『青春の影』
 チューリップ

 
1974年(昭和49年)

私の中の彼は
中学生のままで、
不思議と湿った
イメージは微塵もない。
  (投稿者・みんな元気)

君の心へ続く長い一本道は
いつも僕を勇気づけた
とてもとても険しく細い道だったけど
今君を迎えにゆこう


中学の頃、好きだった男子がいた。
きっと初恋だった。
運動はあまりできなかったけど、とても頭が良くて、
イケメンじゃなかったけど、話にセンスのある子だった。
中学を卒業する時にプレゼントをして
私が密かに好意を寄せていた事だけは伝えた。


当時仲の良かったグループで、
必ずまた会おうと約束した。
彼は医者になりたいという夢を持っていて
「目指す大学に受かるまでは僕はひたすら勉学に励む」
と、宣言。
じゃあ、次回全員で集まれるのはその朗報の後だね、
みんなでそう言って笑った。


一浪したものの、彼は念願の大学に入学したらしいと、
風の噂で耳にしていた。
その年の夏、私は大学2年生。
朝寝坊しパンをかじりながら身支度をしていた。
テレビでは水の事故を報じている。
夏休みに入ったばかりなのに。
バイトが終わり帰宅すると同時に電話のベルが鳴った。
懐かしい声。

「そろそろ来ると思ってた。クラス会のお知らせ?」

「・・・ニュース見てない?
 彼、事故で亡くなったの。
 湘南の海だったらしいよ。
 詳しい事は、追って連絡するから・・・」

今朝のニュース。
そういえば医学部1年生って言ってた。
同姓同名だった。
まさか本人だったなんて。

嘘でしょ? 信じられるはずがない。

そんな気持ちとは裏腹に、
事は粛々と進んでいく。
着なれない喪服に袖を通し、準備をする。
30分で行けるけど早めに出よう。
1時間見れば十分かな。

「大丈夫? 無理しないで。
 何かあったら電話しなさい」と母が言った。

あれ以来、何も食べていなかったらしい。
バス停まで歩く道、
いつもなら10分あれば十分なのに
歩いても歩いても着かない。
夢の中にいるようだった。
景色から色が抜けていく。
バスも全然来ない。
やっと乗ったと思ったら、
今度はのろのろ運転。
しかも降りるべきバス停の
2つ手前でなぜか下車してしまった。
気分も悪い。
しばらくベンチで休んで行こう。

腰かけると、楽しかったことが
次から次へと思い出される。
「しおらしい」という言葉を知ったのも
彼に言われたからだった。
「俺、南海の野村好きだぜ。だってさ・・・」
だから私も野村が好きになった。

「バス、乗らないんですか?大丈夫ですか?」
見知らぬ人の声で、ハッと我に返った。
いくつもバスを見送っていたらしい。
すでに周りは真っ暗、時計を見ると、
とっくに時間が過ぎている。
あわてて現場に向かうも、時すでに遅し。
公衆電話を探し母に連絡する。

「どうしたの、連絡が取れなくなって
 みんなで心配してたのよ。
 そう・・・。
 もしかしたら、彼は自分の最後の姿を
 あなたに見せたくなかったのかもしれないわね。
 いいじゃない、あなたも彼の気持ちをくんで、
 心の中でそっとさよならしたら」

はじめて自分が泣いていることに気が付いた。

おかげで、私の中の彼は中学生のままで、
不思議と湿ったイメージは微塵もない。

あの日、現実を目の当たりにしなかったからでしょうか。
それはもしかしたら本当に
彼からのプレゼントだったのかもしれない、
と今になって思う。

生きていたら、間違いなく
すてきなお医者さんになっていただろう彼からの。

この曲を聞くと当時の事を思い出します。
とりわけ財津さんの優しく暖かい声が心にしみます。

(みんな元気)

泣かされちゃいました。
ペンネームも、いいですね。
みんな元気。
彼にそう伝えたい言葉のようでもあるし、
当時の仲間に問いかけているようでもあるし。

実らなかった恋も、
気持ちが届かなかった相手も、
そして、こんなふうに
いつのまにか消えてしまった仲間も、
あんなに流した涙も、
ぜーんぶ、生きていく自分の糧になっている、
そんな気がします。
ぼくは、ともだちの命日が
めぐり来るたびに、
せつないような甘いような、
やさしい気持ちになる自分に気づきます。

記憶のなかで、
学生服のままの友だちが、ふたりいます。
ひとりは、自分も学生服のときにお別れしたので
そのころの思い出にすっかり馴染んでいるのですが。
もうひとりは、ずいぶん大人になってから
その知らせを聞きました。

そういうことだと知ったとき、
びっくりしました。
鈍い悲しみがありました。
距離がうまくつかめないんですよね、
すっかり年をとってる自分と、
学生服の友だちと。

どれだけ大切な関係だと思っていても、
物理的な距離のぶんだけ
知らせは遅れる。
時間的な隔たりがあればなおのこと。

でも、すべての大切なひとと、
ずっと近くにいて
しょっちゅう会うわけにはいきませんものね。

だから、きっと、これからも、
そういう可能性があるのだと思う。
それはもう、生きているうえで
しかたのないことなのでしょう。

大切な思い出を投稿していただき、
どうもありがとうございました。

やはりぼくも
二度と会えなくなった友人を思い出しました。
そのしらせを聞いたとき、
距離と時間の感覚が
ぽーんと失われたようになりました。
その人の笑顔しか、
笑い声しか思い出せませんでした。

(みんな元気)さんが、
ひとつひとつ大事にていねいに
積み重ねてくださった文章。
それはお気持ちそのままのものですね。
悲しいお話です。
でもあえて、すてきですと言わせてください。

それにしても、お母さんの存在。
(みんな元気)さんにかけた、そのひとこと‥‥。
あの‥‥
もちろんぼくは見ず知らずの者ですが、
その‥‥
お母さん、ありがとうございました。

訃報を知るときの、その電話。
もう、高齢だったのですが、
今年の3月、私もそれを受けました。
吉本隆明さんでした。

深夜で、わたしは自宅の窓辺で、
たまたまiPhoneのゲームをしていました。
着信があってすぐに電話に出たので
「徹夜してたのかい?」
と、知らせてくれた相手に言われました。

その言葉からはじまって、
ひと言ひと言がスローモーションのようでした。
電話を切って、そのあと何度携帯を操作しても
糸井重里にうまく連絡ができず、
もどかしく思ったことも憶えています。
まさに、夢の中にいるようでした。

若いころに友人をなくしたときは
「ぽっかり穴が開いたような喪失感」に
襲われましたが、
最近は、人が亡くなると
その人が自分に入る感覚になります。
だから、あまりさみしくない。
会えないのは悲しくて嫌だけど。

長い一本道、
ずっと続くかと思っていたのに、
彼の道はとつぜん終わってしまった。
できることなら、ずっと続く道を、
すてきなお医者さんになっていただろう彼を
見届けたかったですよね。

大切な友達については、心からそう思います。
ただ、見届けたい。
だから元気で、と。

恋歌くちずさみ委員会の
読者のみなさまも、どうぞお元気で。
明日も、恋歌、ありますよ!

 

2012-05-05-SAT

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