『少女人形』
 伊藤つかさ

1981年(昭和56年)

彼の存在は、
特別に可愛い
ピンク色の命綱だった。
(ゆくえふめいの
     ミルク屋さん)

夢をみる人形と
みんな私を呼ぶの

雪国の城下町の中学生だったころ、私には
クラス男子編成によるファンクラブがありました。
もう、たしか、十人に満たないくらいの小規模さで、
ついでに彼らは、ちょっと前まで
伊藤つかさファンクラブを結成してた気がしたメンツで。
なるほど遠い遠いアイドルよりも、
身近な同級生にターゲットを移して、
ほんの少しスリリングな方向にもっていきたいわけね、
きみたち!
はいはい、私はつかさちゃん役をやればいいのね!
と、女子一同には見え見えで。今思い出しても、
プッとふいてしまうような微笑ましさでした。

会報を出すからと写真を撮られたり
盗み撮りされたりしてたみたいでしたが、
とうとう会報発行には至らず、
かわりに、ファンクラブ会長個人から
ラブレターが届きました。
男子だけど彼にしか書けない特徴的なきれいな丸文字で、
読んで胸が痛むほど、
まっすぐに気持ちがつづってありました。

彼はピンク色と子猫グッズが好きで、
いろいろな文房具をそれらで揃えて、
からかわれても平気で使ってました。
イベントで「いま戦争が起きたらどうする」
というアンケートをクラスでしたとき、
闘う・逃げる・亡命する‥‥と答える皆のなかで
彼ひとり「♪海は死〜にま〜すか〜♪ と歌う」
と答えてました。
(当時公開された戦争映画の主題歌で、
 さだまさしさんの曲です)
わたしは彼のそういうセンスが好きだったので、
彼の生き方を応援する気持ちで、
彼女になることにしました。
彼はマメに面白い本や雑誌やマンガを貸してくれたり、
テニスに誘ってくれたりしました。

でも、その頃、私にではなく
私の父と母に愛の嵐が吹き荒れていて。
単身赴任先で父が薬を大量に飲んで入院したり、
母がいつも血走った目で取り乱していたり、
家の中に諍いのない日が無いのが日常で。
お弁当なんか、学校で開けたら
冷えたごはんに缶詰をぶちまけただけ、
みたいな日もあって。
アイドル役も、彼女役も、見当違いだよ、
ほんとは、生きるので精一杯なんだよ私、と
言いたいけど言わないでいる、一人暮らしに近い生活で。
別々の高校に進んだあたりで余裕がなくなって、
もう放っておいてほしいと書いた手紙を出して、
たぶん傷つけて、それきりにしてしまいました。

その頃にも、うっすらと分かっていたけれど、
今はもっと分かる。
薄闇のなかから外を見ると、
鮮やかなものがもっと鮮やかに見える。
明るいものがもっと明るくきらめいて温かく見える。
暗い沼に引き込まれないで、沈まず生きていけるように、
自分で命綱を何本も何本も張って張って張りめぐらせて、
私を好きでいてくれる誰かがいてくれることで
自分をあきらめずに生きてくることができたってことを。
彼の存在は、
特別に可愛いピンク色の命綱だったってことを。

もう、つかさちゃん役じゃないけど、
深夜残業でくたびれ果ててた頃も、
今も、あの歌を口笛で吹くと
階段を一段飛ばしで上っていくみたいに、
元気になれます。
勇気を持って好きと言ってくれて、ありがとう、
そばにいてくれて、ありがとう、
あの頃の私を応援してくれて、ありがとうね、
と思います。

(ゆくえふめいのミルク屋さん)

たぶん(ゆくえふめいのミルク屋さん)は
ぼくと同世代。
「校内暴力」というおかしな風潮がはじまる
ちょっと前の世代じゃないかな。
「そういうこと、あった、あった!」
と、当時の中学校の
まだのんびりしたクラスの雰囲気や
クラスメートたちの他愛ない笑顔を
思い出しながら読みはじめました。

‥‥と思ったら、いやはや。
そうですか、そんな家庭事情が。
きっと、(ゆくえふめいのミルク屋さん)は
「はやくおとなになりたい」と
まいにちのように思っていたんだろうなあ。
その気持ちをかかえていたから、
たぶん、同級生男子たちから好かれ、
また彼らのことが、
可愛く見えていたのかもしれないですね。

