『星影のワルツ』
 千昌夫

 
1966年(昭和41年)

「いつまでも
  こんなことしてたらあかん」
と言う彼。
(素)

冷たい心じゃ ないんだよ
今でも好きだ 死ぬ程に

当時おつきあいしていた人と
「そろそろ結婚でもするか」という話になり
やりがいはあるけれどハードな仕事に疲れていた私は
「そうだね」と言ってあっさり退職。
すぐに派遣社員として働きはじめました。
結婚しても残業とかしなくてもいいだろう
みたいな安易な気持ちで。
そして、派遣された職場で
一回り年上の彼と恋におちたのです。
特別な関係になったわけではありません。
彼には当然、奥さんもこどももいましたし。
工場の片隅の事務所で、
休憩時間にインスタントコーヒー飲んだり。
少し遠い駅まで二人で歩いて帰ったり。
一度だけ飲み会の帰りにキスしたり。
すぐに謝られて、私がちょっと泣いたり。
そんな淡い関係で、それでも好きでした。
そして彼にも愛されていると感じていました。
28にもなって初恋でした。
いままで恋と思っていたものは
恋なんかではなかったと知りました。

結婚話がでていた人とはあっさり別れ
かといって彼とも、どうなるはずもなく二年が過ぎ。
ここにいても、どうなるものでもないと思った私は
再びハードな職場に戻る決心をします。
彼以外の人と結婚する自分なんて想像できなくて。
一人で生きていくならそうしたほうがいいと思って。
やめると伝えた後、
人気がほとんどない定時後の事務所で
彼が毎日のようにハミングし、
時には口ずさんでいたのがこの歌です。
出だしの
「別れることは つらいけど 仕方がないんだ きみのため」
というところを繰り返し歌っていました。
冗談めかした感じで。

そこで話が終われば綺麗な思い出だったのですが
毎日は会わなくなった私たちは
「わざわざ」「約束をして」会うようになり
特別な関係になっていきます。
それは幸せであると同時にとてもつらい日々でした。
別れ話がでてはまたよりを戻す。
彼といつでも会えるように借りた一人暮らしの部屋で
どうしようもなく心が荒んでいきました。
嘘になってもいいから将来の約束が欲しかった私に
「いつまでもこんなことしてたらあかん」と言う彼。
彼も疲れているように見えました。
さらに三年の月日が過ぎるころ
私はインターネットのチャットを通じて知り合った
年下の男性と結婚すると、彼に電話で告げました。

彼が死ぬことを選んだという知らせを聞いたのは
三か月ほどたった頃でした。
私に宛てた言葉はなく、原因はわかりません。

結婚し三人の息子を授かりしあわせに暮らす今も
時々ひとりでこの歌を聞きます。
出だしから先の歌詞を知ったのは彼が死んだあとのことです。

 いまでも好きだ 死ぬ程に

ほんとうに。
もし彼が今の私に電話をくれたら
私は大切な家族を捨てて彼のもとへと走っていくでしょう。
それは永遠にあり得ないことだから
そう思うのかもしれないけれど。
私は帰るのです。

(素)

千昌夫さんに対してぼく自身が、
ほのぼのと明るいイメージを持っていたからでしょう、
ずいぶんのんきにこの投稿を読み進めました。
冗談めかして、彼が、
「♪別れることは つらいけど〜」
と歌っているあたりまでは、
微笑ましい光景として受けとめていました。

ところが‥‥という投稿です。
切なく、辛い、その先の展開。
きっと胸をしめつけるような想い出だと思います。
何度か繰り返しているお礼ですが、
大切なその記憶をわたしたちに送ってくださり、
ほんとうにありがとうございます。

この国民的なヒットソング、
出だしから先の歌詞については、
(素)さん同様、ぼくもよくしりませんでした。
あらためてじっくり聴いてみました。
最後の歌詞が、
(素)さんと彼のことを歌っているように思いました。

 遠くで祈ろう 幸せを
 遠くで祈ろう 幸せを
 今夜も星が 降るようだ

読み終わったあとに、
やるせないためいきが、ひとつ、出ました。

よかれと思って決めたことが、
次の、まるで予想できなかった運命のスイッチを入れる。
‥‥そういうことが、現実に、あるのですね。
(素)さんと彼とのものがたりは、
とつぜん、(素)さんを、
ぽんとおきざりにするように、
いったん、幕をおろします。
そこまで読んで
「えっ」と声をだして
あたまからもういちど読みました。

休憩時間のインスタントコーヒー、
人気がほとんどない定時後の事務所、
彼といつでも会えるように借りた一人暮らしの部屋、
そんなキーワードや、
星影のワルツという曲のためでしょうか、
この話を、昭和の、四十年代か五十年代のこととして、
まるで古い映画を観るみたいに、
あるいはそんな時代を舞台にした
短編小説を読むかのように感じていたのですが、
途中で出てきた
「インターネットのチャット」ということばに、
ぐーーーーーっと、現実味が。

「星影のワルツ」が、
こんなにせつない歌だったなんて。

私も途中で「え」という声が
思わず出てしまいました。

どうしてひとりでいってしまうのだろう。
人のこころはどうして
すれちがってしまうのだろう。

なぜ彼がそういう選択をしたかは
わからないけど、でもね。
なにか言ってくれてもいいじゃない、
という気持ちになります。

歌詞の内容を知ったのが
亡くなったあとだった、というのも
なんだかもう、心をくだかれます。

冷たい心じゃ ないんだよ
冷たい心じゃ ないんだよ

って、カラオケでおじさんたちが
歌いあげているのを
ふーんと思って聴いていた
『星影のワルツ』でした。

冷たい心じゃ ないんだよ

って、泣かずに歌えなくなりました。
ふぇーーん。

いや、あの、ええとね、
上で「ふぇーーん」とか書いてるスガノ、
このあとほんとに本格的に泣き始めまして。
オフィスのどまんなかにあるテーブルで
この投稿についてあれこれ話してたら、
文字通り、おいおい泣く泣く。
どうやら、自分の周りの人が
なにも言わずに逝ってしまったら‥‥
という連鎖に入ってしまったらしく、
泣いてる自分につっこみながらも
結果的に、おいおい泣く泣く。

けっきょく、1時間ぐらい
ぐすぐすやってまして、
ようやく物理的には泣きやんだようです。
(気持ち的には、いまだ引きずり中)

さて、おそらく、
これを読んだ多くの方がそうされるように、
ぼくもじっくりと聴きました、
『星影のワルツ』を。
いやー、響きます、これは。

文中、事実として重く感じたのは、
「彼といつでも会えるように借りた
 一人暮らしの部屋で」という箇所です。
ふたりの許されない関係が、
短い季節に燃え上がるようなものではなく、
たっぷりと、どっぷりと、
生活に溶けてしまっていることが
重く、切なく、やるせなく、感じられました。

ぐすぐす泣くスガノを囲んで、
ちょっとした笑い話でもするように、
この投稿の好きなところを
挙げ合ったりしました。

なにしろ、3人の子どもがいるんだし、とか。
しかも男の子ばっかりだぞ、とか。

心を持って行かれるような投稿を、
どうもありがとうございました。

それでは、また。

 

2012-06-23-SAT

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