『星になれたら』
 Mr.Children

 
1992年(平成4年)
 アルバム『Kind of Love』収録曲

 班ノートが話の種となり、
 次第にI君と私は
親しくなっていました。
(coyamayu)
この風は きっとどこかで君と
つながっているから

いつもドキドキしながら拝見しております。
自分にもそういったエピソードがあったかなぁ
と思い出してみたところ、
一つございましたので、投稿します。

中3の頃、初めて同じクラスになったI君。
新学期が始まった4月の最初の班で同じ班になりました。

その当時の担任の先生は「班ノート」なるものを
同じ班の者同士でまわし、
各自思っていることや考えていることを
書いていくようにと
B4サイズのキャンパスノートを各班に渡されました。
いわゆる「交換日記」を班でまわす訳です。

男女混合の班でしたし、小生意気なお年頃でしたから、
他の班は書くのをサボったり、
誰かが持ち帰ったっきりになってしまったりで
1冊目が終わるかといった具合でした。

しかし私とI君がいた班では、各自活発に書き込みました。
絵を描いたり、おすすめの漫画を紹介したり、
思いの丈を書いたり。
たしか夏休みに入った頃まで続いていたと思います。
3冊目か4冊目辺りからは、
先生から配布されるノートではなく、
自分たちで選んだものを使っていました。

班ノートが話の種となり、
次第にI君と私は親しくなっていました。
頻繁に互いのお勧めの物の貸し借りをし合うくらいに。
最初は私が当時大ファンだった
Mr.Childrenのアルバムを貸したのですが、
帰ってきた時CDと一緒に、各収録曲に対する感想と
お礼が書かれたメモが同封されていました。
それから、なんとなくお互い借りた物には
感想とお礼を書いたメモを同封していました。
私からはMr.ChildrenのCDや他の本や漫画を、
I君からは当時彼が大ファンだったシャ乱QのCDなどを。
今回「恋歌」として挙げさせて頂いた、
当時頻繁にくちずさんでいた「星になれたら」も
I君に貸したCDの中の1枚に収録されていました。

お勧めの貸し借りを繰り返しているうちに、
班ノートは関係なく、
「たまたま同じバス/電車に乗り合わせた」ため
途中まで一緒に帰る(電車・バス通学でした)ことが
多くなりました。
道中、学校のことや高校受験のことなど
よく話しながら帰っていました。

I君は誰とでも話すタイプではなく、
どちらかというと人と話さず
一匹狼でいることが多かったため、
クラスでI君と話す人自体が少なかったようでした。
そのため、バスや電車の中でI君と私が
親しそうに話しているのを見かけたクラスメイトや
他のクラスの子達が不思議そうにしていたのを覚えています。
何度か、「付き合ってるの?」と言われたこともありました。
当時私は他に好きだった子がいたので、
「I君と私が付き合っているのでは?」
という疑惑が学校内に広がるのが嫌で、
そのうちに他の生徒も多く乗るバスの中では話しかけず、
同じ方向に帰る人が少ない電車の中で話すようになりました。

季節は秋になり、私の誕生日に、I君は
私が当時好きでI君にも貸したことのあった本の
最新刊を買ってくれました。
待ち合わせをした訳でもなく、
帰り道「たまたま」同じバスだったので
ちょうどいいから誕生日プレゼントとして買ってあげる、
とのこと。
駅の本屋さんまでドキドキしながら一緒に歩きました。
道中、I君が「ハタから見たらバカップルやね」などと
ひねくれ口をたたいていましたっけ。

そして、冬になり、受験を迎え、
お互い別々の高校に行くことになりました。
卒業の前によく話していたのは、同窓会について。
2人とも同窓会にはあまり興味が無かったため、
「29歳の時に開かれる同窓会だけ行く」ことにしました。
なぜこの歳かというと、
当時クラスで流行っていたラジオ番組のDJが29歳で、
当時15歳だった私達にとって
「身近な大人の歳」だったから。
その時、再会しようね、
というゆるい約束をかわしていました。

高校進学後、
1年くらいは電話や手紙のやりとりが数回ありましたが、
2年になると途絶えてしまいました。
大学の時に、昔もらった手紙に
記載されていた住所に手紙を送りましたが、
宛先不明で戻ってきてしまいました。