「明るいほう」を見るのは大事ですよね。
影ばかり見ていてはいけない。
影の深さや奥深さは、光あってのこと。
ぼくも時々そのことを思います。

伊藤つかさちゃんは、登場したときに
強烈な印象がありました。
なんていうんだろう
「え、いいの、テレビでちゃって」
というような、あどけなさ、こどもっぽさ。
そして、とんでもない歌の下手さもあいまって、
自分のなかではうまく処理しきれないアイドルでした。

文中に出てくるさだまさしさんの歌は
「防人(さきもり)の歌」。
映画『二百三高地』の主題歌でしたね。

勇気を出〜して、のところで
くらくらっとメロディーがふるえるのが
味わい深かった、伊藤つかささん。
『少女人形』、なつかしいです。
クラスの男子にもファンが多かったな。

そして、なんてすてきな投稿なんだ!
はぁー。
何度も読み返しました。
ありがとうございます。

暗い中から光のある方向を見たときの
ひっぱられるようなまばゆさ、
そして、彼が知らず知らずで照らして守ってくれる
あたたかさが伝わります。
それぞれの人が
暗い場所をもっているかもしれないけど
つながり合うのは
あたたかくて明るいところなんだなぁ。

「可愛いピンクの命綱の彼」は
思い出のなかにいるけれども
いまでも何度も救ってくれる存在なんですね。
キラッと輝く星みたい。

私も、あのとき命を助けてもらった、
一生頭があがりません、という人が
ひとり、ふたり、います。
一生頭があがらないくせに近頃は
そのことを忘れてしまっておりました。
ちゃんと感謝を伝えていこうと思いました!

すばらしい投稿だなあ。
それぞれのフェイズの異なる思い出から、
取り出して並べる断片の量とその取り扱い方が
ほんとにちょうどいいですね。
というのも、いまいる地点から、
それぞれをきちんと見渡して
自分のなかにあるものとして認め、
受け入れているからなんでしょうね。
そのオトナっぽさがありつつ、
ひとつひとつの表現は若々しくて瑞々しい。
そして恋歌が『少女人形』だものなー。

伊藤つかささんは「金八先生」の
セカンドシリーズ出身。
セカンドシリーズというとあれですよ、
沖田浩之さん、川上麻衣子さん、
ひかる一平さんというあのシーズンですよ。
「加藤!」「松浦!」ですよ。
あのたいへんハードな学級に、
スウィートな伊藤つかささんと
ひかる一平さんがいたわけですね。
いま思うと、なるほどのバランスだなぁ。

そんな伊藤つかささんは、
たしかにちょっと異色の魅力をもっていました。
武井さんのコメントが見事で、
そうだそうだそういう感じだったと
膝を打ちました。

この感覚、この気持ちを久しぶりに思い出しました。
思春期の胸の高なりと、
そして、
同時期におとずれた理不尽なまでの現実の嵐。

いわゆる「家庭の事情」というものを抱えた子ども。
それはすくなくない数、いました。自分も含めて。
現在もそれはもちろんあることなのでしょうが、
昭和の頃の「家庭の事情」はもっと‥‥
こう、なんというか全体的に、
暴力的に理不尽だった印象があります。

あの頃、ぼくが心のバランスをとれていた理由は、
音楽と読書と、
なんといっても友だちの存在でした。
現実の嵐が吹き荒れた次の日でも、
他愛のないことでお腹を抱えて笑い転げたり、
好きな女の子の話をずーっとしていたり‥‥。

ある日のこと、
家庭で嵐が吹いた翌日にぼくは
学校へ弁当を持っていけなかったことがありました。
お昼休みは、仕方がないから机で寝たふり。
友だちが、
弁当箱のフタにシウマイをひとつのせて
となりの席に渡しました。
アルマイトのフタは、教室を一周してぼくの席へ。
いろんな食べものでいっぱいになった
見た目の悪いそれをぼくは黙って食べました。
あれは、おいしかったなぁ。
我が家が夜逃げをしたのはその翌月のことでした。

‥‥また自分の話を、すみません。

このコンテンツは、
ほんとにいろいろな記憶を蘇らせてくれます。
あなたも、なにか思い出したなら、聞かせてください。
そのとき側にあった音楽といっしょに。

今回もほんとうにすばらしい投稿でした。
次は土曜日にお会いしましょう。

2013-02-20-WED

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