東京にいる時間は、すぐに過ぎていきます。
毎年7月1日がくると、
「今日で東京に来て何年だなぁ」と思い返します。
去年は東京に来て10年。
気づいたら仙台にいた時間の倍以上、東京にいました。
最初に働いていた代々木オフィスは、
東京に来て2年目のときに閉鎖になり、
今は別の会社で働いています。
最初に住んだ阿佐ヶ谷の家は引っ越し、
西荻窪を経て、
今の住まいは三鷹にあります。
中央線が「嫌い」だったのに
中央線で引っ越しを重ねています。
10年間のうちに、
気づいたら中央線が「好き」になっていました。
今回エッセイを書くにあたり、
「好き」の気持ちを振り返ってみたら、
「中央線と『友達』になった」
という気持ちが近いかなと思います。
どうして気持ちが変化したのでしょうか。
だんだん仕事に慣れてくると、
週末に外出する余裕ができてきて、
毎週末は中央線のどこかの街を散歩。
その街のお店で、
ご飯を食べたりコーヒーを飲んだりしていました。
そういうことを毎週繰り返していると、
同じ中央線でも、
街によって雰囲気がガラリと違う、と
わかるようになります。
街がまるで、個性を持った「人」のように
感じられるようになりました。
たとえば阿佐ヶ谷は、初めて住んだ街ということもあるので、
同年代の「女友だち」。
西荻窪は、個人経営の美味しい和食のお店や、
遅くまで営業している古本屋がたくさん。
自分の知らない世界を見せてくれる、
「先輩」のような存在。
その街のことを
少しずつ知っていく=好きになっていくと、
なんだかその街と「友だち」になれたような気持ちになり。
その街に遊びに行くときは、
まるで街に「会いに行く」ような感覚になっていきました。
そして、中央線沿線で、
会いたい友だちもできました。
中央線の好きなお店で、友だちとお酒を飲みながら、
最近の仕事や美味しかったお店について話すのは
とびきり幸せな時間です。
10年前のわたしは
東京で友だちを作れると思っていなかったので、
なんだか奇跡みたいだと感じます。

上京前に持っていた、
「きらびやかで、何もかもが手に入る」という東京のイメージ。
いまこうして振り返って、
「何もかもが手に入る」にはほど遠いけれど、
10年間で「中央線」という好きな場所や、
会いたい友だちができたのは
自分にとって大切な財産です。
これからもし中央線を離れることがあっても、
中央線を好きな気持ちや過ごした時間は
ずっと心の引き出しの中にあるんだと思います。
そして、別の街に住んだとしても、
その街とも「友だち」になれたらいいな、と思っています。
(おしまいです。最後まで読んでいただきありがとうございました。)