北陸にもこんな晴れの日はあるんです。
外に出て車に乗り、若宮古墳へ向かいました。

【おしらせ】
「ひとり古墳部」は7/31(水)~8/6(火)で
大阪に出張します。
「生活のたのしみ展」も開催されたことがある
阪急うめだ本店の10階ですよ。




 
あの山は...
車を降りると、
路の先には現代のお墓とこんもりとした山が。

古き墓 新しき墓 秋小浜

俳句。
 

どうも、ミミケンです。
スソさんのカバンのなかから
いつも解説めいたことを叫ぶ
土人形としてこちらにおります。

さて、スソさん、それは‥‥。
突然の俳句でしょうか。
では、小生も。

土塊に アイホンの角 ひんやりと。

さて、次にいきましょう。





 
手前の東屋に
おっ、これは前方後円墳のテーブル!
丸椅子は倍塚か?!

あっ、だんご!
(古墳部の部員)
おやつはまだ早いよー

まず古墳を見なきゃ!

天敵!
 

やや! だんご!
これはいけません!
ミミケンをもてあそぶ動物!
スソさん、きをつけて!

ところで。「倍塚」とは。
大型の古墳のまわりに
計画的に築造されたとみなされる
小型の古墳のことをいいます。
たとえば大きい古墳が長(おさ)のもので、
まわりの陪塚が親族や臣下のものだった、
なんていう考え方もあるようですよ。









 
ふむふむ

古墳の解説パネルや地図があります。

富山湾にかけて
丘陵のへりに古墳や遺跡が並んでいるのが
よくわかります。

あ! かまきりだ!

カマキリは敵の数にはいりません。
 

ミミケンはカマキリよりは強いです。
なぜならば、ミミケンは土塊ですが
焼けてもいるので、
カマキリの斧ぶぶんよりは硬いし、
カマキリのちからでは動かないほどには
重さがあります。





 
え? のどかわいた?
なんと
朝顔形埴輪で
水が飲めるようになっていますよ。

だんご‥‥。
 

やだなあ、だんご。
スソさん、絶対にカバンから
ミミケンを出さないでください。



 
さあて
芝生がきれいに刈り取られていて
すっきりしていますね。

中学生の丸坊主の頭みたい!

奥が後円部、手前が前方部なんです。
ちょっと逆に見えますが...

前方後円墳
 

ミミケンは、前方後円墳の前は
丸いほうだとおもっていました。
ちゃんと前方後円墳という名前なのに。
図形的に角ばってるほうが前って
考えにくくないですか?
前方円後方墳がいいです。



 
古墳の上へ
北北西に後円部があります。

その方角には日本海。
右斜め前方は富山湾。

この樹木がなかったら、
海が見えたことでしょう。

ごろごろしたい。
 

お墓なので不謹慎なことではありますが、
このような芝生をみると、
「アハハハ アハハハ」
などと笑いながら、
斜面を転がってみたくなりますね。

ああ、それにしても
気分のいい場所です。





 
パノラマで
東側は
古墳に沿うように現代のお墓があり
遠くに北アルプスの山々を眺めている風。

雪山は空に浮かんでいるようで
とっても美しい!

亡き人々も清々しい
この風景を楽しんでいるのでしょう。

現代のお墓も。
 

なんと、なんと。
古代のお墓のおとなりには
現代のお墓が。
結構迫って建てられていますね。

時代を超えて
あの世でなかよくしてくれてますかな。











 
後円部
おや? だんご! 
何を探しているんですか?
あ~ここに埋葬部があったんですな!

後円部はこのくらいの高さ。

そして、前方部を見るとほっそりしています。




 
おさらい
この若宮古墳は、6世紀初頭に造られた
全長約50mの小さめな前方後円墳。

全国的にみると
大きな前方後円墳は、
4世紀の後半から5世紀に
造られていました。

なので、6世紀には
畿内ではもう前方後円墳が
造られなくなるんですが、
関東や北陸では造られたりして
この古墳もその中の一つなんだそうです。

副葬品からも、
有力者のお墓とみてよさそうー。
ということ。


 
大きさの比較
後円部に立っているところを
撮ってもらいました。

古墳の横からのシルエットもよくわかりますね。

次回。
 

さて次回は少し北の桜町遺跡へ。
前回見たコゴミちゃんがいたところですよ。
お楽しみに!


2019-07-10-WED
 
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