さて、今年の秋、私は29歳になります。
もちろん、クラスメイトだったI君も。
中学の同窓会が開かれているかどうかも伝わってこない
地元福岡から遠い関東にいる身としては、
今年から来年の秋30歳になるまでの間に
果たして同窓会が開かれるのか気になるところです。

もし、I君に会えるなら、
あの時の私とI君の間にあった関係は
何だったと思うか聞いてみたい。
当時好きだった子に向けていた気持ちとは違う色をした
不思議な気持ちは、
14年たった今も、くすぐったいような照れくさいような、
今はもう抱けないであろう大切な宝物です。
福岡の実家に大切にしまってある班ノート、
貸し借りメモ、I君からの手紙とともに。
でも、約束のこの歳にもし会えなくても、
どこかで元気にしていてくれたらいいな、と
夫とともに願っております。

(coyamayu)

あああ、あまずっぱい。
もう、わたくし、言ってしまっていいでしょうか、
「たまたま」は最初の1回だけで、
あとは情熱がそうさせていたのですね。
I君が(coyamayu)さんを好きだった気持ち、
痛いほど伝わります。

「好きな人」と「気が合う人」が
別ものだと思っていた青春期。
その微妙な女コゴロをも
I君はよくとらえていたのでしょう。
いい人で、困らせなくて、ねばりづよい。
きっといまもやさしくて、元気で
いらっしゃることでしょう。

ところで、この「恋歌くちずさみ委員会」を
通じて思ったのですが、
中学最後の1年って、けっこう
それからの人生に余韻を与える
いろんなことが起こるのですね。

うん、彼は、いろいろがんばったと思う。
なんというか、その年代に限らないかもしれないけど、
いかに「たまたま起こったこと」として
互いがそれ処理できるような幅をもたせつつ、
「その機会をつくるか」ということが、
成就されようとする恋にとっては
重要なことなんだと思うのです。

逆にいえば、「たまたま起こること」なんて、
文字通り、ほとんどないに等しい。
けど、「たまたま起こったこと」にできる、
「どっちかががんばったこと」は
若い恋のまわりに、たくさん転がっている。
そんなふうに思うんです。

いまの彼なら、ひょっとしたら
「そりゃそうだよー」なんて
あっさり笑って認めてくれるかもしれないですね。

なんだかとてもドキドキして
この投稿を読み終えました。
その場にいるような気分というか、
いたことがあることを
すごくリアルに思い出すみたいな、
制服に袖を通す感じや、
学生かばんの持ち手の感触や、
クラスの机や硬い椅子の座り心地や、
なんだかなじめなかった教室のイメージや、
ぼんやりとしか思い出せないクラスメイトの顔や。
そんな景色が、ぱぁーっとひろがりました。

おなじような経験はしていないんですが、
「貸し借り」はしました!
うれしいんですよね、
じぶんが選んだものを、
相手が「聞いてみようかな」とか
「じゃ、読んでみるね」って
受け取ってくれた瞬間が。

「星になれたら」って
みずみずしいさようならの歌なんですね。
また会おうということばはないけど、
いつかわかりあえるよ、というような。

「自分にもそういったエピソードがあったかなぁ
 と思い出してみたところ、
 一つございましたので、投稿します。」
という書き出しが好きです。
(coyamayu)さんはきっと、
「ちょっと書いてみようかな」
と気軽に手を動かし始めたのでしょう。
そしたら、
記憶がつらなり、次々と思い出があふれるあふれる‥‥。

誰しも、あるのですよね。
当然のことです。
みんな、エピソードの積み重ねで暮らしてきたのですから。

(coyamayu)さんのエピソードは
「それを恋と呼ぶにはちょっと足りない」感じが、
またいいなぁと思いました。
曖昧な関係だったけれど、忘れられない。
間違いないのはその記憶がたいせつということ。

「思い出の彼に会えたらうれしいなぁ」という
淡い気持ちをずっと漂わせながらも、
最後の最後では、
「夫とともに願っております。」
という一行で投稿全体をびしっと締めています。
その節度に、しびれました。

ふわっと曖昧にしまわれている
恋とは呼べないかもしれないエピソードがありましたら、
その曖昧なままでお送りください。
たぶんそれはそのままで、深くすてきな物語。
おたより、お待ちしています。

 

2012-08-15-WED

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