もくじ
第1回私としぐれ揚の出会い 2016-11-08-Tue
第2回おいしさは社長のひとがら 2016-11-08-Tue

放送作家です。
ラジオとテレビをちょこちょこと。
輪島塗職人の次男坊でもあります。

しぐれ揚を知っていますか?

しぐれ揚を知っていますか?

担当・ながけん

はじめに言ってしまうと、
私は自分について書くことが苦手です。
理由は簡単で、私よりもおもしろい人が
まわりにたくさんいるからです。

ですが、せっかく「ほぼ日の塾」という
ステキな「場」をいただけましたので
自分なりの好きを紹介してみようと思います。

でも、ふつうに「自分の好き」を紹介しても味気ない。
紹介する中から誰かの役に立ちたい。応援したい。

これが今回の「私の好き」を選んだ動機です。

ということで、さっそくなのですが。
「しぐれ揚(あげ)」というお菓子を
ご存知でしょうか?

2011年3月11日に発生した東日本大震災で
お菓子を作っていた自社工場が津波に流され、全壊。
震災当時、30名近くいた従業員やパートさんも
やむなく解雇。
以来、しばらくの間、食べることが
できなくなってしまったお菓子。
それが「しぐれ揚」です。

現在は、当時の1/3の規模ながらも
なんとか工場も復活し、関東を中心に
しぐれ揚を楽しめる日々が戻ってきました。
ほんとうによかった。

ただ、よくないことが「ひとつ」だけありまして・・・

この「しぐれ揚」というお菓子はうますぎるのです。
ついつい食べすぎてしまうのです。
ようするに太ってしまうのです。

そして今では、すっかり「しぐれ揚」の
おいしさの虜になってしまった私。

うれしいような、切ないような・・・
これはそんな「しぐれ揚」への
私なりの小さな小さな応援歌です。

今回は久しぶりに「しぐれ揚」の生みの親、
山中食品の山中社長にお電話をすることから始まりました。

ぜひあたたかい気持ちで読んでいただけたらうれしいです。

第1回 私としぐれ揚の出会い

ーー
もしもし。山中社長。
ご無沙汰しております。
お元気でしたでしょうか?
山中社長
あ〜、ながけんさん。
お久しぶりです。
なんとか元気でやってますよ。
ーー
その後、しぐれ揚の調子は
どうですか?
山中社長
おかげさまで関東にも
卸し先がみつかって
少しづつですけど広がってます。
ーー
それはよかったですね〜。
山中社長
ありがとうございます。
ーー
ところで山中社長に
ひとつご相談がありまして・・・
山中社長
はい、何でしょうか?
ーー
実は、ある有名なインターネットの
コンテンツに記事を書かせていただけるご縁に恵まれまして。
山中社長
それはよかったですね〜。
ーー
そのテーマが
「私の好きなもの」なんですね。
山中社長
ええ、そうですか〜。
ーー
私なりにいろいろ迷ったんですが
せっかくの機会でもありますので
大好きな「しぐれ揚」について
書いてみようと思ってるんですが
よいでしょうか?
山中社長
それは私どもとしても
うれしいお話ですよ。
ありがとうございます。
どうぞ、ご自由に書いてくださって結構です。
ーー
いつもお願いばかりで・・・
すみません。
山中社長
いいえ、かまいませんよ。
ーー
それで「私の好きなもの」を
紹介する場所なんですが・・・
ほぼ日というインターネットの
人気があるサイトなんですけど
ご存知ですか?
山中社長
ホボニチ?サイト?
いや〜、初めて聞きましたね〜。
ーー
糸井重里さんが代表をつとめる
有名な会社のページなんですけど
ご存知ないですか?
山中社長
糸井重里さんって、
アレですよね・・・
テレビにもよく出られている
白髪でスラ〜っとした・・・
ーー
そうです。そうです。
手帳も有名なんですけど
持ってないですか?
「ほぼ日手帳」っていいます。
山中社長
あ〜、そうですか。そうですか。
もう年なんでね。
ちょっとわからないですね(笑)
ーー
「ほぼ」がひらがなで、
「日」が漢字なんですけどね(笑)
山中社長
あ〜、そうですか。そうですか。
ーー
山中社長。そうでしたら、今、
初めて「ほぼ日」と聞いてみて
どんなイメージを思いましたか?
山中社長
なんだか舌を噛みそうに
なってしまう名前ですね〜(笑)
ホボニチ・・・ほぼ日・・・って
いうんですね。
ーー
「ほぼ日」で舌を噛みそうになる
人を初めて聞きました(笑)
山中社長
舌が短いですからね〜。
滑舌もよくありませんから(笑)
ーー
そんな「ほぼ日の塾」のページで
しぐれ揚のことを書かせていただいても大丈夫ですか?
山中社長
大丈夫ですよ〜。
それはもう、ぜひお願いします。
ーー
それで記事を書くのに
「しぐれ揚」を買いたいんですが
住んでいる近くに売っていなくて・・・
山中社長
そうですか〜。
ーー
2〜3個で良いので「着払い」で
送っていただけませんか?
買い取りますので・・・
山中社長
あ〜そうですか。
わかりました。わかりました。
ーー
あとですね。
山中社長のお顔や工場の写真も
使わせていただきたいんですが
こちらも大丈夫でしょうか?
山中社長
どうぞ。どうぞ。
こんなおじさんの写真でよければ
いくらでも大丈夫ですよ。
ーー
ありがとうございます。

