経営にとってデザインとは何か。宮城県・女川町 篇
経営にとってデザインとは何か。
宮城県・女川町 篇
第3部須田善明さん(女川町長)篇
第2回
口説ける水辺のある町。
──
町長さんというお仕事をしていると、
女川の町をどんなふうにしていこうかって、
常に考えていると思いますが、
いったん何もなくなってしまったところに、
ゼロから設計し直すというのは‥‥。
須田
参考にできる前例は、ないです。ほとんど。
山田
それこそ、戦後の日本の経験とか。
須田
規模こそ違いますが、
ブラジリアやメキシコシティーなどの
人工的な都市を建設したとか、
もう、そういうレベルの話ですからね。

それは、被災地ならどこも同じですけれど。
──
では、前へ前へと走りながら、
そのつど、軌道修正したりなんかして。
須田
これからの女川をどうするか、
デザインとか設計という観点から言えば、
自分としては、
大きく2つのコンセプトがありました。
──
それは?
須田
1つめは、まずは、
観光施設、商業施設などの「ハコモノ」でも、
食べ物や土産など名産品でもいいんですけど、
コンテンツ単体で完結させない。

つまり、コンテンツは、
あくまで「きっかけ」にすぎないということ。
──
きっかけ。
須田
はい、そのコンテンツをきっかけにして、
町に人が集まることが重要なんです。

もっと言えば、
そのコンテンツを囲む空間のあり方のほうが、
よほど大切だ、ということです。
──
人々が暮らす空間としての町そのものと
観光施設や名産品などを、
しっかり結わえ付けるという感覚ですか?

ただ、ポイポイと闇雲に置くのではなく。
須田
何かに興味を持って女川に来てくれた人や、
ここに住んで、ここで活動する人が、
いかに、この町を、
好きなように自由に楽しむことができるか。

そのことが
まちづくりのキモだと思っているんです。
──
好きなように、自由に。
須田
というのも、私、十数年前に、
下関の唐戸市場を訪れたことがありまして。
──
ええ、あの、ふぐで有名な。
須田
そこには、市場を中心として
水族館があり、ショッピングモールがあり、
あっちには広場があって、
こっちから関門海峡を見渡すことができて、
視界の中では、つねに船が動いている。

そういった風景のなかで、
新鮮なお寿司をたらふく食べたりだとか、
魚を買ったりだとかしているのですが、
それぞれのコンテンツが
緑地空間でつながる構造になっていて、
訪れた人が自由に過ごせる、
好きなように楽しめる空間だったんです。
──
そこに人が集まるきっかけは
たしかに「唐戸市場」ではあるけれども、
あくまで「ひとつのきっかけ」だと。
須田
女川には運動公園があって、
年間20万人以上が利用していたんです。

でも、町外から大会などでいらした人も、
公園でスポーツをして、
いい汗かいて気持ちいいねーって言って、
町で買い物をすることもなく、
そのまま国道を通って帰るだけ、でした。
──
阿部さんも同じことを言ってましたし、
その問題意識は、
みなさん、持ってらっしゃるんですね。
須田
せっかく女川に来てくれた人たちを、
いかに、町の内部へ誘導していくか。

そのためにも、
イベントなどのコンテンツ単体でなく、
回遊性の高い町にしよう、と。
──
それで「コンテンツはきっかけ」であり、
構造的、デザイン的に
お客さんが回遊できる町にしたい‥‥と。
須田
外からお客さんを呼べるコンテンツは
もちろん大切なんですが、
そのコンテンツを切り取った後の空間、
あるいは
そのコンテンツを包含した空間全体を、
魅力的にしていきたいんです。

それが、まずひとつ。
──
もうひとつは?
須田
海を生活空間にしたい‥‥ということ。
──
女川は、もう目の前が海ですけど、
これまで生活空間‥‥では、なかった?
須田
もちろん港町ですから、
海はわれわれの財産ですと言ってますが、
日常の暮らしの中で、
本当に海が生活の一部だったかというと、
それは、ちょっとちがうんです。

つまり、女川を含め我が国の海や海辺って、
圧倒的に「漁港、港湾」なんですよ。
ようするに「仕事場」なんです。
──
あ、なるほど。
須田
たとえば、おじいちゃんが
海辺のベンチに座って本を読んでいたり、
その横を
若い人がジョギングしていたり、
犬の散歩をしていたり。

そういう姿自体が、風景の一部になる。
そんな町になってはじめて、
海が「生活空間」になると思うんです。
──
聞いたところによると、
海辺に公園ができる計画だそうですね。
須田
誰かが言ったと思うけど、
「口説ける水辺のある町」という‥‥。
──
口説ける?
須田
あれ、まだ出てきてない?
山田
まだ、出てないですね。
須田
あ、そうですか。これはですね、
まちづくりワークショップを重ねるなかで、
震災からの復興を通じて、
「どんな町にしたいか」と考えていたとき、
津波ですべて流された人々自身が
議論し続けて、出した結論なんです。

「口説ける水辺のある町」にしたい、って。
──
すごく素敵なキャッチフレーズですが、
それを聞いたとき、どう思いましたか?
須田
もう、まさしくそのとおりですね、と。

