『Missing』
 久保田利伸

 
1986年(昭和61年)
 アルバム
 「SHAKE IT PARADISE」に収録

もう一度、私は先生に
恋をしたのです。
       (しのぶれど)

震える瞳が語りかけてた
出会いがもっと早ければと

高校時代、古典の先生が好きでした。
15歳年上で、既婚者でお子さんもいて、
叶うはずのない恋でした。
高校3年間、教科担当だった先生の授業を
一瞬も聞き漏らさぬよう勉強し、
褒められたくてテストも頑張り、
うっとうしがられないように、
気持ちに気づかれないように、
さりげなさを装って質問に行き…と
高校生らしい、健気な片思いをしていました。
先生も自分を慕う生徒の一人といった感じで
接してくれていたと思います。

もちろん思いを伝えることもなく卒業し、
大学の国文学科へ進学しました。
そして4年生となり、教育実習で母校へ、
担当教官は先生でした。

はじめは恋のことを
思い出すヒマがないほど忙しく、
ほとんど寝ずに教材研究、授業、
部活に明け暮れました。
ただいつも先生がそばにいてくれた。
どんなに遅くなっても根気強く
私を指導してくださいました。
帰りが遅くなった時は、
先生が駅まで送ってくれました。
その時だけは
教育実習生と指導教官という立場を離れ、
いろいろな話をしました。
しだいにあの頃の憧れの気持ちとは違う感情が
芽生え始めました。
先生は社会人として、とても尊敬できるひとでした。
もう一度、私は先生に恋をしたのです。

教育実習が終わった時、先生が
「頑張ったご褒美で、食事をご馳走するよ」
と言ってくれました。
そして先生の車で海へドライブへ。
その帰り道、
とうに私の気持ちに気づいていた先生に、
「お前と俺は、たぶん今同じ気持ちでいると思う。
 だけどごめんな」
と言われました。
そして一度だけ、キスをしてくれました。

当時の私は、
「先生のいくじなし!」と思っていたけれど、
あれから時が過ぎ、
結婚して子どもも産んだ今となっては、
その一言が、そのキスが、
どんなに勇気のいることだったかと思うのです。
そのうえできちんと私を振ってくれたこと、
とても感謝しています。

あれから15年、
同窓会などで今でも
たまに先生とは会うことがありますが、
その時のことを話したことは一度もありません。
唯一の変化は、昔は私の苗字を呼んでいた先生が、
名前で私を呼ぶようになったことです。
その時は、あの頃の気持ちを思い出して、
少しだけ切なくなることがあります。

(しのぶれど)

あっちゃあ、またですよ。
「そういうつもりはないんだけど、でも」
のキスですよ。
なんでキス? なんで?
この場合は、吹っ切れてますからいいけども。
「先生が振ってくれた」と思えたわけですから。
でも、一歩間違えれば
「ほんとうは私のことを好きなんだ」
と思いつづけてしまう。
キスは怖いですよー。

生徒だったときと、
同じ職場で働く人としての先生と、
ふたつのシチュエーションで
もういちど恋をする、というところが
この恋の話の深さをあらわしていると思います。
その後、ご自身も家庭を持たれて
ドライブのときの先生の心を振り返るのも、いいなぁ。

しかし、この久保田利伸さんの曲、
かなり有名な歌なのに、
シングルじゃないんですね。
驚きました。

昔はそういう、
「有名だけどシングルじゃない曲」が
けっこうたくさんあったよねー。
いまは、なんかアーティストの意向はさておき、
話題になったら、シュッとシングルになったり、
すかさずそれを1曲目にして
ベスト盤を出したりするけれど。

さて、もはや「恋歌くちずさみ委員会」の
名物のひとつといってもいい、
「なんでキスやねん」ですが、
いや、しかし、このキスは
いつもの「なんでキスやねん」とは
ちょっとだけ違うんじゃないか?
いや、本質的にはいっしょかもしれないけど、
ちょっとこう、記念写真っぽいというか、
出会いのスタンプのような感じというか、
ああ、いや、いっしょだなあ、やっぱり。

「なんでキスやねん」はさておき、
文中の
「もう一度、私は先生に恋をしたのです。」
というとらえかたと表現がぼくは好きです。
あと、ハンドルネームの
「しのぶれど」が
古典の先生とかかっているようで、
ちょっといいですね。

あぶないあぶない。
不用意なそれは、ほんとに危険。
でも危険ではあるけれど‥‥
この古典の先生のそれって、
セーフの範囲のような気がするんですが、どうでしょう?
ぎりっぎりセーフ‥‥じゃないですか?
‥‥どうしてセーフだと思ったんだろう?
うーん‥‥
「尊敬」とか「敬愛」を感じたからかもしれません。
もしくは、(しのぶれど)さんが
とても強く納得しているように感じたからかも。
いや、そりゃあね、ドライブのそのときに、
「だけどごめんな」のそのあとで、
キスをしないほうが安全なことはわかるんです。
わかるんですが、
そのクライマックスがあったから
とくべつな思い出になっているわけで‥‥。
でも先生は既婚者‥‥うーーーん‥‥。
このキスを肯定するのはなかなか難しい。
それでも、セーフって思うんですよねぇ。
淡く思い続けた長い長い年月。
そのなかで、
「一度のキス」は許されるのではないかと。
でも、それをしなければもっといい思い出に‥‥。
と、考えはぐるぐるとループするわけです。

道ならぬ恋の、たった一回のキスが
地獄への道行きとなるかもしれないこと、
古文の先生であれば、
きっとよくご理解のはず。
そういう物語、いっぱいあるもの。

だからこそ、先生、すごい。
必ず伝える自信と、
必ず伝わる自信がなければできない。
(しのぶれど)さんが、
ちゃんと受け止めるひとだということを
先生は信頼してその行動に出たんですね。
だから(しのぶれど)さんもすばらしい。
この恋を、こんなふうに
成就(だと僕は思う)させたのだもの。

こんなに強いキスもあるんだ。
きっとこれは、二人にとって、
一生に一回訪れた奇跡だとすら思います。
しみじみと秋の夜長にそう思いました。
うっかりマネしちゃダメだよみんな!

次回の恋歌は水曜日。良い週末をお過ごしください。

2012-11-03-SAT

最新のページへ
感想をおくる ツイートする ほぼ日ホームへ
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN