もくじ
第1回ぼくの人生、不安しかない。 2017-05-16-Tue
第2回サウンドクリエーターのK君 2017-05-16-Tue
第3回CMプランナーのN君 2017-05-16-Tue
第4回設計事務所代表のD君 2017-05-16-Tue
第5回放送作家のT君 2017-05-16-Tue
第6回コピーライターのM君 2017-05-16-Tue
第7回5人の取材を終えて 2017-05-16-Tue

自転車と山歩きが好きなコピーライターです。40歳を前にフリーになりました!どうしましょう。

39歳フリーランス1年生、不安に向き合う。

39歳フリーランス1年生、不安に向き合う。

担当・足立 遊

第3回 CMプランナーのN君

40歳・妻子あり
2001年 CM制作会社入社
2007年 広告代理店入社
2015年 独立
筆者との関係:同業の友人

ーもともとCMが好きだったの?

中学生の頃、カルビーの「ブラウンシュガー」っていう
コーンフレークのCM(1989年放映)があってさ。

「ママが出ていった家庭の朝」っていう設定で、
父親と中学生らしき娘が出てくるんだけど。

お父さんが朝ごはんを作っていて、
娘に「ごはんだよ」って言うんだけど、
娘は冷たく「いらない!」って言う。

で、お父さんが会社帰りに
スーパーでブラウンシュガーを見つけて、
「これだ!」って思ってそれを買って帰って、
次の日の朝、自信満々の表情で
娘に「ごはんだよ」って言うんだけど、
娘はまた、冷たく「いらない!」って言うんだよ。

最後に、すごくせつなそうなお父さんの顔が映って、
「そんなに甘くはありません。
カルビー ブラウンシュガー、甘さ抑えめで新発売」
っていうCMなんだけど、
なんだかすごく心を掴まれたんだよね。

CMって面白いなと思って調べてみると、
広告代理店というものがあって、
そこには早稲田大学からたくさん入っているらしいと。
「よし、まずは早稲田をめざそう」というところから、
俺の中学時代は始まったんだよね。

当時、家のビデオデッキにCM飛ばし機能があったんだけど、
その逆の「CMだけ録画」という機能もあって、
それでCMばっかり見ているような中学生だったから、
卒業文集にはハッキリと
「将来の夢、CMプランナー」って書いたんだよね。

なんとか早稲田に入ったところまでは良かったんだけど、
実際には、浪人して、留年して、代理店にも入れず、
なぜか制作会社に入るっていうね(笑)

ーそれでも、ちゃんとCMプランナーになったんだし、
 初志貫徹だよね。

それが、なってみたら超過酷!
もう15年以上前の話だと思って聞いて欲しいんだけど、
残業200時間?当たり前じゃないですか、みたいな。
残業って何ですか?みたいな。つねにいるから(笑)
どこからが「残」で、どこまでが「業」なのか分からない。
決して大げさではなく、事実、5徹とかしていたからね。
電車の中で異臭がすると思ったら、
「あ、俺か。」みたいな。

当時、制作会社のCMプランナーの役目って、
広告代理店のCMプランナーのサポートだったのよ。
代理店がクライアントにプレゼンする前の段階で
ひたすらCMのアイデアを出し続けて、それでおしまい。
プレゼンにも行かないし、撮影にも行かないし、
「これ俺の企画じゃん!」というのを、
家でテレビを見て知る、みたいな。

とにかく、打ち合わせをひたすら回って、
朝9時に代理店A社で打ち合わせ、12時にB社、
16時にC社に行って、20時にもう一回B社に行き、
そのまま朝4時までB社にいて、
次の日の朝9時からB社で別の打ち合わせ。みたいな。
当時、B社の食堂で、昼、夜、朝、昼と、4食たべてたよ。

そんな生活を6年続けたね。

ー よく生きていたね…

さすがに、あまりにもつらかったのと、
自分の企画にオンエアで気付くような状況だったから、
どれだけ案を考えても
「自分の仕事」という実感が持てなくてさ。
やっぱり代理店に行って、
自分でクライアントにプレゼンしたい、
自分で自分の企画を売りたい、と思うようになって。

会社としても、俺が代理店に入れば仕事が増えるわけだし、
正式に転職活動を許可してくれて、
いくつか内定をもらった末に、
外資系の広告代理店に入ったんだよね。
それが、29歳のとき。
その前の年に結婚はしていたけど、子供はまだいなかった。

ー 外資系ってやっぱり働き方とかちがうの?

