もくじ
第1回キーワードは、正直さ。 2017-04-18-Tue
第2回人の心を動かすもの。 2017-04-18-Tue

毎日、3歳になる息子から「おはよう、へびつかい~」
「ごはんだよ、へびつかい~」といわれてます。
ぼくがへびつかいシルバーで、彼がてんびんゴールド。
おかげさまで、パパのときよりも、息子と心が通じ合ってます。

私の好きなもの</br>犬のしっぽ

私の好きなもの
犬のしっぽ

第2回 人の心を動かすもの。

コミュニケーションの技術や手段がうまくても、
言いたいことが相手に伝わるかどうかは、
実のところまったく別の話なのだ。
逆に言いたいことが言えなくても、
会場にいた80人近くの共感を得ることだってできる。

ほぼ日の塾で糸井さんに質問した彼女は、
大切な何かを教えてくれた。

言いたいことが100%スラスラ言えたとしても、
そこには大した価値はない。
まずは本気で伝えたいと思っていること、
そこに真剣さがあること、
そうした心構えの部分にこそ
コミュニケーションの核があると思った。
仕事で文章を書くことが多いぼくは、
それからこんなことを自問する日々が続けている。

「人の心に届く文章と、そうでない文章の違いとは」

ぼくには答えはわからない。
でも、そのヒントになるのは、
やっぱり「正直さ」なんじゃないかと思いはじめている。

と、話をここで「犬のしっぽ」に戻すとして、
ぼくが犬のしっぽを「いいなぁ」と感じてしまうのは、
それが「正直さの塊」のように思えるからだ。

犬には「本音と建前」というものが存在しない。
うれしいとき、怖いとき、不安なとき、
犬はいつも自分の心を素直にさらけ出す。
犬の世界には、本音しか存在しない。
しかし、人間の世界はそうではない。

人は顔で笑いながら心で泣くこともある。
ましてやいまの世の中では、
正直なままでいられる場面のほうが少ない。
それに慣れ過ぎていると、
自分に正直でいるだけで
苦痛を感じてしまうことだってある。

犬はなぜしっぽでコミュニケーションするかといえば、
自分の感情をあらわにすることで、
不用意な戦いを避けるためといわれている。
相手を恐れているときは「恐れている」と伝え、
歓迎しているときは「うれしい」と素直に伝え、
誤解を生むことを徹底的に避けている。
犬はそうした正直なコミュニケーションの道を選んだ。
しかし、人間は違う。
正直な表現は無用な軋轢を生むことから、
本音と建前を使い分けることを選んだのだ。

ぼくはときどき思う。人間に犬のしっぽがあったら、
どんな世の中になるだろうと。

好きな子に告白するというシーンは、
告白前に相手の反応がわかってしまう。
ビジネスのかけひきだって、
小手先の交渉はまったく意味をなさなくなる。
クリエイターなど、何か作品を提供する人は、
相手の気持ちが一瞬でわかるため、
傷つくことも多くなるかもしれない。

そんな世の中が良いか悪いかはわからないが、
これまでぼくが出会った魅力のある人々は、
大抵、彼らのうしろに「透明のしっぽ」が
見え隠れしているような人たちだ。

うれしさが全身からあふれ出る人、
自分の感情を隠し通せない人、
犬のしっぽぐらい感情が丸見えな人は、
なぜか魅力的に映ることが多い。
もしかしたら「透明のしっぽ」を見せるという
高度なコミュニケーション術なのかもしれないが、
それでも魅力ある人ほど「素直な人」が多いのは
偶然ではないような気がしてならない。

人と人のコミュニケーションは難しい。

アドラー心理学では、
人の悩みはすべて対人関係の悩みに行きつくと
言い切っている。
そんな対人関係を少しでも良くするには、
「相手の気持ちを理解しようとする」
ということだけではなく、
「自分の気持ちを素直に表現する」
ということが必要なのではと思う。
犬のしっぽはそうした
「理想のコミュニケーションの象徴」として、
ぼくの頭にこびりついたまま離れてくれないのだ。

ぼくがいま好きなもの、それは犬のしっぽだ。

しかし、それは自分の理想に近づくための
象徴的なものとして好きなのだと思う。
いま、ぼくの頭の中は
“正直なものは人の心を動かす”
というテーマに敏感になっている。
文章を書くことにしても、
何かものをつくるにしても、
人との真剣なコミュニケーションにも、
これからの生き方の心構えとしても、である。

ぼくが好きなもの、それは犬のしっぽ。

もう、ぼくの頭の中はしっぽのことでいっぱいだ。
気がついたら犬のしっぽから
「コミュニケーションの本質」を探ろうとしている。
そんなつまらないことを考える暇があるなら、
俺にエサをよこせという目で
ウディはぼくのほうをじっと見つめ続ける。
もちろん彼のしっぽはピクリとも動いていない。
その無言のプレッシャーは、
しっぽ以上の強力なコミュニケーション術だ。

ぼくが好きなもの、それは犬のしっぽ‥‥
ではない気もしてきた。(なんということだ!)

ここまで書いてみて思ったのは、
もしかしてぼくは犬のしっぽが好きなのではなく、
好きになろうと努力しているのかもしれない、
ということだ。

本当に好きなのは、犬のしっぽではなく
「心に正直でいること」、
「心に正直なものたち」なのだと思う。
犬のしっぽは、ぼくが失くした「正直さの欠片」なのだ。
人間にしっぽはないと思ったが、
すべての人間にしっぽはある。
ただし、それはおしりにではなく、
それぞれの心の中にある。

心のしっぽは人生の指針になってくれる。
人生を謳歌するには、
心のしっぽを無視してはいけない。

ぼくの心にはしっぽがある。

その存在を無視しない限り、
ぼくのしっぽは常に正しく、
ぼくに生きる活力を与えてくれる。

(おわります。読んでいただきありがとうございました。)