久しぶりに電話で話した山中社長の声は
いつもと変わらず、ちょっとダミ声が入った
やさしいものでした。

(平成24年2月1日号 地域の無料新聞
『復興かわら版』に紹介された山中社長
〜NPO法人「光と風」より)

そして、後日。
予想していたことが的中しました。

私の自宅に送り届けられたのは案の定、
たくさんの「しぐれ揚」(笑)
やっぱり「元払い」になっていました。

いつもこうなんです(笑)
こういうやさしい方なのです。

2012年2月 しぐれ揚を知る

みなさんは「しぐれ揚」というお菓子を
食べたことがありますか?

千葉県を中心に関東の限られた地域でしか
流通していないので
「食べたことなんてありません」
という人の方が多いかもしれません。

実は私も、そのひとりでした。

そんな私と「しぐれ揚」の出会いは
2012年2月。
「震災から1年」というラジオ番組の取材で
千葉県旭市を訪れた時のことでした。

当時は、旭市も津波の被害がひどく、
家をなくし、仮設住まいなど、苦しい生活を
余儀なくされている方が多い時期でした。

その取材の移動中。
車の中で、地元を案内してくれた旭市在住の
Mさんという男性から
意外なことを耳にしたのです。

Mさん
実は旭市には震災以来、
まったく食べられなくなって
しまったお菓子があるんですよ。
ーー
え!? そうなんですか?
Mさん
旭市の人は小さい頃から
それを食べて育ってきたんですね。
ーー
旭市民のソウルフードみたいな
感じですか?
Mさん
まさに、それです。
ーー
それはなんていう
お菓子なんですか?
Mさん
しぐれ揚といいます。
ーー
失礼ながら、初めて聞きました。
どこが作っているんですか?
Mさん
山中食品という会社が作ってます。
ーー
大きい会社なんですか?
Mさん
いえいえ。
旭市にある小さな町工場です。
ーー
でも、そんなにおいしいんですか?
Mさん
そりゃ〜もう。
ほんのり塩味が効いた
サクサクの揚げあられでね。
食べ始めたら止まらなくなっちゃうんですよ〜。
ーー
そうなんですか〜。

震災で誰もがピリピリしていたあの頃。
「しぐれ揚」の話になると、
途端にやさしい顔になったMさん。
地元のスーパーや市場から商品が消えて
まもなく1年という頃。
どれだけ「しぐれ揚」が地元の人に
愛されてきたかが想像できました。

——
でもどうして
食べられないんですか?
Mさん
震災の津波で工場が全部、
流されちゃったんですよ。
——
そうですか・・・

東北でも、あの津波で、お店が流され、
まったく営業できなくなってしまった
ところが多く存在したという話は、
私も当時、よく耳にしていました。

しぐれ揚もそのひとつといえば、
そうでしょう。

ただ、そのような光景に初めて出会った
あのときの私にとっては、ほんとうに
いろいろなことが衝撃でした。

飯岡海岸の波打ちぎわに建っていたという
しぐれ揚の工場。
聞けば、震災の津波に流され工場も全壊。
当時、働いていた従業員やパートさん、
30名近くもやむなく解雇し、離ればなれになってしまったということでした。

Mさん
しぐれ揚を作ってた
社長の山中さんって
すごく明るい方なんですけどね。
地元でもキャラのある有名人で。
けど最近、元気ないってうわさを
よく聞くんですよね。
ーー
そうですか・・・
もし良かったら、
その工場があったところまで
連れて行ってもらえませんか?
Mさん
旭市は狭い町ですからね。
すぐそこですよ。
行きましょう。

旭市を車で移動すること数分。
海の目の前に建っていた工場は、
すっかり砂の更地に変わり、
ただコンクリートの門柱があるだけでした。

「株式会社 山中食品」

すべてが波にさらわれ、
ポツンと残る会社の門柱。
なんともいえない淋しさで
ココロがいっぱいになってしまった私。

ただ、この「門柱」を見た、あのとき、
私とまわりにいたスタッフたちは
淋しさ以上に「違う同じこと」を
感じていたのです。
それは・・・

ーー
社名を刻んだ門柱だけが
流されないで残っていたなんて
ほんとうにすごいことですね。
Mさん
そうなんですよ。
『山中さんのところの工場、
社名の門柱だけ残っててね〜』
・・・なんて地元でも
評判になってるんですよ。
ーー
これは復活しなさいよって神様が
いってるのかもしれませんね。
Mさん
私もそう思います。
ーー
私たちにも応援させてください。

ふだんは感情を表に出さないタイプの
私ですがそんなストレートな気持ちを
口にしていました。

こうして「私としぐれ揚」の関係は
はじまったのです。

(つづきます)

第2回 おいしさは社長のひとがら