『流れ星』
 真心ブラザーズ

 
2001年(平成13年)

今も変わらない
彼女を見て、
今も変わらない気持ちを
抱きました。
(バタコとバタオ)

今でも優しい気持ちになれるよ 君を想い
淋しい 苦しい 
どう思われようともう一度 会いたい

僕にとってはこれが20年以上続く恋なんです。

僕らの日々は15歳の秋から始まりました。
20年とちょっと前の。
まともに話もしたこともない、
元気いっぱいの女の子に
「付き合ってほしいんやけど‥‥」
雨が降る中の告白。
昭和の匂いそのままの片田舎で、
精いっぱい背伸びをしながら
友達に見られないよう‥‥
そんなお付き合いが始まりました。
二人で会うのはもっぱら中学校の帰り道。
一緒にいられるうれしさよりも、
緊張して、言葉を探して、
彼女の顔もまともに見れず‥‥。

初めての恋愛は切なくて、苦しくて、
そしてちょっぴりの幸せをとても大切に
噛み締めていた事を思い出します。

高校生になっても
お互いの距離間はそれほど変わらず、
それでも毎日彼女を想い、
頭の中で存在する彼女と、目の前にいる彼女とに、
同じ接し方をできない自分に
ジレンマを感じる日々でした。

彼女はとても活発で、まっすぐに人を感じ、
いつも笑顔で、ショートカットの似合う、
僕にとって輝いている存在でした。

そんな彼女を、ちゃんと見て
いつも通りの自分を出せるようになったのは、
お互いの大学進学が決まった頃。
彼女は地元の、僕は少し都会の離れた場所で。
僕らはこの頃、ぼんやりではあるけど、
ずっと一緒にいる将来を、ともに描いていました。

それぞれの進路に進み、
二人の生活する距離は離れましたが、
彼女との心の距離は確実に縮まり、
前向きに過ごせる日々。
2ヶ月程ある長期の休みの間も毎日一緒に過ごし、
一緒のバイト、一緒の食事。
僕の中で彼女はかけがえのない存在になっていました。

ただ、そんな頃から少しずつ、
僕の中に勘違いが生まれてきました。

それぞれの場所に戻って考えた時、
一緒にいる時間の穏やかさが、
一瞬嘘のように感じる不安が僕を包みました。

誰とでもわけ隔てなく接することが出来る彼女。
僕のいない場所で、僕の知らない人達に、
僕だけに見せて欲しい笑顔で普通に振舞う彼女。

彼女の存在がすべてだった僕に入ってきた、
わずかな、そして幼い疑念。
8年ちょっとの、ありふれた恋愛の終焉でした。
人並みに落ち込み、人並みに涙しました。

ごく普通の恋愛が、ごく普通に終わってから
5年程経ち、突然彼女から
「あなたの住む街に遊びに行きます」
と連絡が入りました。
次の恋愛を始めることができていた僕にとっては、
旧友に会う、
それぐらいの感覚で約束し、再会しました。
しかしその再会は、
社会人となり、大人になった自分を見せ‥‥
そんな余裕な僕の気持ちを一気に吹き飛ばしました。

久しぶりに逢った彼女は、何一つ変わらず、
キラキラしたままの笑顔で、まっすぐ僕を見つめ、
そしてあの頃と変わらない気持ちでいてくれました。
彼女の記憶が溢れ出し、
僕の中の忘れていた感覚が、次々と蘇りました。

「やっぱり大好き」

はっきりとそう思いました。
ただ僕には当時付き合っていた女の子がいて、
その想いは彼女には伝えられませんでした。
駅まで送った彼女の背中を、
淋しく、愛おしい気持ちでずっと眺めていました。

翌日からも彼女との記憶はどんどん膨れあがり、
仕事の手を休めては、車の中でぼんやりする日々。
その時ラジオから流れてきたのが『流れ星』でした。

「今でも優しい気持ちになれるよ 君を想い
 淋しい 苦しい 
 どう思われようともう一度 会いたい」

涙がボロボロ止まりませんでした。
夕焼けがすごくきれいだった日のことです。

そして僕はその時付き合っていた女の子と結婚しました。
好きだった気持ちは胸の奥にしまっておこう、
そう決めました。

それから10年、つまり現在。
同窓会がきっかけで、彼女と二度目の再会が叶いました。

お互い家庭を持ち、忙しく暮らしています。
10年間の積もった話をしながら思いました。

「やっぱり大好き」

今も変わらない彼女を見て、
今も変わらない気持ちを抱きました。
ずっと引きずって行くであろう
『恋』と『流れ星』です。

僕にとってはこれが20年以上続く恋なんです。

(バタコとバタオ)

