もくじ
第1回結びの始まり 2019-03-19-Tue
第2回薬玉の結び方 2019-03-19-Tue
第3回結びの図 2019-03-19-Tue
第4回結ばない国はない 2019-03-19-Tue
第5回結びのススメ 2019-03-19-Tue

うどん県からやってきた一児の母です。
都会の生活にはまだ慣れません。
娘とのお絵かきの時間が唯一の癒しです。

結びの世界

結びの世界

担当・まつ

第2回 薬玉の結び方

ーー
そもそも薬玉ってどういうものなんでしょうか。
関根
平安時代、菖蒲の節句というのは、
今のような男の子の節句ではなくて、
薬玉を肘にかけたり、御簾にかけたりして
邪気を払うという行事だったんです。
 
五月五日っていうのは今でいうと、
六月の梅雨の時期ですね。
一番ジメジメして、
特に京都のような都会は疫病が発生して
災厄が多い時期なんです。
五月は悪月って中国の歳時記にも
書かれているくらいなので、
そういう邪気を払う行事は
すごく大切にされてたんですね。
 
薬玉の中央にお香を入れた錦の袋を添えて御簾に飾る
というのが本来の形です。
ーー
どうしてその薬玉を結びで作ろうと思われたんでしょうか。
関根
薬玉のこういう絵があるんです。
これは額田巖先生という方が書いた『日本の結び』
という本の裏表紙なんですけど。
実はこの方、今でいうNECの社員なんですよ。
ーー
え、そうなんですか。


(額田巖氏著『日本の結び』講談社)

関根
はい。入社当時、電線の配線、接続のお仕事を
されていたんですが、「束線」という電線の束を見て、
それがとても印象に残ったそうです。
それをきっかけに結びについて興味を持って、
結局50年以上結びについて研究された方です。
 
で、この絵の元になるもののコピーを
西村先生が持ってらしたんですけど、
とにかく綺麗だなと思ったんです。
それで、先生にこれを結びでやりたいって
お願いしたんですが、
自分ではどうしていいか分からなかったんですね。
 
そしたら奇遇にも先生が、
「いや、実はこれを結んで欲しいという方がいて
依頼されたんやけど、どうしても時間がなくて
まだここまでしかできてへんねん」
と言われたんです。
それで先生の指導を受けながら
薬玉を作ることになりました。
ーー
関根先生の作られた薬玉は
どんな風にできているんでしょうか。
関根
一番上のあわび結びはその絵にも出ているんですが、
結びの紐が薬玉の下までずっと繋がっています。
  
薬玉の後ろには真ん中に一本の木があって、
そこに何本かの木を渡して、木枠を作っています。
その木枠に、本来は、本物のサツキの花を
挿していくんですが、結びで作った薬玉は、
花一つが1メートル20センチぐらいの紐でできています。
ーー
花一つでそんな長さなんですか。
関根
はい。木枠に紅白で12枚ずつ花がついているんですけど
花びらは「亀結び」と「らせん梅結び」を
合体したものです。
最初に4つの花びらを結んでおいて、
後で連結して最後に5弁の花にするというのを
西村先生が考えたんです。
ーー
すごいですね。
関根
私ではとても思いつかなかったと思います。
それから周りの蕾もそうですね。
実はこの蕾の後ろのところって
上の結びと同じあわび結びなんですよ。
ーー
ちょっと違って見えますが。
関根
あわび結びってちょっと締めると立体的になるんです。
そうやって丸くしたあわび結びの中に、巻き結びを入れて
蕾にしてるんです。


(写真:大友洋祐氏)

ーー
どれもすごい技術だと思いますが、
一番大変だったのはどんなところでしょうか。
関根
花の下から出ている丸い葉っぱの結び方は
西村先生に教えていただいたんですが、
真ん中の長い菖蒲の葉っぱを
どうやって結んだらいいかがわからなかったんです。
 
でもちょうどその時期、父が入院していて
どうしても西村先生の所に通えなかったんですね。
どうしようと思っていたら、
何十年も東京で結びをされている先生の本を
下関でたまたま見つけて、
その中から探して、ここだけ考えて、
あと木枠に結びつける方法もなんだか四苦八苦して考えて、
やっと完成したっていう作品です。
ーー
試行錯誤の末に完成した作品なんですね。
関根
これは私の作品の中でもちょっと変わっていて、
一つ一つをモチーフとして作ってそれを合体させていく
というものは他ではあまりやってないです。
ーー
花一つ結ぶだけでも大変な作業だと思うんですが、
お時間のある時にずっと結ばれていたんですか。
関根
そうですね。
この作品はなんとなく、ひたすら結んでいた記憶があります。
行ったり来たりですけど、何があるかわからないので、
新幹線の中でも結んでいたりとか。
ーー
どうしてそんなに夢中になれたんでしょうか。
関根
大好きな仕事を辞めてしまった時に、
趣味的にやっていた結びに
何か惹かれるものがあったんでしょうね。
その頃はいろんな本を読めば読むほど面白くて、
結びをしながら結び関連の本をたくさん読んでいました。
 
2002年に父のところに通い始めて、
先生のところには2004年から通っていたんですけど、
2006年、2007年と初めて東京で作品展をしたんですね。
 
その後、2009年に下関の毛利邸っていう質素な大名屋敷で
友人の書の作家さんと一緒に、
重陽の節句と七夕の展示をやったんです。
父はその年の暮れに亡くなるんですが、
重陽の節句のときは、邪魔しちゃいけないって
頑張ってくれまして、
おかげで無事に終わりました。
ーー
そうだったんですか。
関根
はい。それで、父が亡くなった帰りに京都に寄って、
「まあ大変だったわね。
でもこれから一緒に頑張ってやっていきましょう。」
っていう話をした2週間後に、
西村先生が脳溢血で倒れたんです。
 
全然右手が動かなくなってしまって、
それでも左手だけで結んでましたけど、
6年後にガンが見つかって、
それで先生は亡くなったんです。
でも亡くなるまでの間も、何度か伺って
結びのお話をすることができました。
 
先生はこの薬玉を完成させられなかったんですけど、
形にしてくれてありがとうって
よく言ってくださいました。
その言葉にとても励まされました。
 
そんな風に7年間結びばかりやっていたので、
父が亡くなった後も、
このまま結びでずっとやっていこうかなと。
基礎が長かったのがかえって良かったのかなと思います。
 
(つづきます)
第3回 結びの図