もくじ
第1回世界を見る、あたらしい目。 2019-02-26-Tue
第2回真剣ポートレートのたのしさ 2019-02-26-Tue
第3回誰かのチカラになれる写真 2019-02-26-Tue
第4回しあわせなオマケ 2019-02-26-Tue

「文章を書くこと」と「写真を撮ること」が好きです。コピーライターをしています。6月6日生まれのふたご座です。

わたしの好きなもの</br>ひとの写真を撮ること

わたしの好きなもの
ひとの写真を撮ること

担当・栗田真希

カシャッ。
カメラのシャッターボタンを押すと、
またたく間に写真が生まれます。
いまでは当たり前のことだけど、
人類のすばらしい発明のひとつだと思っています。

わたしは写真を撮るのがだいすき。
誰かの写真を撮る。
これを「ポートレート写真」と呼びます。
わたしは風景や食べものを撮るよりも、
このポートレートがだいすきなんです。

友だちや家族をスマートフォンのカメラで
撮るかたも多いと思います。
すごくきれいに映るので、
ついつい撮ってしまうのではないでしょうか。

今回は、
「どうしてこんなにポートレートがすきなんだろう?」
ということを、じぶんの内側に潜って、
一つひとつ確かめてみました。

カメラのむずかしい話や、機材の話はしません。
うまいとかヘタとか、そういう話も一切しないです。
だから、じぶんで撮ったポートレート写真も載せません。
ただ「すきだなあ」と思うところを、
とことん書いていきます。

第1回 世界を見る、あたらしい目。

まず、写真がすき。

大学の先生にはじめてカメラを借りたとき、
写真の魔法に興奮し、恍惚としたことを覚えてる。
シャッターを切ると、
目の前の世界がピタッと立ち止まって、
カメラに吸い込まれていくかのようなんだもの。
むかしのひとが「写真に魂をとられる!」と信じていた
というのもうなずける。

わたしが写真と出会った大学生のころ、
まだスマートフォンがあまり普及していなくて、
カメラの希少価値がいまより高かった。
フィルムカメラよりデジタルカメラがメジャーになり、
ミラーレスというコンパクトな一眼レフカメラが
発売されはじめた時期だった。

だから「写真を撮る」ことがすごく非日常で。
シャッターを切るだけで、
大げさでもなんでもなく、鳥肌が立ったのを覚えてる。

カメラをさわった日から、
もう夢中になって写真のことを考えた。

カメラを借りるだけじゃ満足できない。
もっと、写真を撮ってみたい。
そのためにじぶんのカメラがほしい。
とは思うものの、どんなカメラを買ったらいいんだろう?
家電量販店に行ってみたけど、
いっぱいあってわからなかった。

ちょっと、勉強してみよう!
わたしは家電量販店でカメラを販売する
アルバイトをはじめた。
右も左もわからない大学生が、
ベテランの大人の販売員さんたちに囲まれて、
人に揉まれながらカメラに詳しくなっていく。

知識とバイト代がある程度溜まってきてから、
まわりのカメラ販売員さんにも相談して、
念願のじぶんのカメラを買った。
それからは、ところかまわず、とにかく写真を撮る日々。

道端の花。
優雅な野良猫。
木々の緑。
毎日歩く通学路。
電柱と空。

いつもカメラを持ち歩いていて、
友だちも無差別にわたしの撮影対象だった。
ちょっと謝りたいくらい、撮りまくっていた。

ちょっとむかしのことを語ってしまったなあ。
とにかく、たくさん撮っていくなかで、
気づくとわたしは、不思議なチカラを手に入れていた。

それは、世界を見るための、あたらしい目。

きっかけは突然だった。
ある日、いつものようにカメラを首から下げて
家から駅までの道を歩いていると、
パァっと視界が変わったのだ。

「光がいっぱい! 色があざやか! いつもの道なのに!」

まるで世界が変わったんじゃないかと思うくらい、
視界に広がる景色がぐんとうつくしさを増す。
たとえるなら、万華鏡をのぞいて
ほんのすこし筒を傾けただけなのに、
一気に見えるもの全体がガラリと変わるような、
些細ですごく大きな変化だった。

「わたしたちは、
 光のなかを旅するように生きているんだ」

ふと、そうこころに浮かび上がってきた。

からだに満ちる、不思議な幸福感。
きらきらと光る道を、ふわふわと軽いからだで歩く。
生きている実感がみなぎるようなひととき。
どこか神聖な気持ちが湧いてくる。
写真への興味は、
敬意や愛情みたいなものに変わっていった。

それから、いつもってわけじゃないけど、
カメラを持って歩くと、感覚が切り替わる瞬間がある。
スマートフォンのカメラを起動しただけでもそう。
こころにカメラを思い描くだけでもちがう。

世界はうつくしい。
雑草や、道端の空きカン、電柱の落書きでさえ、
なにもかも。

似たような感覚を知ってるひとが
いるんじゃないかなあ。

きっとカメラに限ったことじゃない。
これは、恋をしてるときに見える世界にも似てる。
すきなひとと手をつないで街を歩いているときの、
風と光、色彩の感じとか。
知り合いに、ガツンと人生が変わる強いことばを
言われたときにも、夕日の色が目に焼きつくように
あざやかに思えた。

世界の見え方が変わると、写真の捉え方も変わる。

切り取った写真は、ちいさな宇宙なんだ、
と感じるようにもなった。
うまく言えないけど、
ほかのすべての世界を切り捨てて選んだ四角のなかは、
きらきらと輝いたまま、近いような遠いような、
現実なんだけどもう現実じゃない、
永遠のちいさな宇宙になる。

そんなふうにカメラ越しに世界を見ていると、
「ひとのうつくしさ」は、
ひときわ輝いて感じられた。

(つづきます)

第2回 真剣ポートレートのたのしさ