので「ケチ」りたい。
彼女は、タクシーなどで移動したがります。
食事もいままで通り
屋台の安いもので済ませたかったのですが、
彼女はレストランを希望しました。

「一食一食、大事にしなくてはならない」と言われ、
そんなものかと清潔そうなレストランに飛び込みます。
僕はケチって一番安いものを頼むと、
すぐに大きなプレートに
鶏の砂肝がひとつだけコロンと乗って出てきました。
前菜だったようです。
ゲラゲラ大笑いされた上、
「安物買いの銭失いね。はたぴょんの砂肝君」
悔しくなり、軽い反撃のつもりで、
「28歳は違うねオバサン」って言いました。
すると彼女は突然激怒。
自分の料理が運ばれてくる前に、自分で希望して入った
レストランを飛び出て行ってしまいました。

次第に彼女の怒りが僕に伝染ります。
何様?? 食事は大事なんじゃないの!?
しかし一方では、なんなんなんだこれは?
追いかけなければ、後悔するのではなかろうか?
飛び出て行かれることも、
追いかけることも生まれて初めてです。なんなんだ!

直感を信じ、慌ててホテルに戻ると、
彼女は荷造りを始めて出て行こうとしていました。
「もっと一緒に旅行したい」と伝えると、
彼女は目に涙を浮かべながら
「あなた、なんにもわからない!」
「私はあたりまえに扱って欲しかっただけ。
 普通の男の人なら‥‥どうでもいい人なら」
と、呟きました。
どうやら、お互いとっくに落ちていたみたいでした。
バカは僕でした。

その日もまたいろいろ話して、
その翌日にはダブルの部屋へ移りました。
離れ離れになるまでの一週間、
ずっとゲストハウスで、昼も夜もなく、動物でした。
天井のファンが回るだけの何も無い部屋は蒸暑かったな。
甕の水を手桶ですくい、お互いの汗を流しました。
よく頬を噛まれました。歯型がつきました。

一緒にいられる最終日、彼女は高熱をだしました。
その日僕は帰国の飛行機に乗らなくてはなりません。
「熱が引くまでいようか?」
「あなたは学校にいかなくてはならない。
 平気だから行って」
僕は使えるだけのルピーで
彼女が好んで食べてたフルーツや水、
薬を買えるだけ買い、部屋に戻りました。

すると彼女は、これまで頼んでも頼んでもくれなかった
日本の連絡先の記されたメモをくれました。

ホテルを後に空港へ向かう派手なトゥクトゥク。島唄。
少し大人になった気がしてる僕。

このアドレスは、ホントのアドレスかなぁ?
それにしても、雑多で賑やかな景色でした。

脚本家の森下佳子さんが
90年代の恋愛ドラマの初回における
オーソドックスなパターンとして
「偶然出会い、まずは大げんかする」
というのを挙げてらっしゃいましたが、
まさにそんなはじまり方をした南国の恋。

それだけに、最後の終わり方が、
ほんとに次回への予告のようで、
続きがないものかと
投稿メールを見直したりしました。

ハンドルネームは
「38歳会社員妻子有」とあります。
はたして、奥さんは現在46歳なのかどうか。

ほんとうは哀しい思いの込められた『島唄』ですが、
投稿者の方の冒頭の一文にもあるとおり、
ここでは激しい恋のBGMとして、鳴っています。
そういうのも、歌のよさだと思います。

気になる。これは気になる。
そのアドレスは果たしてホントだったの?
(38歳会社員妻子有)の、その「妻」は?
18年前ということは、
「アドレス」はメールのそれではなく、
「住所」ですよね、おそらく。所番地。
日本に帰った「僕」は、彼女を訪ねたのでしょうか。
手紙を出したのでしょうか‥‥。

まあ、それは、
「ご想像におまかせします」なのでしょう。

空港へ向かう派手なトゥクトゥク。
島唄。
すこし大人になったかもしれない僕。

この物語には、
ここで終わるラストシーンがいちばんだと思います。

旅の帰り道なのに、
これから羽ばたいていくようなイメージ。
「雑多な賑やかさ」は、若さの象徴に思えました。

短時間ですごいことが連続であった場合、
断片的なシーンがまるで
切り取ったカードのように頭に残ります。
だから、「彼女」のほうに聞いたらきっと
まったく違うシーンを連ねて語るんだろうなぁ。
聞いてみたい!

年齢のことを言われてそんなにも怒ったのは、
投稿にあるとおり、
とっくに恋をしていたんですね。

他人からオバサンと言われてうれしい人は
一人称でそう呼ぶ人も含めほとんど皆無ですよね。
年齢を自分以外から言われるのもホントは嫌い。
私はお店などで息子にものを訊ねさせる場合など、
見かけがどんなに歳をとっていらっしゃっても
「あのおねえさんに訊いといで」と
言うようにしていました。
坊や扱いされている諸氏も、悔しいかもしれませんが
彼女をオバサン扱いしないように願います。

だから、彼女はなんだか
ふたりの恋をはなから否定されたようで悲しくて
「そうか、そういう距離を取るんだ」と
店を飛び出してしまったのでしょう。
その後一気に距離がなくなったのは
この「ゴムのびてパチン」効果が
あったからかもしれません。

恋する惑星、
八千代の別れ、旅につきもの。

一気に読みました。すてきだなあ。
ジャワ島のあのもったりした空気。
18年前‥‥てことは、
そのころ、ぼく、旅行ガイドブックの仕事で
そのあたりずっと回ってたかも。
最近のジャカルタはもうすさまじい経済成長で
大都会らしいですけれど、
当時は、都会は都会(首都ですから)でも、
どこかのんびりとした感じがありました。
建造物なんかに植民地文化が残ってて、
エキゾチックだった。ゴハンまずかったけど。
そのなかで、そんな恋のものがたりが‥‥。
「自分のこと怪しくないっていう人、初めてね」
‥‥なんとまあ、山田詠美な世界!
しょうじき、ちょっと、うらやましい。

前々回の「よろしく哀愁」の投稿にも
性的な話がありましたが、
(38歳会社員妻子有)さんの話は、
ふしぎなことに、
なんだか一枚の風景画を見るようです。
そのくらい、遠い景色な気がします。
多くを語らない感じが、そう思わせるのかな。

「頼んでも頼んでもくれなかった
 日本の連絡先」の、その後。
気になるといえば気になるけれど、
その話は、ま、いいじゃないか、という気もします。
いずれにせよ、だいじな思い出。

次回の恋歌くちずさみ委員会は、土曜日です。
みなさまの投稿も、おまちしてまーす。

2013-02-27-WED

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