ずっと議論を重ねて、
考えや発想を同じくしておりますから、
行きつく結論も同じなんです。
──
でも、そうか、つまり、
口説ける水辺は、単なる仕事場じゃない。
須田
そうです。
みんなが、自由に楽しむことのできる海。
高校生カップルが
手をつないでデートしたくなるような浜。

そういう風景が、なんら違和感なく、
当たり前になるような町にしたいんです。
──
海の人たちの仕事場で
高校生カップルが手をつないでいたら、
変に目立っちゃいそう。
須田
そうですね、「どこから来たんだべ」とか(笑)、
「どこの家の息子さんと娘さんだべ」とか(笑)。
山田
小さい町なので、すぐにウワサが(笑)。
──
でも、口説ける水辺なら、違和感がない。

先ほど、チラっとお話に出てきましたが、
まちづくりワーキンググループ、
という集まりも設置されていたんですね。
須田
一般の、町のみなさんも、
まちづくりに関わりたいんじゃないかと
思ったのが動機です。

自分自身がそうで、
女川のまちづくりに直接関わりたいというのが、
町長をやっている理由のひとつでもあるので。
──
なるほど。
須田
イメージとしては、
「100人に1人」は直接的に立案プロセスに
参画するような復興にしたいなと。
──
100人に1人‥‥って、すごいですね。
コンパクトな町ならでは、というか。
須田
各団体から推薦いただいた方に加えて、
公募のエントリーだけで
何十人も集まってくださったんですが、
そのなかに、
30歳をすこし越えたくらいの、
男性5人組が、いらっしゃったんです。
──
ええ。
須田
うまい表現が見当たらないのですが、
何でしょう、
ちょっとだけワイルドなテイストの‥‥。
──
「いわゆる」な言葉を使えば、
「地方のマイルドヤンキー」的な?
須田
ええ、まあ‥‥そうですね。

言ってみれば、
そんな5人組がエントリーしてくれて、
私は、非常に嬉しかったんですが‥‥。
──
はい。
須田
でも、ワーキンググループの概要を見て、
やっぱり
自分たちの出る幕じゃないから辞退するという
連絡が入ったと、担当から言われまして。

なんでも、まず自分たち5人で議論して、
その結論なり成果なりを、
発表するんだと思っていたようなんです。
──
ワーキンググループですから、
実際は、他の参加者と話すわけですよね。
須田
私は、ぜひ参加してもらいたかったから、
直接、彼らに電話したんです。

いや、俺、エントリーしてもらったこと、
すげえ嬉しかったんだけど、と。
──
ええ、ええ。
須田
そしたら、彼らは
「今までの女川は、長老支配じゃないけど、
そういう雰囲気もあったから、
俺らみたいに
何だよって思ってる若い奴らもいるんだ」

「津波のあとに描かれた町の絵を見て、
マリーナみたいなのもあったし、
なんだか、
おもしろくなりそうだから応募したけど、
でも、全員で話すんなら、また同じだろ」
‥‥って。
──
どう、お答えになったんですか。
須田
だからこそ入ってほしいんだと伝えました。

これまでのまちづくりの場にはいなかった、
あなたたちのような人に、
ぜひ入ってほしい、力を貸してほしいって。
そうやって、入っていただいたんです。
──
ワーキンググループの場面では、
たとえば、どういう話が出てくるんですか。
須田
個々の意見はさまざまなんですが、
大きくは「どう、おもしろくするか」です。
ほとんど、それだけと言っていい。

どうやって、この町を魅力的にしていくか、
どうやって、女川をおもしろくしていくか。
──
開催は、どれくらいの頻度で?
須田
1ヵ月にいっぺん以上、2年にわたって。

参加してくださったみなさんには
かなりのご負担を強いたと思うのですが、
そこで出てきた意見は、
これからはじまるプロジェクトのなかに、
しっかり生かされています。
──
他の自治体、とくに大都市とくらべると、
女川の町って、
行政と町の人の距離感が近くて、
行政抜きで仮設商店街をつくったり、
民間の側が、
かなり自由にやっている印象があります。

そのあたりは、どう思われていますか?
須田
私も、首長である以前に、一町民です。

そして、行政と民とで立場は異なりますが
この町で暮らして、
この町で生活の糧を得ている点では、同じ。
──
ええ。
須田
つまり、目指すところは一緒ですから、
新しい女川をつくるために、
各々が、責任なり役割を負っているという、
そういうことだと思っています。
──
なるほど。
須田
今後の復興の道筋によっては、
昔の‥‥つまり震災前の女川らしくないと、
そういう意見も出るかもしれません。

でも、それは当たり前ですよね。
いったん、ああいう状態になったんだから。
──
はい。
須田
人工的にデザインされた町だと、
そう言われたらば、そのとおりでしょう。

でも、その人工的なデザインの上に、
色をつけていけるのは、
女川に住む私たち以外にはいないんです。
──
そうですね。
須田
だから今、この町に住んでいる私たちが、
この町を、これからもう一度、
女川らしくしていくんだと思っています。
(つづきます)
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2016-11-16-WED