どうなっていくんだろう、この物語は、
と思いながら、ゆっくり読み進めました。
何度も言いますように、
ここに掲載される恋の物語は「実話」ですから、
クライマックスやエンディングが
書き手の意図にそって展開するのではなく、
ただただ現実がそうなったように
書かれるだけなのです。

大好きだけれど、別の人と結婚した。
別の人と結婚しているときに、また会ったけど、
やっぱりまだ大好きだった。

そういう矛盾を、多かれ少なかれ、
誰でも内側に抱えているのかもなあと思います。

また、15歳から8年続いた、はじめての恋人を、
過去のこととして完全に忘れられることのほうが
難しいだろうとも、思います。
その意味で、これは、
とても正直につづられた物語なのだなとも。

わあ‥‥!
言葉が出ません。
もう、固唾をのみながら
目を見はって読み進みました。
正直で思いやりがあって‥‥なんてやさしいんだ。
この投稿を読めて、いま自分が幸せです。

この彼女も、ほんとうにステキだな。
だけど、「やっぱり大好き」と
思ってくれていたことに
彼女も気づいていたことでしょう、とは
なんでだろう、私には思えない。
どうしてかな?
ふられちゃったな、とまっすぐに
思っていると思う。
自分ならそう思います。
そして、自分は
変わらないくらい好きでいるまま、
いい友だちでいられることに
感謝すると思います。

そういう意味でも、彼女にとって
秘めた思いでしょう。
かけがえのない友情は
そういうところからも生まれるのかな。

彼女は地元に、僕は少し都会の離れた場所に‥‥
というくだりで、
すわ、「木綿のハンカチーフ」物件か?!
と身がまえましたが、そんな展開ではありませんでした。
離れても静かに育まれる関係、すてきでした。
やがておとずれる終焉さえも(変な言い方かもしれませんが)、
きらきら輝く青春の良き思い出として響いてきました。

と、そこまでは大丈夫なのですが‥‥。
「やっぱり大好き」
が幾度も蘇ってしまうのは、くるおしいことでしょう。
ポイントは1回目の、
「やっぱり大好き」のときだったと思います。
そのときなりふりかまわず
飛び込まなかったことが、すべてかと‥‥。
ぼく個人としては、
飛び込まなかった(バタコとバタオ)さんの誠実さというか、
ぐっとこらえたやさしさに、とても共感できます。

これから先も再開のたびに、
「やっぱり大好き」になるのだと思います。
それはある意味うらやましいことだなぁ、
という感想は人ごとすぎるでしょうか。
‥‥でも、そう、あと10年も経てば、
「やっぱり大好きな友だち」
になれるような気が、ぼくはします。

それにしても、30代の同窓会って危険です。

じぶんの話をするのも恐縮ですが、
(バタコとバタオ)さん、わかりますとも。
ぼくの場合、(バタコとバタオ)さんほど
狂おしいという感じではまったくないのですが、
どうにもならない、
どうにかするつもりもない、
そんな関係に育ってもなお、
「やっぱり‥‥好きだよなあ」
と思うことがあります。
もちろん、だからどうしよう、ということは、ない。
また会えたらうれしいなあ、と、
それくらいです。
ぼくが怖いのは、いちばん怖いのは、
そんな大事な人間と
「二度と会えなくなる」ことです。
どうかそれだけは勘弁して神様、と思う。
こんなぼくでも、そんな気持ちになることが、
このおちゃらけた日々のなかで、
たまーに、あったりします。
そういう相手とめぐりあったことが
ぼくの幸せ(の、ひとつ)なんだと思ってます。
(バタコとバタオ)さん、投稿ありがとうございました。

次回は土曜日にお会いしましょう!
恋歌、いいなあ。

 

2012-10-10-WED

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