外資系だし、みんなスタバのカップとか持って出社して、
パワーランチして、定時に帰って、土日は優雅に休む、
みたいなイメージだったのに、
出社初日から帰宅したのが朝5時(笑)
めちゃくちゃ忙しいし、休みなんてねーよ、みたいな。

配属された部署が、クライアントを抱えながら、
新規で競合コンペを獲ってくるという特殊部隊で、
毎週、毎週、ひたすら競合プレゼン。
それで20連敗くらいしたんだけど、
それでも自分でプレゼンできる喜びがあったし、
ロスに2ヶ月滞在してハリウッド女優を撮影するみたいな、
楽しいこともいっぱいあった。

2年目になって少し仕事が落ち着いた頃、
とある家電メーカーから、ある商品の仕事が来たんだよ。
その商品は、ライバル商品に圧倒的な差をつけられて
負け続けている状況で、クライアントの担当者は、
「こんなにいい商品なのに、悔しくてたまらない」と。
年も近かったし、意気投合して、
「俺たちで絶対に巻き返そうぜ」みたいに熱くなって、
ああでもない、こうでもないって、一緒にいろいろ考えて、
自分もクリエイティブディレクター
(=CMプランナーやコピーライター、デザイナーの上に立って
広告のクリエイティブチームを監督する人。以下CD)
みたいな役割だったし、すごく面白かったんだよね。

その仕事を2年くらいやっていたんだけど、ある日いきなり、
クライアント上層部のつながりで、
ライバル商品をNo.1に育て上げた大物CDが抜擢されたんだよ。
敵チームの監督が、突然こっちの監督として引き抜かれた、
みたいな状況ですよ。結果的に、その人が総監督で、
俺が現場監督みたいな体制になったんだけど、
それがあんまり上手くいかなくて。

そのCDとクライアントの板挟みになっちゃって、
担当者との人間関係も上手くいかなくなったし、
最後のほうはいろいろなことがダメになっちゃって、
結局その担当者も会社を辞めちゃって。

1年半くらい頑張ったんだけど、心が悲鳴をあげちゃって。
ある日、会社に行けなくなっちゃったんだよね。
朝10時からそのCDと打ち合わせがあったんだけど、
9時半くらいに一緒に行く同僚に
「もうダメだ、今日はサボらせてくれ」って電話して、
そのまま心療内科に行って診断書を書いてもらって。
会社に、もう担当を外してくれって直訴した。
それが転職して4年目かな、2010年だったね。

・・・。

結果的にそのときの経験が、
フリーランスという道につながっていくんだけどね。

人間関係は、本当につらかったね。
広告代理店って、人の力、チームの力でしか
仕事ができないのに、それが機能しないんだったら、
別にひとりでもいいじゃんって思っちゃった。

ちょうどその頃から、クライアントや広告業界全体が
「WEB万歳」みたいになって、デジタルシフトをしていって、
CMの制作予算がガクンと減ったんだよね。
1本のCMを作るのに数千万円かけていたのに、
数百万円すら怪しくなってきた。そうなると
予算も最小限だし、ひとりでやる仕事が増えてきて
なんだこれ、ひとりでやっても一緒じゃん、みたいな。
CMの需要は減ってきていたけど、
動画コンテンツを作る仕事は増えそうだなと。
それが2014年くらいかな、2年くらい前。
いよいよ、独立しようかなと思い始めたんだよね。

