もくじ
第1回早く結婚して、苗字を変えたい。 2017-12-05-Tue
第2回“同士”になった苗字 2017-12-05-Tue
第3回私と苗字の今 2017-12-05-Tue

東京の下町で楽しく暮らしています。カントリーマアムと本屋が好きです。

嫌いだった苗字のこと

嫌いだった苗字のこと

担当・べっくや ちひろ

「珍しいお名前ですね」

人生で一番多く言われた言葉は、おそらくこれです。

自分で選んだわけではないのですが、
ものすごく珍しい苗字のもとに生まれてしまいました。

全国で10人以下の珍名との付き合いも、
なんだかんだで30年。
いろいろありましたが、今は仲良くやってます。

第1回 早く結婚して、苗字を変えたい。

鼈宮谷。

べっくや。
わたしの苗字である。

初対面の人への自己紹介で名乗った瞬間、
相手は目を丸くする。
そして、その後の会話の流れは98%決まっている。

 

相手
失礼ですが‥‥どんな字を書くんですか?
こんな字です。(名刺やスマホの電話帳を見せる)
相手
はあー。失礼ですが、ご出身は?
出身は千葉ですが、苗字は石川県の地名由来なんですよ。
相手
じゃあ、石川県には鼈宮谷さんが多いんですか?
いえ、今は全国に10人もいないですね。
私の両親、私、妹。あとは伯父、伯母、いとこだけです
相手
え!? 絶対残さないといけない苗字ですねえ。
 

‥‥と、こんな感じだ。
ときどき「ハーフですか?」「皇室の方ですか?」など
変化球の質問が入る場合もあるが、
大体はこの流れの通りに進むとみて間違いない。

鼈宮谷暦、30年。
今でこそこんなやりとりは慣れっこだ。

だけど子どもの頃は、この苗字が大嫌いだった。
父親譲りの頑固な天然パーマと並んで、大嫌いだった。

今思うと、原因はほんのささいなことだ。

たとえば小学校で学年が上がるとき。
新しいクラスに、新しい担任の先生がやってくる。

先生は教室に入ってきて、ピンと背筋を伸ばし、
子どもたちの顔を見渡す。
「おはようございます」

怖い先生かなあ、優しい先生かなあ。
私たちも自然と背筋が伸びる。
そして、私の緊張はここから始まっている。

「じゃあ、出席をとりますね」

先生は名簿を開いて、席順に一人ずつ名前を呼んでいく。

「中村里子さん」
「はい」

「広瀬由美さん」
「はい」

どきどきどき。
先生の声が、ぱたっと止まる。

「‥‥えっと‥‥ごめんね、お名前なんて読むのかな?」

「‥‥べっくや、です」

私はこの瞬間が、心の底から嫌だった。
誰も気にしていないのに、注目を一身に浴びている気がして
この瞬間がとても、憂鬱だった。

先生という生き物は、予習復習を奨励するくせに、
子どもたちの名前は予習してこないのである。

もっとスムーズに名前を呼んでくれれば
いらぬ恥ずかしさを感じなくて済むのになあと、
生意気にも思ったことをよく覚えている。

他にも。
たとえば、書道で名前を書くとき。
ちょっとでも気を抜くと、「鼈」は真っ黒の塊と化す。

そこまでは上手く書けていたのに!
「鼈」さえなければ‥‥。
ものすごく悔しくなる。

それから、テストのとき。
私が名前を書いている間、みんな1問目を解き終わっている。
名前を書いてから一斉スタートにしてほしい。
不平等だ、と思ったものだ。

苗字のせいで、いろんな不利益を被っている気がしていた。
どれも本当にささいなことで、
死にたいほど思い悩むほどでもなく
「ああ、嫌だなあ」程度だったけれど、
狭い世界で生きる子どもが、自分の苗字を嫌いになるには
十分な要因だった。

生まれ持ったものなのに、なんだか上手に付き合えない。
私は、自分の苗字を“敵”のように感じていた。
 

「結婚すると苗字が変わるらしい」というのは、
女の子なら幼稚園生の頃から知っている。

早く結婚して、苗字を変えたい。
「田中」とか「佐藤」とか、
誰にでも普通に読んでもらえる名前になりたい。

当時好きだった男の子の苗字を、自分の名前と組み合わせて
にやにやしながら思っていた。

第2回 “同士”になった苗字