ー それで、独立したのが2015年。

39歳のときだね。
会社でもひとりの仕事が増えてきて、
これを個人でやれば生計を立てられるかもと思ったし、
外資系の会社って、いつ日本を撤退するか分からない。
フリーになる不安はあったけど、
会社に居続けることの不安も大きかったからね。

さいわい嫁さんが安定的に稼いでくれていたから、
生活面での不安はそれほどなかった。

それよりもうちの嫁さんが心配していたのは、
代理店を辞めてフリーになったら、
また制作会社時代のような仕事に
逆戻りしちゃうんじゃないかってことだったね。
制作チームの監督として、
クライアントに直接プレゼンできるような、
CDの仕事がフリーで成り立つのかっていう部分は
疑問を持たれていた気はする。

ー そういう疑問とか不安は今の僕にもあるんだけど、
  実際のところどうなの?

実際は、映像を作れるCDってあまりいないみたいで、
昔仕事したクライアントや制作会社から
キャンペーン単位で仕事の依頼がきたり、
急に知らない人から電話かかってきたりして。
そういう意味では、ビジネスとしての需要はあると思う。

CD兼CMプランナーのような役割で、
俺が全企画を考えて、クライアントにプレゼンして、
撮影チームの統括もするみたいな仕事もしたし、
この形で実績を作っていけば
フリーランスCDのビジネスモデルとしては、
やっていける気もする。

でも、制作会社時代と同じような仕事もたくさんあるよ。
プレゼンに関わることもあるけど、
メールで企画案を送っておしまい、みたいなね。
現実的にはそういう仕事がいちばん多いし、
手離れも早いから、すぐ売上になるしね。

でも、つまらない仕事なんてないと思うんだよ。
ぜったいに面白くないことって、ないと思う。
商品の撮り方ひとつにしても小さな発見はあるし、
今日のお弁当なんスか?みたいなことでもさ、
撮影の現場仕事は楽しいからね。
そういう意味では、
仕事自体を嫌いになったことは1回もないよ。

広告ってクライアントが抱えている課題の解決策だから、
自分がやりたい表現とかもないしね。
自分は解決策を考えるビジネスマンだと思っているし、
クリエイターじゃないからね。
理不尽なこともたくさんあるけど、それも含めて
広告のクリエイティブの仕事だよね、と思っているから、
ましてフリーランスなんて受注してなんぼだし、
なんでもやります、というスタンスでやってるよ。

制作会社時代の師匠の言葉で、
「打席に立ち続けろ」というのがあって。
とにかく打席に立たなければいけない、
バットを振らなければ当たらない、
だから、まずは打席に立って、
バットを振る立場になるんだ、と。
その言葉は、いまだに座右の銘として持ってるね。

だから、断らない。
どんなに忙しくても、なにかしらやる。やろうとする。
それが次につながるから。人対人だから。
結局それでしかこのビジネスは成り立っていないし、
そこは未来永劫変わらないかなと。

ー この先のことって、どう考えてるの?

リタイヤがいつになるかは分からないけど、
嫁さんと、具体的な貯金の目標額を決めていて、
そのお金が貯まったら、引退したいと思ってる。
マンションを売って、どこかに移住したいなと。
会社にいれば、現場を離れても
別の部署に行けたりするんだろうけど、
フリーランスとして今のやり方で仕事していたら
60歳までも持たない気がするし、できるだけ早く稼ぎたい。

そう思っていた。先週までは…

ー 先週までは?

じつは先週、某代理店からお声がけいただきまして、
「CDとしてウチに入らないか?」と。
で、ちょっといいなと思っていて、
もしかしたら、そこに入るかもしれません(笑)

フリーを1年やってみて、
CD業務をやるなら、会社のほうがやりやすいと思った。
営業がいて、チームがあって、
そこで仕事を動かしていくなら、組織で仕事ができたほうが
いいんじゃないかな、と。

まだどうなるかは分からないけどね。

第4回 設計事務所代表のD君